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第6話

自分の部屋に帰ってきて荷物を放り出すと俺はベッドにひっくり返った。 そのままゴロゴロと2、3回ころがる。 落ちることはない、俺のベッドはダブルベッドだから。 なぜかというと部屋が意味もなく広いからだ。 置くものがない。だから、でかいベッドを買ってもらった。 広さは12畳ある。リビングかよ、と突っ込まれる広さだ。 両親が家を建てる時に天井の高さと部屋の広さに異常にこだわった結果だ。 母親方の親が資産家で、好きに建てて良いといって費用をポンと出してくれたそうだ。 4階建で、どの部屋も同じくらい広い。無駄に豪邸だ。 俺はもっと普通の家が良かったが、産まれる前の話なのでどうしようもない。 無意味に転がったせいで、なんだかどっと疲れが出た気がした。 それとも今日が金曜日で明日が休みだと思ったからかもしれない。 高校に入学してから3週間、慣れない事が多くて、まだクラス全員の名前さえ覚えていない。 その中に茅野がいて安心したのもつかの間、今や茅野が一番の悩みのタネになっている。 今までになく足元がおぼつかない、浮ついた実感がある。 そのうち落ち着くのか、これ。 自分でもわからない。 しばらくぼーっと天井を眺めてから、風呂に入ろうと思い立った。 風呂を溜めている間に、通いのハウスキーパーの前川さんが作った夕食を食べる。 両親は仕事大好き人間でどっちもほとんど家にいない。 今は7時少し前だがこんな時間に家に居たためしがない。 母親は自分の輸入雑貨の店を持っていて、そっちに泊まることも多い。 買い付けも自分で行くからしょっちゅう海外にも行っている。 父親はアパレルメーカーの営業で、全国各地の百貨店や専門店を飛び回ってるので出張ばかりだ。 金曜日ともなれば、ほぼ飲み会で終電で帰って来ればいい方だ。 そんな好き勝手やっている両親だが夫婦仲は非常によろしい。 珍しく家で一緒にいる時なんかは、俺の事などお構いなしにイチャついてくれる。 普段離れているのが良いんだろうか。 俺のことをほったらかしなのも信頼しているからだとか何だとか、調子の良いことを言っている。 小さい頃は寂しい思いも多少はしたが、今となっては干渉されないこのスタイルは俺にとって楽だし都合が良い。 つまり家族仲も良好という事だ。 食事も終わり腹も落ち着いたところで、当初の予定の風呂に向かう。 脱衣所には母親好みの多彩な入浴剤が溢れんばかりに置いてあった。 いつもは気にも留めないが気分転換に良いかと思い、深い青色のカプセルのような入浴剤を入れてみる。 花のような甘い香りがバスルームいっぱいに広がる。 色からもたらされるイメージにしては香りが乙女チック過ぎる。 だけど、今日はもう出掛ける予定もないから気にすることもない。 気分転換には充分だった。 ゆっくり風呂に入って出てみると、スマホのLEDが光っている。 茅野からだった。 『母ちゃんと兄ちゃんとケンカした。ムカつくから家出する。佐倉ん家、行っていい?』 (……またケンカしたのか) 茅野は家出と言っているが、要はただのお泊まりだ。 うちとは違って茅野の家は俺からすれば過干渉で、しょっちゅう口ゲンカをしてはうちに逃げ込んでくる。 そして翌日になると、けろっとした顔で帰っていく。 側から見ていると仲が良い故の、軽い言い争いにしか見えないから心配はしてない。 そこは心配してないんだけど……。 (つーか、泊まんの?マジで?) 俺は今、茅野に対して自制心が効かない状態だ。 そんなのは茅野自身が昨日、身をもって分かってることだろう。 そんな奴の所に、いつも通りに泊まりに来るか?普通。 ……普通?何かが心に引っ掛かる。同じような経験をしたような気がする。 いや、確かにした。立場が逆だったが。 昨日の朝、いつも通りの俺を茅野が怒っていた。 なんでそんなに普通なんだと言って。 その時、俺は普通でなにが悪いのかと思っていた。ふざけてキスした……くらいの認識だったから。 俺がそういう態度だったから茅野もそういうもんだと思ったのか? (でも今日はもう状況が違うだろ。お前、襲われてんだろ、俺に) だけど確かに昨日フォローこそしたが、あそこまでした割には今日1日の茅野はいつもと変わらなかった。 でもこのまま来たら、また俺に好きにされちまうかもしれないとか考えねえのか。 