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Engage ring4

***  波折が、鑓水への愛情に気付いたのは高校3年のころ。浅羽たちの非道的な行いに、苦い顔をしながらも付き合っている鑓水をみて心を痛めたことが始まりだった。  鑓水を、この道に引きずり込んだのは自分だ。鑓水が、自分のことを溺愛してくれていて、そしてついてきてくれると確信していたから。ついてきてくれればかんの鋭い鑓水のことを殺さずに済むし、彼をこの道に引きずり込むほかはないと、そう思っていた。  しかし……最近になって、そうして自分のために自らの倫理を犯す鑓水をみて哀しいと思うようになってきたのだ。彼は、自分のためにすべてを捨てた。輝かしい未来も、なにもかもを捨てて自分と一緒にいることを選んでくれた。それが、昔はただただ嬉しかったのに今は哀しかった。  それが、愛だった、と気づくのには随分と時間を費やした。いつの間にか波折は鑓水を見つめるだけでも、幸せな気持ちになることが多くなった。昔はただ、鑓水が自分にキスをしてくれたり抱いてくれたりするから「好き」と思っていて、ただ彼の姿を見るだけで幸せになるなんてことはなかったのに。こうして同じ部屋にいて、「おはよう」を交わして、自分の作った料理を彼が「おいしい」と言って笑ってくれて、そして彼に「おやすみ」を言って一日を終えて。そんな何気ない日常がものすごく、幸せだった。毎日のように抱いてもらわないと気がすまなかったはずなのに、ただ一緒にいてくれるだけで心が満たされて、抱いてもらわない日もそれなりにでてきた。  ただ――「愛しているよ」――鑓水にそう言われて抱きしめられ、キスをされるとたまらなく幸せな気分になる……その幸せな気持ちのまま「俺も愛しているよ」と返せば鑓水が満足そうに笑うのを、申し訳なく思った。この愛が、鑓水に伝わっていないからだ。鑓水は波折が普通の愛を知らないから、と波折へ想いが伝わらなくても波折が幸せならいいと、一緒にいてくれている。そんな、自分の幸せを捨てている鑓水に、ひどく波折は心を痛めていたのだ。  だから――伝えた。必死に伝えた。仕事が終わってから、普通の恋人たちがするようにデートに誘って、そして言葉でしっかりと鑓水に想いを伝えた。 ――しかし、それから鑓水の態度はどうにもそっけない。そっけない、と言い切るほどのものではない、いつもとは何かが違う。いつもよりも触れ合いが格段に減ったのだ。……とはいっても、たった一日だが。昨日、想いを伝えてから家に帰ってもあまり触れてこなかったし、今日の朝も硬い笑顔を浮かべるだけ。極めつけは……いつもならすでに家に帰ってきていてごはんを食べている時間なのに、帰ってこない。 「……」  泣きたくなった。  なんとなく、理由を考えてみる。こんな、今後悪の頂点にたつことになる人間に愛されることが、嫌だったのかもしれない。ここで一緒になったらこれから新しく女性を見つけて結婚して子供を産むという未来が本当に失われてしまうということを、恐れたのかもしれない……。  色々と理由を考えて、波折はベッドに塞ぎこんで、嗚咽をあげた。鑓水を責めるつもりなんて一切ない。もともと鑓水は普通の人間で、こんな道に来てはいけない人間だったのだから。逃げたいと思うのが、普通だ。……そう、わかっているのに。哀しくて哀しくてたまらない。これほどまでに自分が鑓水のことを好きだったということを、痛感する。  こんな、おかしな人間は恋をしてはいけないかった。鑓水はもとの世界へ帰るべきだ。  いくら泣けばこの哀しみは流れていくだろうと、波折がぼろぼろと泣いていた、そのとき。 「――ただいま」 「……けいた?」  鑓水が、帰ってきた。車から降りて走ってきたのか、髪が乱れ息が切れている。 「悪い、せっかく波折がつくった飯、冷めちゃったか?」 「え……大丈夫、温めなおすから……」 「……あれ、なんで泣いてるの」 「……かえってこないとおもって」 「……あ、ああ……! ご、ごめん、」  鑓水は波折の涙に気づき、慌ててその涙を拭う。自分の帰宅が遅れたことが原因だとわかると、波折に何度もキスをして、謝った。波折は「けいた、けいた」とうわごとのように言いながら、鑓水にすがりつく。鑓水はそんな波折に最後にちゅ、と軽くキスをすると、離れていった。  そして、乱れた髪を手ぐしで整え始める。緩んだネクタイも締めて、なにやらかしこまったように真っ直ぐに立った。 「あのさ、遅れた理由なんだけど」 「う、うん……」 「昨日……波折が、俺のこと好きって言ってくれたじゃん。それで、俺と同じ気持ちって。でも、俺の思っている好きと違ってたら恥ずかしいからさ、」  鑓水が、ポケットに手を突っ込んだ。そして、小さな箱を取り出して、波折の前につき出す。もう片方の手で蓋を開けられたその箱には――シルバーリングが入っていた。 「俺のこと、愛しているなら、これを受け取ってくれ」 「えっ……」 「意味はわかるな。これを受け取ったら、おまえは俺以外の人間に「好き」って言っちゃいけない」  鑓水が、真剣な目で見つめてくる。どくん、と心臓が跳ねた。 「……これ、けっこんゆびわ?」 「まあ……結婚できねえけど、そんな感じ」 「……ッ」  ――波折が、その瞬間に崩れ落ちるようにして泣き始めた。鑓水に抱きついて、声をあげながらえぐえぐと泣き続ける。鑓水は指輪が落ちそうになって慌てながらも波折を受け止めて、指輪を持っていないほうの腕で抱きしめた。 「けいたっ……けいた、すき、すき……だいすきです……」 「波折……」 「……ゆびわ、つけてください」  波折が涙を流しながら微笑んで、左手を差し出す。鑓水はその左手をみて、まぶしそうに目を細めた。そっと手をとって……そして、薬指に、指輪を。 「けいた……?」 「……悪ィ、カッコ悪いな」  波折の指に指輪がはまった瞬間、鑓水の瞳から、ぽろりと涙がこぼれ落ちた。「幸せすぎて、死にそう」そう言って鑓水は、波折にキスをした。

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