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三匹のオオカミ 4
昼前の授業は体育だった。
桧山は見学をすればいいのに「今日は長距離走だから関係ない」と出席した。
走ったら響いて痛くないのか、と思う。つくづく体育会系野郎だ。
授業が終わり、クラスメイトと少しふざけていたら、気付くと茅野も桧山も居なくなっていた。
(先に戻ったのか)
桧山はともかく茅野にしては珍しいと思いながらロッカーへ向かう。
それに桧山は誰かに着替えを手伝って貰ってるんだろうか。
ロッカーに入ると生徒はあらかた出て行った後だった。
人に当たらないようにか、隅の方で茅野が桧山の着替えを手伝っているのが見えた。
(あ?いつの間に仲良くなったんだ、あいつら)
何か話しているが、小声の上ボソボソ言っているようで内容は聞こえない。
「……制してん……かな、それ……」
「……う思……たい……ら」
「茅……が……言……て正直、意外……よ?」
「……れは……あいつほど、優しく……ら……」
しかも二人とも傍目には笑顔で談笑してるが、なぜか雰囲気が張り詰めている。
俺は思わず近寄るのを躊躇 った。
入り口で固まっているのに先に気付いたのは桧山だった。
俺を指差し、満面の笑みで茅野に向かって言った。
「あ、彼氏来たよー」
そんな桧山を、あからさまに嫌そうに茅野は一瞥 する。
桧山は茅野の反応に気を害した風もなく、俺の方に歩いてくる。
「茅野に着替え手伝ってもらっちゃった。茅野サンキュー。じゃあ俺、戻ってるねー」
桧山はそのままスタスタとロッカーを出て行った。
「桧山になんか用があったのか?」
俺は着替えながら茅野に尋いた。
「別に、ただ喋ってみたかっただけ」
「ふうん」
ただ喋ってるにだけにしては剣呑 な空気だったが。
茅野から言わないなら無理に聞き出すこともない。
「そんな事より、あいつ相当腹黒いよ。マジで気をつけろよ」
「腹黒いのは知ってんよ」
俺は答える。
やっぱりただ雑談していた訳ではないらしい。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
今日で桧山の家に来るのも三日目だ。
帰ったら、まずシャワーへ直行。というのが効率のいい流れだとわかった。
右手にビニールの防水をして、浴室へ入る。
俺が桧山の背中を流していると、肩越しに少し振り向いた。
「佐倉ってさ、いま俺の右手だよな」
「今更なんだよ。そうだろ」
また何かくだらないことを言い出すのかと、おざなりに答える。
すると横顔の桧山の口が、いびつな三日月型に歪んだ。
「佐倉も男の子だからさ、右手がしなきゃいけない重要な役割、分かるよな」
「はぁ!?」
「俺、こう見えて割と薄いっつーか淡いっつーか?そんなに処理必要ないんけどさ、もう三日じゃん?流石にちょっと限界なんだよねぇ」
明らかにわざとぼやかして分かりづらく言っているが、こいつは今とんでもなく卑猥なセクハラをしてないか!?
「佐倉の手で、してくれる?」
「何を!?」
「何をって──」
桧山が顔を正面に向けた。
「……髭剃りだけど」
肩がフルフルと震えている。爆笑したいのを堪えているんだろう。
「──ッざけんな、お前。紛らわしい言い方してんじゃねえ!」
「紛らわしいって、どんな勘違いしたんだよ?」
「黙れ」
間違いなく意図的にミスリードを誘っておいてわざとらしい。
しかし引っかかる俺もよっぽどだ。
こいつにペースを乱されて、変に意識してる節がある。
(それだったら洗面所にシェーバーがあるじゃねえか)
あれなら左手だけで出来るだろう。上手には出来ないだろうが知ったことか。
どうせ髭剃りは口実で今のネタを言いたかっただけだ。
俺は桧山の訴えは却下することにした。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
食事はまたコンビニだ。
今日は桧山がパスタではなくハンバーグの弁当を選んだ。
単なる気まぐれらしい。
桧山の部屋に行って時間を過ごす。
桧山はベッドにごろりと横になっているが、俺は昨日より少し離れた壁に寄りかかって座った。
昨日のこともあるし、風呂でのこともある。俺はさすがに多少警戒することにした。
気を許すには危険すぎる相手な気がしてきたからだ。
テレビはついているがどっちも観ていない。