それとも、それでもいいくらいに俺が好きなのか?認めもしないくせに? ……分かんねえ。茅野の考えてることが。分からなくなってきた。 ごちゃごちゃ考えているうちにインターホンが鳴った。 時計を見ると茅野の連絡から30分以上経っていた。 俺は急いで玄関に向かう。 やっぱり茅野だ。確認してドアを開ける。 「返事ないから取り敢えず来たんだけど‥‥都合、悪い?」 「いや大丈夫。悪りい、風呂入ってて気づくの遅れた」 嘘ではない、半分は本当だ。 「いいよ、中入れよ」 俺が促すと茅野は頷いて「お邪魔します」と脱いだ靴をきちんと揃えて上がってきた。 「佐倉、聞いてよ。母ちゃんと兄ちゃんひでぇんだよ。パソコン部入るって言ったらさ……」 俺の後ろを着いて来ながら不満げな声を出したかと思うと、茅野は急に言葉を切った。 「どうした?」 なにやら訝しげな顔をしている。 「……佐倉、女の子とか、連れ込んでた……?」 と思ったら、茅野が突拍子もないことを言い出したので俺は言葉をなくした。 「はぁ!?」 「すごい、甘くていい匂いがする。女の子みたいな」 しばらく頭が真っ白になったが、ようやく原因に思い至った。 「アホか。風呂入ってたって言っただろ。大体さっきまで一緒にいたのに、どこにそんな時間あんだよ」 茅野はまだ怪訝そうな顔をしている。 俺は無言で茅野をバスルームまで引っ張っていった。風呂の栓を抜かなくて良かった。 「お前が言ってるの、この匂いだろ。母親の入浴剤、気まぐれで入れたらこんな匂いだったんだよ」 さらにさっき入れたのと同じものを目の前に突き出してやる。 「お前、この色からこの香りになるって想像できるか。好きでこの甘ったるいのに、したんじゃねえよ」 茅野はバスルームを覗いてケタケタと笑い出した。 「なんだそっか。でもいい匂いだよこれ。佐倉に似合わないけど」 と茅野はいい気なもんだ。無闇に疑いの目で見られたこっちの身にもなってみろ。 「笑ってんじゃねえよ」 苛立ちまぎれに茅野の後頭部をはたく。 「ごめん」 ようやく茅野は謝った。取り敢えずは許してやる。 「茅野、風呂まだだろ?せっかくここまで連れてきてやったんだから、ついでに今、入れば?」 「あ、そうだね。……いいの?」 「いいよ」 「じゃあ、借りる。サンキュー」 風呂から上がってしまうと自分では、もう匂いなど分からなくなっていた。 だが残り香がそんなに移るなら、風呂に入れば茅野の体からもあんな甘い香りがするってことだ。 俺には似合わないらしいが、茅野にだったら似合いすぎる。甘すぎて……その香りに酔うかもしれない。 (女連れ込むとか、今そんな状況じゃねえっつーの。分かってんのかあいつ) リビングに戻るとスマホがまた光っている。 母親からで今日は帰らないらしい。父親は知らないが、いつも通り遅いか、朝帰りだろう。 (まあ、そうだよな) 多分この家で一晩、茅野と2人っきりだろう。 今までだって、何度もあった。それこそ数えきれない位。 逆に今までどうしていたか覚えていない。 ゲームしたり下らないことをしゃべったり、そんでベッドがでかいのを良い事に2人で一緒に寝ていた、んだろうけど。 ……今、それが当たり前にできる気がしない。 手を、出さない自信が、ない。 茅野は着替えを持って来ていなかったので、開けていないスウェットをそのまま貸してやる。 茅野が風呂から出て来て初めに言ったのは、 「これ、つい最近買ったやつだろ」 だった。 しかもぶすくれている。 他人の服を借りておいて、その態度の意味が分からない。 「知らね。開いてないから、そうかも」 「でかいんだよ。袖とか長いし、全部ゆるい!」 「俺のだからな」 「だから、俺を差し置いて1人で背ぇ伸びてんじゃねえって言ってんの。最近、また伸びただろ」 プリプリしている理由が分かるとおかしくなった。小さいのを気にしてんのか。 よく見ると確かにブカブカでサイズが合っていない。 これは、いわゆる……彼シャツ……か? なるほど丈が余っているところが……かわいい。実感してしまった。 だが茅野は怒っているらしいので抱き締めたくなるのをなんとかこらえる。 「茅野は小さい方がかわいいから、いいじゃん」 「男にかわいいは褒め言葉じゃない」 「褒めてんのに」 この程度のじゃれあいで済むなら話は全然簡単なんだ。 問題なのは茅野がふとした瞬間に醸し出す、壮絶な色気に煽られた時だ。 しかも、どのタイミングで出てくるか分からないから始末が悪い。 