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第5話
俺がなんの意味も持たせずに口にしたヒトコトから、俺と茅野の関係が大きく動き出した。
それを発した段階では俺にとっては意味がない言葉だった。
けれど茅野にはその言葉に意味があった。
だから変化が起きた。
それまでの関係が別の関係に変わったという訳ではなく、あくまでも地続きで、例えば小学生から中学生になるといった変化が。
俺にしてみればそういう感じだった。
ただ小学生から中学生へは年月と共に自動的になるけれど、俺と茅野の間の変化はきっかけがなければ始まらなかった変化だ。
その契機になったのがほんのヒトコトの言葉だ。
その効果は絶大で魔法みたいなもんだった。
そして多分、俺が最初なんの意味もないと思ったそのヒトコトは、意味無くでも偶然でもなく、潜在的に頭ん中のどっかで考えていた事なんじゃないかと思う。
きっと自分でも気付かないうちにその状況が揃って、俺は選んでその言葉を発したんだ。
なぜならあまりにも自然に受け入れているからだ。
──俺が茅野を。
前もって解 っていたかのように。
同性という事や、小さい頃から側にいて良く知ったはずの相手だという事実が全く矛盾せずに。
ここ2日間で、日常の中に非日常が何食わぬ顔でするりと入り込んできて、状況の変化に頭、というか心の整理がつかずに、柄にもなく寝付けなかった。
窓の外が白んできたのを見た記憶がある。明け方まで起きてたようだ。
「──っ」
それにしても、たった2日で茅野が別人みたいに見えるようになったのはどうしてだ。
いや少し違う、茅野が……可愛くて仕方ないのはなんで、だ。
それに、なんで俺はこんなエロい人間になっちまったんだ?
茅野の泣いている顔や、喘ぐ声や、いく時の表情を、もっと見たいし聞きたいと思ってる。
「──倉!」
俺が変わったのか、茅野が変わったのか、分からない。
「──起きろ、ってば!!」
すぐそばで声がする。
その時までぬるま湯の中に浸っていた意識が、急に引き上げられ空気に触れたような感覚に変わった。
目を開けると、今さっきまで考えていたことが全て抜け落ちて行き、代わりに怒った様子の茅野の顔があった。
「茅野?」
「起きた?早く着替えないと遅刻だよ!」
そうか茅野が起こしてくれたのか。ぼんやりする頭で茅野を見る。
「……ん、起きた……起きてる……」
「もう、それ起きてないやつじゃん、起きて、立てって。早く!」
肩をグラグラと揺さぶられる。
(……かわいいな)
茅野は今、怒っているはずなのに怒っているように見えない。構って欲しがっている子犬かなんかに見える。
俺は腕を伸ばして茅野を引き寄せた。茅野がつんのめって目の前に来る。
そのままキスしてやった。
「ちょ……っん、んー!!」
バコン、といい音がして俺の頭に学生鞄が振り下ろされた。
「いっ……てぇ」
「寝ぼけてんなよ!」
茅野は顔を離して口を拭った。
(確かに寝ぼけてたけど、今のは目が醒めててもキスしただろうな)
自分の行動に謎の自信を持ってそう思った。
「あー、今度は本当に起きたから。おはよ」
痛む頭に完全に目を覚ました俺はベッドを降りて言った。
「おはよ、じゃねえよ。俺30分前に来たのに。今日、全然起きないんだもん佐倉。もう朝飯とか食べてる時間ないからな」
「分かった」
「じゃあ俺、外で待ってるから。早く着替えて来てよ」
茅野はそう言って部屋を出て行った。
俺も手早く身支度を済ませると、部屋を出た。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「今日の放課後、なんか予定ある?」
学校へ向う途中、信号待ちで茅野が言った。今日は2人とも自転車だ。
「いや、ないよ。なんで?」
「パソコン部、見に行こうかと思って」
俺たちは中学の時、パソコン部に所属していた。
茅野が入りたいと言い出して俺も付き合いで入ったという経緯だったが、意外と楽しかった。