元々友人だったわけでもないので意識しないと世間話程度の話しかない。
だた変に意識をするとそれを逆手に取られて、どんな変化球が返ってくるか分からないので迂闊なことも話せない。
そんな当たり障りのない会話にも限度がある。俺は少し時間を持て余し気味だった。
「桧山、今日は薬飲んだか?」
「ん?さっき飲んだよー」
沈黙が流れる。
「さくらーぁ」
俺の気詰まりなど、まるで気にした様子もなく、桧山が気の抜けた声で俺を呼んだ。
「んだよ」
「髪がさー、うっとおしいんだよね。結んでくれる?」
そういえば前に学校で横の髪だけ集めて後ろで留めているのを見たことがある。
あれをやれって言ってんのか。
「うまく出来るか分かんねえぞ」
「いーよ、家だし。顔に掛かって来なきゃいいだけだから」
黒いヘアゴムを渡されて、ベッドから降りて座る桧山の背後に回る。
人の髪の毛なんていじったことがない。悪戦苦闘していると桧山が声を上げる。
「他人にさぁ、髪触られるのって、気持ちいいよねー」
人が変に引っ張って痛くないように細心の注意を払っているというのに、的外れな感想を言われ腹が立った。
いっそ毛を毟 ってやろうかと思う。
「知らねえよ」
「ええー?じゃあ俺が佐倉の頭、撫でてやろっか」
「絶対やめろ」
髪をなんとか結い終え、俺はまた壁際に戻った。
桧山はベッドには上がらずテーブルに頬杖をついて俺を眺めた。
「佐倉さぁ」
不満げな声でそう切り出す。
「俺のこと、避けてる?」
「べつに」
「俺のこと、嫌いになった?」
「べつになってねえよ」
「さぁくらぁー」
「あーもう──なんだよ!」
「……なんか、冷たい」
真面目に答えていて、ふと元より好き嫌いの範疇外 の付き合いしかないことに気付く。
(なのに、なんだこの倦怠期のカップルみたいな会話は)
桧山は大きな体で膝を抱えて丸くなっている。
俺に相手にされないからだと思うと少しだけ可哀想な気がしてくる。
(それにしても毎日毎日態度が全然違う奴だな)
どれが本当の桧山なのか、俺には分からない。
「俺……佐倉のこと何にも知らないから、もっと色々話して知りたいのに」
知らないのは俺だって同じだ。
「……何が、知りたいんだよ」
「じゃあさぁ、佐倉はいつから茅野と付き合ってんの?」
「はぁ?他人絡めてくるのは止めろよ。俺だけの問題じゃないことは話せねえよ」
「それじゃあ佐倉は茅野のことが好き?」
「それも一緒なんだよ」
さっきから茅野、茅野って俺のことじゃなく、もしかしたら茅野のことが聞きたいのかと勘ぐる。
だが次の質問は違った。
「──分かった。なら佐倉に好きな人は、いる?」
「……いるよ」
それを聞くと、まあそうだよねーと桧山は微笑する。
穏やか過ぎる笑顔っていうのは淋しそうな顔と似ているんだなと、何故かそう思った。
「佐倉、痛い……」
「なに、手?痛み止め飲んだんじゃなかったのか」
「飲んだけど、痛い。撫でて」
そんなことは、ここ三日間に言われたことはなかった。
しかし患部を他人の手で触れられると、確かに痛みが和らぐ気がするのは分かる。俺は桧山の隣に移動した。
俺より一回りは大きい手を取って、手首を包むように、そっと手を当てる。なんとなく熱を持ってる感じだった。
それを俯いて見る桧山の右側の髪が一房、さっき留めてやったところから外れて顔に垂れた。
(やっぱ上手く出来てなかったんだな)
鬱陶しいだろうと思って手を伸ばし、それを耳に掛けてやる。
間近に見て綺麗な顔だな、と改めて思う。彫像のような男らしさを持った、端麗さだ。
そしてまた右手首に手を添える。その上に桧山の左手が重なった。
俯いたままで桧山が低く呟く。
「なあ佐倉」
「なに」
「俺にしない?」
「は?なにを?」
意味が分からず顔を上げると、真剣な表情の桧山と視線がぶつかる。
「佐倉の好きな人やめちゃって、俺のこと好きになんない?」
「な……に、馬鹿なこと言ってんだよ」
笑い飛ばそうとしたが、突き刺さるように真摯 な桧山の瞳の前に上手くいかない。
それでも今ここで無言になるのはもっとやばいと思った。俺は言葉を続ける。
「お前、言って良い冗談と悪い冗談が──」
「冗談で言ってるように見えんの?これが」
遮って放つ声はいっそ冷淡ですらあるくせに、俺を見据える眼差しが燃え上がるように、熱い。
……きっと、これも俺を揶揄 って楽しんでるんだ。絶対そうだ。
俺が過剰に反応したら爆笑するつもりだろう?
