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三匹のオオカミ 2
「それで、俺が手伝うのはいいとして、具体的になにすりゃいいの?」
俺だって何から何まで出来るわけじゃない。
例えば料理なんかは両手が使えても、使えない奴より無能だ。
「そうだねえ。とりあえず俺の右手、だよね」
「だから、その使い道を尋いてんだよ」
「じゃあ、まず着替え?」
「オッケー」
さっきも一回手伝っているし、ボタンのない部屋着への着替えはスムーズだった。
「お前、食事とかは普段どうしてんの」
「いつもは自分で作るよ。面倒な時はコンビニ弁当だけど」
「すげえな、料理するんだ。言っとくけど、俺は料理出来ないからな」
「いいよそんなの。コンビニで」
「じゃあ食料調達と、後一人で難しいのは風呂くらいか?」
「ああ、そうだね。それは無理かもなぁ」
大体役割はそんなところで決まった。
大雑把に見ると大したことはないが、桧山にしてみれば何をするにも片手になるんだから実際は想像以上に不自由だろう。
ワイシャツのボタンを留めるのもそうだが、財布から金を出すやら、シャンプーをポンプから出すなど、普段なら何気なく出来る何もかもに不便を感じるはずだ。
無理をすればどれも片手で出来ないわけではないが、どれもやり辛い。
そういったちょっとの部分を俺が少しでも解消できればいいと思った。
「桧山」
「ん?」
けれど他人にちょっとした事をあれこれ頼むのは、却って気を遣うかもしれない。
「別に大したことじゃなくても俺を使えよ。変に遠慮すんな」
「……りょーかい。超便利なパシリ君、手に入れちゃた。怪我してラッキーだったかも」
ふざけた口調でそう言って桧山は、あははと笑った。
それから二人で話し合い、まずは近くのコンビニへ夕食と明日の昼飯を買いに行くことにした。
「佐倉ー。俺、これ食いたい」
店内を適当に見ていると、そう言いながら桧山の持ってきた物は、キノコの和風パスタだった。
「いいんじゃね?」
「……まあ佐倉ならそう言うと思った」
俺を見て桧山は笑いを堪えるような表情でそう言う。
「どういう意味だよ」
「おにぎりとかパンとかにすれば簡単に済むのにさ。あえて手の掛かるもの選んでるのに、文句言わないだろうなーって」
「食いたいんだろ?それ」
「食いたいよ」
「ならいいじゃん。その為に俺がいるんだから」
桧山はそうだったねーと、嬉しそうにニコニコとしながら今度は昼食用のパンを選んでいる。
学校では特に俺の手を借りるつもりはないらしい。
まあ何かあれば俺が勝手に手を貸せばいい。
「佐倉の分は?」
桧山が俺の持つカゴを指差す。
「帰ってから食うからいい」
「じゃあ、これでお会計よろしく」
と財布を渡してくる。
俺はそれを持ってレジを済ませた。
家に戻ったところで時間は18時少し前だった。
夕食にはちょっと早いということで先に風呂に入ることにした。
温まり過ぎると痛みが出るというのと、特に寒くもなかったので、シャワーのみで済ませる。
まずは桧山の手首が濡れないようにラップでグルグル巻きにしてからビニール袋を被せて輪ゴムで留めた。
「ああ、コレ失敗したな。先に脱がせてからやれば良かった」
俺は防水の準備をしてから、気が付いた。
大したことではないが、その方が脱がせやすいことに変わりない。
「じゃあ、明日はそうしよう」
やはり然 した事でもないように桧山は微笑む。
だが俺がワイシャツの袖を折っているのを見ると、突然声色を変えて言った。
「ちょっと、佐倉?何してるの?」
「何って……シャワーの準備」
「まさか自分は脱がない気?」
「だって俺がやること、頭と背中洗うくらいだろ?なら脱ぐ必要ねえかと思って」
「無理だよ。絶対濡れるし、俺だけ全裸とかありえないからね」
と変なところに拘っている。
「そんなに言うんなら別に脱ぐくらい、いいけど」
「うん。そうしてよ」
そのつもりはなかったが結局、俺も普通にシャワーを浴びることになった。
(まぁ、帰ってもう一度入るより楽か)
二人で風呂場に入り、桧山を座らせて右手にお湯が掛からないように注意して頭を濡らしてやる。
後ろから髪を洗いながらふと気が付く。
桧山は着痩せするようで、大きな背中はかなり筋肉質だった。特に右肩が厚い筋肉で覆われている。
「なあ、桧山ってなんかスポーツやってる?」
「あー、中学ん時バレー部だった。自分で言うのもアレだけど、結構剛腕スパイカーだったよ。授業中さっきはリベロだったけど。それでつい、ムキになってボール追いかけちゃったんだよな。でも前見てないとか、プレーとしては最悪だったなぁー」
「ああ、それであの猛突進か。で、高校ではやってねえの?」
「そうだね、もういっかなーって」
「ふうん。勿体ねえ。やればいいのに」