「佐倉ー、ちょっとだけパソコン借りたいんだけど」 リビングを引き上げて俺の部屋でくつろごうとなった時だった。 「俺のやってるオンゲで今日までにログインしないと貰えない報酬があって、それだけ取りたいんだ」 そう、茅野は言った。 「あー?いいよ。勝手に使って」 俺は俺で1人用のRPGをやろうと思っていたのでちょうど良かった。 茅野はデスクの方に行きノートパソコンでオンラインゲームを始める。 俺もテレビの電源を入れゲーム機をつけた。 それぞれ勝手に時間を過ごした。特に会話がなくても、別々のことをしていても気詰まりする事はない。 それが、当たり前だった。だから長年、一緒に居ることができたんだ。 (そうか、俺、下手に考え過ぎてたのか) 習慣のようなものだから、意識さえしなければ自然といつも通り振る舞えた。 急に肩の荷が降りたような気がして、気が楽になった。 そしていつしか自分のゲームに夢中になっていた。 ふと気がつくと、結構な時間が経っていた。集中していたせいで1時間以上過ぎている。 茅野もまだパソコンの前にいる。だが、なんか少し様子がおかしい。 パソコンでもゲームがしやすいよう無線のコントローラーを繋げてあるが、茅野はそれではなくずっとキーボードに入力している。 つまりチャット中ということだ。 しかもよく考えてみるとログイン後、ずっと入力音が聞こえていた気がする。 ずっと誰かと会話をしていたということだ。 それ自体は別に構わないが、報酬をもらうだけだと言っていたので少し気になる。 「茅野ー。キリ良くなった?」 すると茅野は振り返って疲れたような困ったような顔をした。 「なんか、ギルメンに絡まれちゃって中々離してもらえない……」 「絡まれた?画面見てもいい?」 「うん」 俺はデスクに手をついて画面を覗き込んだ。ログが一面に埋まっている。 のりっち『ルイルイー、遊ぼうよー^ ^』 ゆい『ルイくん今日はクエストいかないの?;;』 さとりん『ルイにゃんだー♪』 アリス『ルイくんー。久しぶりなのにもう落ちるのー?クエ行こうよー』 ミカ『ルイじゃん。え?なになにクエ行くの?』 まおまお『ルイたそー。あーん、寂しかったよぅ(´Д`)』 ミリィ『うっそルイだぁ。待ってたよん。おかえりー☆*:.。.o(≧▽≦)o.。.:*☆』 まだまだ同じような文字列が並んでいて、茅野はそれに一つ一つ几帳面に返答している。 「……お前、モテモテなのな」 「いつもはこんなに絡んで来ないのに。多分、今日久しぶりにインしたから」 「てか、ギルメンて女子しかいねえの?」 「男もいっぱいいるよ。つうかキャラが女ってだけで中身ほとんど男だと思うよ」 「ふうん?」 (こんなのにいちいち返事してたら、そりゃ1時間もあっという間だろうな) 俺はなんとなく面白くない。そんな困った顔するくらいならスルーすりゃいいのに。 「で、これは楽しいわけ?」 「いや、もう落ちたい」 「無視しろよ」 「でもギルメンだし。あんまり冷たくするわけにも……」 (短気なくせに変なところで気が弱いっていうか、ボケなんだよな) 「お前、隙だらけなんだよ。だから今日だって先輩に、あんな簡単に腰とか抱かれんだよ!」 「そっ、それは今、全然関係ないだろ!それに佐倉だって見てただろ、あんなの不可抗力だって!」 「関係なくねえよ」 俺は茅野を押し退けてキーボードに手を伸ばすと入力した。 ルイ『マジで今日は時間ないから。メンゴ』 そしてログアウトのボタンを問答無用で押してやった。 「これでなんか問題あるわけ?」 「バカっ、メンゴってなんだよ!……ぷっ、メンゴって」 茅野は画面に映る文字を見て、初めは怒るつもりだったのだろうが、堪えきれずといった感じで笑い出した。 「初めて使ったわ、メンゴ」 「ふざけんな。次すごい、インしづらいよ」 「気にすんな、誰も覚えてねえよ」 「まあ、そうかも……佐倉、ありがと」 茅野が顔を上げ、屈託のない笑顔が俺に向けられる。 動いた拍子に茅野から入浴剤の甘い香りがふわりと立ちのぼる。 (──ここでその笑顔と匂いは反則だろ。……ああもう!) まずい、やばい。夜はまだ始まったばかりだ。 早く茅野に好きだと言わせねえと。 茅野に俺を好きだと言わせる前に、自分がどうにかなりそうだ。 いや、もうすでにミイラ取りがミイラになってるのかもしれない。

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