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第3話
「帰ろーぜ、茅野 」
放課後。荷物を持って茅野の元に行く。
「あ、ああ……」
声の調子を聞いて俺は驚いた。答えた茅野はやけに具合が悪そうだ。
フラフラで机に手を着きながら立っている。
「なにお前、どうかしたの?」
俺は茅野の額に手を当ててみたが熱はない。
むしろ血の気が引いていて、今にも倒れそうに見えた。
「……っただけ」
茅野が小声で何か呟いた。
「え?」
「腹、減っただけ。昼……食べてないから……」
「はぁ!?」
(なんで昼飯食ってないんだよ。弁当忘れたのか?でも、それだったら購買あるだろ)
そしてふと思い至る。
「お前……もしかしてメシ食う前に俺、探してたのか?」
俺は呆れて言った。
「……っんだよ、そうだよ!お前がなんも言わずに出てくから」
(まあ、話し掛けるなって言われてたからな)
それで謝りに来て、戻ってから弁当を食うつもりだったのか。
でも実際は俺を見つけた後、予鈴が鳴るまで俺の膝枕になってんだから、そりゃあ食う暇はなかったろう。
「佐倉 がスマホ持ってかねえから──つうか、あんな分かりにくいトコに居ると思わねえし、人のこと枕代わりに使うとも思ってなかったからな!」
「食ってねえって言や良かったじゃん」
俺だって別に昼飯を食うのを阻止してまで枕が欲しかった訳じゃない。
「言い出す前にお前、勝手に寝ちゃっただろ」
いかにも不機嫌そうに茅野は俺に文句を言う。
(ホント、かわいいやつ)
そんなものはどうにでもなる事なのに。
要は自分より俺を優先したってハナシじゃねえのかこれ。
俺は笑って茅野を席に押し戻す。
「食えよ、待っててやるから」
そして俺も茅野の前の席に腰を下ろす。
「じゃあ食う」
何やら不服そうではあったが、空腹に勝てないのか茅野は放課後の教室で弁当を広げ始める。
もう残っている生徒は数人だ。
黙々と箸を動かす茅野に俺は言った。
「なんか‥‥小学校の給食の時間、思い出すな」
「──言うと思った。絶対ソレ言い出すと思ったんだよ。やっぱり言った!」
茅野は何故か得意気に、しかし嫌そうな表情で俺を見た。
小学校低学年の時、茅野はニンジンが食べられなかった。
その時の担任は厳しい女の先生で、ただの好き嫌いの場合には、どんなに時間が掛かっても残す事を禁じていた。
ニンジンなんてしょっちゅうメニューに出てくる食べ物なわけで、茅野はその度に泣きそうな顔で昼休みまで掛かって、ニンジンと健闘させられていた。
食べ終わった子供達が遊びに出て行き、数人しか残っていない教室で。
そして当時も同じクラスだった俺は幾度となく先生に見つからないように、こっそりと茅野のニンジンを食べてやっていた。
ニンジンごときは俺の敵ではなかったし、早く茅野と遊びたかったから。
「ニンジン食ってやろうか?」
「うるさい。もう食べれんだよ」
小学校3、4年の2年間だけ茅野とクラスが離れた。
5年生でまた同じクラスになった時には、いつの間にかニンジンを食べられるようになっていた。
「あー。何か見てたら腹へってきた。なあ、その丸いのちょうだい」
茅野の弁当箱を指さす。
「肉団子?いいけど」
箸を渡して来ようとするのを押し止めて口を開ける。
「やっ、やだよ。自分で……」
「るいちゃん、早く!」
小学生の時に呼んでいた名前で呼んでやると、しぶしぶ口に放り込んできた。
「美味いなこれ。サンキュー」
茅野のことを久しぶりに名前で呼んだ。
昔は茅野が『るいちゃん』で俺は恭司 だから『きょうちゃん』と呼び合っていた。
(いつ頃から苗字で呼ぶようになったんだっけな)
そんな事を考えているうちに茅野は弁当を食べ終え、片付けていた。
「……そう言えば俺、今日歩きだった」
飯も食ったし、ようやく帰ろうと駐輪場まで来た時だった。
茅野が並んでいる自転車を見て思い出したように言った。
「はぁ?そんなに余裕がありながら、今朝、俺のこと置いていったわけ?」