そこでシャンプーが終わったので一旦流してリンスをする。
それも流して頭は終了だ。
「やってもいいんだけど……実際スパイカーやるにはちょっと身長足りないんだよねぇ」
「結構高いのに?身長いくつ?」
「188cm。でも最低で190cmは欲しいとこ。俺ジャンプ力が弱いから身長でカバー出来ないと痛いんだよねー」
「厳しい世界なんだな」
話しながら、そのままタオルにボディーソープを取り背中も洗ってしまう。
「佐倉は部活PC部だろ?」
「え?そうだけど、よく知ってんな」
背中も洗い終わり、シャワーで流す。
「うん。先輩だけど従兄弟がPC部なんだよね。それで聞いたことあってさ。あ、佐倉つぎ頭洗っていいよ。俺、後ろで残りの体洗ってるから」
「わかった」
桧山の右手に気を付けて、もそもそと場所を交代する。
髪を濡らしていると、いきなり桧山の指が俺の背筋をつつ、と這った。
「うわっ。な、なんだよ!?」
「ごめん。でもそんなに驚かなくても」
桧山がくっくっと笑っている。
「いきなり触られたら誰でもビックリすんだろ!」
「佐倉は運動部じゃないのに綺麗に筋肉ついてるなと思って」
「ああ、そういうこと?筋トレくらいはしてるからな。でもお前の比じゃねえだろ」
「これでも、もうかなり落ちちゃってんだよ」
桧山はまだ声が笑っている。
俺はその声に嫌な予感がして釘を差す。
「お前、もういきなり触んなよ」
「分かった。触る前に尋くようにしようか?」
「そもそも、触んなよ」
それを聞いて桧山はさらに楽しそうに声を上げて笑った。
本当によく笑うやつだ。
桧山が体を洗い終わったので流している間に俺も体を洗い、風呂を出る。
俺は腰にタオルだけ巻いてまずは桧山を拭いてやる。
頭の方を拭くのに少し屈んで貰わないといけないのが口惜しい。
それから服を着て、座った桧山にドライヤーを掛けてやった。
それでやっと風呂は一段落だ。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「飯にする?桧山」
「そうだね」
さっき買ってきたパスタをレンジで温めて、食卓にいる桧山の隣に座る。
パスタをフォークで掬 っていると桧山が言った。
「佐倉は腹減ってないの?」
「ちょっとは減ってるけど、家にあるし。我慢できないほどじゃねえよ。ホラ」
掬ったパスタを左手に渡そうとすると、桧山はニンマリとした笑みを浮かべて顔を近づけた。
「それじゃ二度手間だろ」
そう言って俺の手からパクリとパスタを食べる。
「まさか、そうやって全部食べるつもりか?」
「え?そうだけど?」
しれっと言ってのける桧山に、俺は諦める。
「次、キノコがいい」
「はいはい」
でかい犬に餌付けでもしてるつもりで、俺は嬉々としている桧山の口に餌を運んでやった。
「お前さ」
餌を与えつつ俺は言った。
「明日の朝の着替えは一人で大丈夫?」
「ああ、平気。時間かければできるだろうから」
「寝るとこも、ベッドだったよな」
「うん」
「なんか今日中に俺の手が必要な事ある?」
「いや……ないかな。うん、大丈夫」
そう話したところで餌付けという名の食事も終わった。
俺は食べ終えた容器を片付けて桧山を振り返る。
「じゃあ、今日はもうすることないな?」
「そうだね。単純にもっと居て欲しいけど。佐倉も空腹じゃ可哀想だよな」
「そうだな……じゃあ明日から一緒に夕飯食おうか?」
別に俺の満腹度はあまり重要でなかったが、自然とそう口が動いていた。
同時にハウスキーパーの前川さんに明日から三日、俺の夕飯は要らないとメモを残しておこうと考える。
「マジで?そんなこと、して貰っていいの?」
「その方が時間に無駄がなさそうだしな」
実際は少しだけ桧山の気持ちが分かる、ような気がしたからだ。
桧山の家庭の事情は俺のあずかり知る所ではないが、俺も小さい頃から両親の留守が多く一人の時間が長かった。
しかも桧山は一人暮らしだ。遅くても夜になれば家族が帰ってくるってわけじゃない。
そういうのは慣れるし、普段は全く淋しさを感じていないとしても、怪我や病気で気が弱っている時なんかは、けっこう堪えるもんだ。
『もっと居て欲しい』とはそういう事じゃないのかと、そう思ったんだ。
もちろん俺の勝手な憶測で、桧山にしたら思い上がりも甚 だしい話かもしれない。
だから言うつもりなんてないが。
とりあえず、そうするのは明日からにするとして、今日のところは腰を上げる。
茅野にも状況を話してやらないと心配しているだろうから。
桧山が、帰る俺に続いて玄関まで見送りに来る。
靴を履いて顔を上げると、上 り框 に居る桧山が左腕を壁に着いて、俺を見下ろしていた。
ただでさえ身長差のあるところに、土間に立っている差分で、俺は完全に桧山を見上げる格好になる。
