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第5話

 一日して、秋彦はやっと動けるようになったが、ギクシャクした空気は変わらず、そのまま年末に突入した。夏休み同様、秋彦は帰省し、隆文は寮に残った。家族と過ごすいつも通りの年末。大掃除などで忙しない中でも心は空っぽのまま、秋彦は年を越した。  毎年代わり映えのしない正月特番を眺めながら、秋彦は物思いに耽った。隆文はなぜあんなことをしたのか、ただの酔った勢いか、それとも――。しかし、当然その答えは出なかった。それならば、と今度は自分の気持ちを考えてみることにした。自分は隆文のことをどう思っているのか――。 「お兄ちゃん、聞いてる?」 「えっ?な、なに?」 「だから、みかん、食べるかって聞いてるの」 「あ、ああ……じゃあ、食べる」  妹が台所から持ってきてくれたみかんをちまちま剥いていると、こたつの向かい側から鋭い視線がふってくる。 「お兄ちゃん、学校で何かあった?」 「えっ」 突然の急所をつく質問に、みかんが手から滑り落ちて妹の方へ転がっていく。 「あったんだ……。なに?いじめられたの?それともケンカでもした?」 「いじめっていうか、ケンカっていうか……」 「はっきりしてよ!」 こんなこと、はっきり話せるはずがない。 「なにか嫌なことでもされたの?」 「……嫌なこと、なはずなんだけど……」  初めてのことに恐怖心はあったとはいえ、隆文との行為に嫌悪感があったとは思えなかった。――むしろ、自分からねだるような言葉を言った気もする。普通、友達にあんなことをされて嫌じゃないなんてことがあるのだろうか。 「もし、さ……俺がお前にキスしたら、どう思う?」 ずさささっ、と妹が数メートル後じさったかと思うと、 「お兄ちゃん、きもっ!マジ信じらんない!」 と、すごい勢いで罵倒された。まあ、普通はそうだろう。いくら自分のことを心配してくれる優しい妹だってこうなのだ。だとしたら、隆文に抱いているのはもはや友愛では片付けられない。それはもう――。 「……恋愛だ」 自分は隆文のことが好きなのではないか。その想いは、すとんと秋彦の心に落ちてきた気がした。 「ちょっと、おかあさーん!お兄ちゃんが超気持ち悪いんだけど!」 「だから、例えの話だって!」  隆文のことが好き、それは自分でも驚くほどすんなりと受け入れられた。けれど、その想いを隆文に告げるのは憚られた。隆文はあの夜のことに触れてこない。隆文は一夜の過ちとして記憶から消し去ってしまいたいのではないか。そう考えると、想いを伝えるのが恐ろしくてたまらなくなった。隆文があのことに触れるつもりがないなら、自分もそれに合わせよう。そう決意して、秋彦は実家を後にした。  寮に戻ると秋彦はなるべく、以前と同じように隆文に接するよう努めた。隆文の方も、最初のうちはどこか気まずそうにしていたが、だんだんと以前の関係に戻っていった。しかし、恋心を自覚した今、隆文を前にすると、またあの夜のように触れられたいと、秋彦は思わずにいられなかった。  どうしても我慢できない夜は、一人ベッドの上で自分の指に隆文の指を重ねながら自慰に耽った。友人を、欲を吐き出すダシに使うことを忍びなく思いながらも、やめることはできなかった。欲を満たしても、残るのは虚しさだけで、閉じた目の奥が熱くなった。  大学二年目も終わりに差し掛かる頃、秋彦は焦りを感じるようになった。年度末になると、寮の方も人の移動が多くなる。もし、部屋が空けば三年生には完全な個室が割り当てられることもある。一ヶ月後には、隆文と同室でなくなる可能性もあるのだ。まして、三年生になればゼミも始まり、今よりはるかに忙しくなることは必至だ。そうなれば隆文との関係が途切れてしまうのではないかという不安が、秋彦を襲った。  最後にもう一度だけ隆文に触れられたい。その願いを叶えるため、秋彦は一縷の望みをかけて、酒の力に頼ることにした。 「隆文、今夜また一緒に飲まないか?」 「……いや、今日は」 「バイト、休みだよな?部屋替えもあるし、一緒にいれるのも後少しかもしれないしさ」 「……わかった」  なんとか隆文に縋りつこうとする自分の卑しさが情けない。けど、簡単に諦めがつくほど、隆文への気持ちもすでに無視できるものではなくなっていた。  あの夜と同じように二人ソファに並んで酒を飲んだ。前のように酔い潰れてしまっても仕方がないが、素面で隆文を誘うこともできそうにないので、調節しながら秋彦は飲み進める。飲んでいるのは前と同じく缶チューハイで、隆文はビールだ。頃合いを見計らって、秋彦は少し身体を近づけた。隆文が強張る気配がしたが、特に拒絶はされなかった。ならばと、今度は膝の上に乗った隆文の手に、恐る恐る秋彦は手を近づける。触れるか触れないか、その瞬間――。 パシンっ。 と乾いた音が部屋に響いた。隆文が秋彦の手を払ったのだ。 「悪い……!」 隆文は慌てたように謝罪を口にしたが、その声は秋彦の耳には入らない。 「ごめん、俺、酔ったみたいだ。やっぱり、ダメだな。俺、もう寝るから……!」 そう一息に告げて、秋彦は寝室へ飛び込んだ。 「うっ……!」  涙が止まらなかった。手を振り払われたくらいでこんなに取り乱すとは思ってもみなかった。ちゃんと取り繕えただろうか。気を悪くさせていないだろうか。もし隆文が心配して見にきたらどうしよう。……自分はこんなにも隆文のことが好きだったのか。そんなとりとめのない思いが頭を駆け巡った。秋彦はドアに凭れ、声が漏れないよう口を押さえて、泣いた。

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