活動内容はあってないようなものだった。
学校のホームページの更新やエクセルなんかのソフトの使い方の勉強という建前はあった。
が、大体はゲームで遊んでいたようなものだった。
部活らしいといえば、P検の3級を俺も茅野も取得した事くらいだ。
自分たちで作ったゲームもあるが、わずか3本。
どれも本当に簡単なスクリプトで組んだだけのものだ。
2年の時、文化祭用にCGイラストをアニメ部の友達に頼んで作った。
それだけは犯人をヤスという名前に設定したことで、レトロゲームマニアにウケていた。
内容は5分もあれば終わる、ゲームとも呼べないものだったけど。
そんなユルい部活だったからこそ自由で面白かった。
「じゃあ帰りに覗きに行ってみようぜ」
「うん。先輩、怖くないといいな」
「運動部じゃないんだし、平気だろ」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
部活説明会の時に配られたパンフレットによると、パソコン部は教室のある棟とは別棟のパソコン室で活動しているとある。
俺と茅野は放課後そのパソコン室に向かった。
扉が閉まっていたので一応ノックしてから入ると、近くにいた男子生徒が俺達に気づいた。
上履きが緑、2年生だ。
ちなみに俺達、今年の1年は紺、3年は赤だ。来年の1年は赤という風に順繰りに変わっていく。
「あれ1年?もしかして入部希望?」
その先輩はニコニコと気さくに声を掛けてきた。
「はい」
俺達は頷く。
「おい糸目 ー。待望の1年生きたぞー」
呼ばれて来たのは、やはり2年の先輩だった。
人が良さそうな目の細い先輩だ。
だが名前が糸目なんて出来過ぎだと思った。
「わぁ、よく来てくれたね。しかも2人も。今年は全然、新入生が来なくてどうしようかと思ってたんだ。ゆっくり見ていって」
「はい。俺は1年1組の佐倉恭司です」
「同じクラスの茅野留衣です。えと、糸目先輩?」
茅野が言うと一緒にいた先輩は吹き出し、本人は苦笑した。
「あー。糸目は目が細いからってあだ名で……本名は升目陽一 っていうんだ。でもみんな糸目って呼ぶから糸目先輩でいいよ。一応、俺が副部長。それでこっちが京屋悟 。糸目の名付け親」
と糸目と呼んだ先輩の事も紹介してくれた。ついでに名前の疑問も解けた。
「あっちに部長がいるんだけど……今、平気かな……?」
糸目先輩が目をやった方向に3年の先輩が2人パソコンに向かっていた。
モニターを見ながら、なにやら真剣に話し込んでいて、こちらの様子に全く気づいていない様子だ。
「まあいっか、2人共ついてきて。部長を紹介するね。あの人達を初めて見たら、ちょっとびっくりするかもしれないけど」
と不思議な事を囁き俺達を連れていく。
「遠藤部長、入部希望の新入生です」
その声に2人がモニターから目を上げ俺達を見た。
俺は思わず目を瞠り、隣では茅野が息を飲む気配がした。
その2人はある意味、異様な雰囲気を醸し出していた。
1人はすごく華やかな人だった……良く言えば。悪く言えば、どう見てもチャラ男風。
だが彫りの深い甘い顔立ちは相当なイケメンで、金色と言えるほど明るい色の、背中までありそうな長い髪を高いところで適当に束ねている。
そのだらしなさが妙に似合って色気さえ感じる。
そして俺たち1年坊主には到底、真似できないような制服の着崩し方をしているが、これもじつにサマになっている。
もう1人は見るからに知的な感じだ。
艶やかな黒髪を襟足で涼しげに切り揃えているが、横髪が、まるで切れ長の大きな瞳を他人から隠すように長めだ。
容姿端麗とか眉目秀麗とかいう単語が思い浮かぶ。でも線が細いとか華奢というわけでもない。
もう片方の先輩と比べると断然男らしいと言える。
そしてシルバーメタルのフレームの眼鏡が恐しいくらい良く似合っている。
その対極に位置する2人だが共通して言えるのは、どちらも一目見たら忘れられないほど美形だ、ということだ。
「あー、子羊ちゃん達やっと入ったの?良かったね、遠藤」