普段そういった姿勢があまりないので、どことなく座りの悪さを感じた。
「じゃあ俺、今日は帰るな」
俺がそう言ってドアを開けようとすると、桧山の声が呼び止めた。
「佐倉」
振り返って見た桧山は真顔だった。
玄関のオレンジ色の照明が真上から差し、その光が長い髪で陰影を作り、見知らぬ男の貌 のように見えた。
「有り難う」
一瞬だったが──目を奪われた俺は咄嗟に声が出せず、詰まった喉を抉 じ開けて返事をした。
「……あ、ああ。また、明日な」
「うん。また明日」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
帰り道、俺は茅野に『今から帰る』とだけ連絡を送る。
あとは帰ってから会うなり電話するなりすればいいと思った。
時間はそろそろ20時になろうとしていた。
自宅手前まで来た時、玄関に見慣れた人影が見えた。
門にもたれ掛かってぽつんと立っている。
「茅野」
その姿を見て何故か俺は、ひしひしと安堵が押し寄せてきた。
自転車から降りて人目も憚 らず抱きすくめる。
「わ、ちょっと、なんだよ佐倉」
案の定すぐに引き剥がされたが。
「ただいま」
「……お帰り」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
家に入ると真っ暗だった。
毎度の事ながら、まだ誰も帰ってきていない。
茅野を連れてそのまま俺の部屋に行く。
ローテーブルに向かい合って座り、俺は今日の経緯を茅野に説明する。
「──それで、金曜まで佐倉が桧山の右手の代わりするんだ」
茅野が腕を組んで難しい顔をしている。
怒っているわけでも拗ねているわけでもない複雑な表情で、茅野の感情が分からない。
とにかく難しい、顔だ。
「一緒に風呂入るのも、食事させてやるのも………仕方ない……んだよな」
そう呟いた後、茅野が思い切ったように顔を上げ、その勢いに任せて口を開く。
「佐倉、正直に言えよ。桧山にヘンな事されなかった?」
俺はてっきり茅野が、もの凄い嫉妬でもしてるのかと考えていたら、予想と全く違うことを言い出した。
「──いや?別に?」
正直構えていた分、拍子抜けした。
そんな事されるはずがない。
茅野じゃあるまいし。
そう、そんな事よりあいつは茅野を可愛いとかなんとか言って狙ってるみたいだった。
悪い奴ではないと思うが、それだけは阻止しなければならない。
「本当に?……でも佐倉、自分のことは絶望的に鈍いからなあ……」
「なんだよ、そうだよ。だから俺は、はっきり言われなきゃ分かんないって理解 ってるだろ。言いたい事あるなら言えよ」
どいつもこいつも奥歯に物が挟まったような言い方をする奴ばっかりだと思う。
「言う?……いや、でも……意識してない奴が知っちゃうと、認識した途端に現実になることがあるから口には出したくない。……大体俺たちが付き合ってるのも、そのせいだろ……やっぱり、口に出すわけにいかない」
茅野は独り言なのか、小さな声でぶつぶつ言っていてよく聞こえない。
「──分かった。信じるから、俺。佐倉のこと信じてるから、気を付けろよ」
「浮気疑ってんなら、とんでもねえぞ。俺よりデカイ奴に、そんな気おきるかって」
敢えては言わないが、茅野以外の奴なんて眼中にない。
それくらいは分かっていて欲しい。
「そうじゃない。佐倉。そうじゃないけど、とにかく、気を付けてくれよ」
俺にソノ気がない以上、何に気を付けろというのか。
いまいち釈然としないが茅野が必死なので頷く。
だが茅野はまだ暗い顔をしている。
「茅野、こっち来い」
「佐倉……」
茅野はずりずりと膝立ちで俺の元までやってくる。
その腰を取って向きを変え、俺の膝の間に収めて背後からすっぽり抱え込む。
「なに不安がってんだよ。そんな必要ねえだろ」
「うん……」
俺は茅野をさらに抱きしめ、白い首筋に顔を埋める。
くすぐったいのか茅野は少し身を竦めた。
そんな仕草が愛おしい。
俺は痕 がつかない程度に吸い付きながら、キスを繰り返す。
本当は自分のものだと主張するように、クッキリと痕を残してしまいたいのを堪 えて。
何度も首筋にキスしているうちに、茅野の身体が熱くなっていくのが分かる。
自分の手の中で、茅野が興奮していくことに興奮する。
頬に手を添え、俺の方に首を反らせると唇にキスをした。
その少し無理な体勢のままキスを続ける。
不自由なキスはお互いをより求めさせて、口元から雫が溢れ滴る。
「っ──あ、はぁっ」
唇を離すと茅野の喉から吐息が漏れた。
ぐったりと俺に背中を預けている身体を抱きしめ、その耳に吹き込むように囁く。
「ベッド行くぞ、留衣──」
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