「うるせえな、一人で歩きたい気分だったの。……一体、誰のせいだと思ってんだよ」
あとの方は何かぶつぶつ言っているが小声でよく聞こえない。
俺は独り言と判断した。
「じゃあ2ケツしてこうぜ。茅野が漕げよ」
「えー?なんでだよ」
「朝おいてった罰。それに食後の運動に丁度いいじゃん」
茅野はまたぶつくさ言ったが無視して荷台に座り待っていると、諦めたのかハンドルを取って漕ぎ出した。
だがやたらフラついて危なっかしい。
「あっぶねーな。ちゃんと漕げよ」
持つ場所の少ない荷台に掴まっているくらいでは振り落とされそうになる。
「漕いでるよ!佐倉が重すぎんの」
「なに言ってんだよ、俺は超標準だっつーの。こないだの身体測定で証明されてっし。お前が痩せ過ぎなんだよ」
そう言い俺は茅野の腰を両手で抱いた。
軽々腕が回って持て余すくらいだ。昨日も感じた、華奢で頼りない感触。
「大体なんだよ、この腰の細さ。学校中の女子に呪われるぞ」
「ちょっ……抱きつくなよ!」
「お前がフラフラするから、こうでもしないと落ちそうなんだよ!」
その後すぐに、大して急でもないカーブを曲がり切れずに茅野は足を着く。
さすがに見ていられない。
「分かった。もういい、俺が漕ぐ」
堪り兼ねて茅野と交代する。
後ろに座った茅野は、運転になんの障害にもならないほど軽く、比べるべくもなく自転車は安定した。
(初めからこうしとけば良かった)
「……ごめん」
背後からしょんぼりとした茅野の声がした。
「なにお前が謝ってんだよ」
ムリ言って漕がせたのは俺の方だ。
俺は片手を後ろにやって、荷台にある茅野の手を取り、自分の腰を掴ませた。
「佐倉?」
「後ろ、掴まるとこなくて結構、不安定だったから。俺の体、持ってろよ」
「……ん」
茅野は大人しくベルトの辺りを掴んだ。
その後は何事も問題なく、あっけないほど簡単に家まで辿り着いた。
たかが二人乗りだ。よく考えたら当たり前だ。
それが茅野に自転車を漕がせただけで、ひと騒動だ。
茅野は俺が重いと愚痴を言っていたが、たぶん自分の非力さにショックを受けたんじゃないかと思う。
自転車の二人乗りなんて、なにも初めての事じゃない。
以前はどっちが前でもこんな事はなかったはずだ。
いつの間にか俺と体格差が開いたのを感じて、だからあんなにしょげたんだろう。
身長だけじゃなくて、肩も腰も俺より小さくて……。
唐突に茅野を抱きしめてキスした時の感触がよみがえってきた。
(やべえ、なんで──)
下半身にズシンと熱い鉄の塊を入れられたような鈍い疼き。
(茅野に、触りてえ)
さすがにそれはまずいだろ、と思う。
いま湧き上がった衝動のまま行動するのはまずい。確実に許される範疇 を超える。
身勝手なこの欲望を茅野にぶつけんのは、ただの暴行だろう。
昨日、下手に触れてしまったから刺激されているだけ、欲求不満なだけだ。
(さっさと帰って自己処理しちまえばいい)
俺は自転車を降りて背を向けている茅野に別れを告げようとした。
だがその前に茅野が振り返って言った。
「今日は俺が佐倉んち行っていい?」
「え?」
「…………」
変な間が空いた。
茅野のセリフは自然なようで不自然だった。
おとといまでなら、ごくごく当たり前な流れだったんだろうが。
「……行ったら、ダメなのかよ?」
へそを曲げた子供のような顔をしている。
(ああ、そうか)
こいつ俺が好きなんだよな。認めなかったけど。
加えて今、俺がこいつに抱いた邪な考えの事なんか分かるわけがない。
このガキっぽい表情からして、ただ一緒に居たいだけなんだろう。
一瞬、自分から俎 の上に乗ってきたのかと思った。
(んなわけねーか)
「ダメじゃねえよ。じゃあアレな、格ゲーで勝負な」
「おう」
いつも通りのいつもの会話。そのはずが、微妙な緊張感が漂う。
今の所、吹き飛びそうだが理性はまだある。
でも今日もあの言葉を俺が言ったら、こいつはどうなるんだろう。
そのとき俺は──どうするんだろう。
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