派手な先輩がもう1人の先輩に向かって言う。
「こっちが佐倉恭司君で、こっちが茅野留衣君です」
糸目先輩が紹介してくれる。
「俺は鳴比良亮也 」
派手な先輩が自己紹介する。
「俺は部長の遠藤健太郎 。2人共、歓迎するよ。うちは基本自由だから気楽にやって。在籍人数だけは多いんだけど、幽霊部員や掛け持ちも、かなり居るから」
「は、はい。よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
俺達は緊張気味に頭を下げる。
「今年は部長達が勧誘してくれないから、新入生さっぱりなんですよ」
糸目先輩が遠藤先輩にぼやくように言った。
「だけど去年、それで増えたのが俺達目当ての幽霊部員ばっかりだったろ?」
遠藤先輩がそれを受けて答える。不遜なセリフもこの人が言うと充分過ぎるほどに説得力がある。
「とにかく貴重な1年生ですから大事にして下さいね」
糸目先輩が特に釘を刺すように鳴比良先輩を見ながら言った。
こんな先輩達相手に対等に話してるだけで、この細い目の先輩が結構すごい人に見えてくる。
「あったり前でしょー。分かんないことはさ、なーんでも俺が教えてあげるからね。それはもう懇切丁寧に」
糸目先輩の言葉に鳴比良先輩は笑って答えるが、その整いすぎて完璧すぎる笑顔が逆に邪悪に見えるのは気のせいか。
「だって、こんなに可愛い後輩だもん、優しくしちゃうよ。ねぇ?」
鳴比良先輩はスッと立ち上がると、手前にいた茅野の腰を抱くように引き寄せて言った。
「え……と、あ、あの」
あまりに自然な動きに、茅野は慌てて一歩下がったものの、その後どうしていいか分からず困っている。
俺はさりげなく茅野と鳴比良先輩の間に割り込むように立って、先輩を見る。
そして顔は綺麗だが見かけ通り軽い人だな、と思いながら笑顔を作る。
「先輩、どうぞよろしくお願いします」
「へえ?……ふうん、佐倉って格好良いね。ざーんねん。茅野がこねこちゃん、ってことかぁ」
鳴比良先輩は、よく意味の分からないことを言って、面白そうに俺達を交互に見ている。
「もう、そういうのを控えて下さいって言ってるんですよ……」
糸目先輩が困ったように鳴平先輩に訴える。
「もういいだろ鳴比良。あんまり新入生を怯えさせる事ばっかり言うなよ」
そんな様子に遠藤先輩が助け舟を出した。
「それに、鳴比良これ」
遠藤先輩はモニターを指差す。
「そうだった。早く修正しないと」
大事な事を思い出したように鳴比良先輩が席に座る。
「悪いけど後の細かい事は、お前から説明しておいてくれるか?」
遠藤先輩が糸目先輩に向かってそう言った。
「はい」
画面はおそらく何かのプログラムだが、見ても何が何だか分からない。
ただのアルファベットの羅列に見えるもので、一面埋まっていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
部活見学の後、俺たちは帰りがけに、顧問の先生に仮入部届けを提出しに行った。
引岩 先生という2年生の物理担当だ。
よく秋葉原にジャンクパーツなどを漁りに行っては、自作のパソコンを組み立てるような典型的なオタクの先生らしい。
『色んな事を知っていて、頼りになるよ』と糸目先輩は言っていた。
ちなみにヒッキーと呼ばれているんだそうだ。本人の前で言っているかは知らないが。
俺たちは4月一杯は仮入部扱いで部活に出ても出なくてもいいらしい。他の部活の見学も自由だ。
そして、そのまま続けるなら5月から正式に部員になるという事だった。
インパクトの強い2人の先輩を除けば、あとは普通の良い先輩達のようだったし、自由度もかなり高そうだった。
中学の時よりさらにユルいかもしれない。今日だって、全部で6人しかいなかった。
おそらく俺と茅野は、このままパソコン部に入部することになるだろう。
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