それなら、もう充分だから。相当、度肝を抜かれたし、今なら笑って許してやれるから。
早くいつもみたいに、わけの分からない笑顔で煙 に巻いてくれ──。
だが俺の耳に残酷とも言える言葉が入ってくる。
「佐倉が真剣になんなきゃ伝わんないって教えてくれたから、真剣に言ってんだよ。俺、佐倉のこと好きになった」
自然と体を引こうとして桧山の左手に強い力で掴まれる。
「逃げんなよ」
痺れるような力で拘束するその手とは裏腹に懇願するような声だった。
「話がしたい……だけなんだ」
「分かったから手、離せ」
桧山は素直に俺の手を解放した。
「……俺は茅野と付き合ってるよ」
桧山は分かっているんだろうが、俺がはっきりと認めなかったことを事実として告げる。
こんな形で言うことになるとは思わなかった。
「佐倉……」
「お前が俺を好きだって言うんなら、当事者だろ。だから話してんだよ」
桧山が真剣に好きだというなら俺も真剣にならざるを得ない。
「うん」
「だから、お前の気持ちに応えられない」
目を見てそう言うと桧山は力なくあはは、と笑った。
「……告ったのも、フラれたのも人生初なんだよね。あ〜これが、因果応報ってやつ?」
軽い口調が胸に刺さる。
けれど仕方がない。
「大丈夫、俺、立ち直るの早いから」
「……だろうな」
「ひっで。強がってんの分かってよ」
「分かってるよ」
あはは、とまた桧山は笑った。
「佐倉はどこまでも優しいなぁ。そんなんじゃ茅野、可哀想だよ?」
「どういう意味だよ」
「今日は教えてやんない」
どうやっても、今は無理をしてるようにしか見えない。
実際そうだろうし、俺には言ってやる言葉がない。
少し考えて、口を開いた。
「桧山、明日はもう来ない方がいいか?」
「えー?なんでだよ。逆だよ逆。最後なんだから来てよ。世話とかいいから。明日は来るだけで──いいからさ」
それで桧山は辛くないんだろうか。
桧山の希望が来て欲しいと、そう言うならそうしてやるが。
「でも、今は少しだけ辛いかな。勝手言って悪いけど、今日は一人にして?」
「分かった、帰るよ」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
俺は桧山と玄関で別れて外に出る。
自転車を押して門をくぐると、学校の方角から自転車でこちらに向かってくる人影があった。
二軒ほど先で止まったのは同じ制服の男だった。何故かこちらをじっと見ている。
俺は不審に感じたが別に俺を見ているわけじゃないだろうと思い、そのまま前を通り過ぎようとしたところで声を掛けられた。
「佐倉?」
「え?」
改めて人影を見てみると、それは──遠藤部長だった。
「え?なんで部長がいるんすか?」
呆気に取られた俺は間抜けな質問をする。
なんでもなにもない、帰って来たということは家なんだろう。
案の定、遠藤部長は苦笑して言った。
「俺ん家、ここだからな。佐倉、いま凪の家から出てきたよな」
「凪?あ、桧山か。遠藤部長、桧山と知り合いなんですか」
まあこれだけ家が近くなら全く知らないはずがないだろうが。
「凪が言ってないのか。俺と凪は従兄弟なんだよ」
従兄弟……確かにPC部に先輩の従兄弟がいるとは言っていた。
まさか部長とは思わなかった。
だが、桧山の顔立ちを思い出して納得する。そっくりではないが、言われてみれば、似ている。
──男前なはずだ。
「それより佐倉、凪が面倒かけてるみたいだな、今日聞いたんだ。済まない。あいつ怪我のことウチには一言も言わなかったから」
「怪我の原因は俺ですから。それに部長が謝ることじゃないし」
部長が言うには、糸目先輩から
『佐倉のクラスメイトが怪我をして、一人暮らしで不自由だから手伝う』
という理由で部活を休むと聞いて
『高校生が一人暮らしで佐倉と同じクラスの奴なんて凪しかいないんじゃないか』
と思ったそうだ。
それで茅野に確認したところ、やっぱり桧山だと判明したというわけだ。
(茅野も遠藤部長と桧山が従兄弟と知ってびっくりしただろうな)
「ああ。でもそんな大変な事になっておいて、すぐ隣にウチがあるのに報告もしないのが問題なんだよな」
と苦い顔をして部長が言う。
「あいつんち今年の四月から、父親の仕事の関係で海外赴任になったんだ。でも凪が日本の高校行きたいって言い張ってさ。付き合いあるなら分かるだろうけど、あいつフラフラしてるから信用できないだろ。だからウチが監視兼保護するってことで一人残ったんだ。素行不良なら強制的にウチに同居させるって約束付きで。あいつ、俺と俺の母親が厳しいって嫌がってるから」
そういう経緯があって家庭の事情と言っていたのか。
俺の考えてたのと少し違ったが、言いたがらない気持ちは分かった。
(……部長、生真面目そうだもんな。桧山とは正反対かも)
それに、怒るとかなり怖いのも知っている。
「凪にはお灸を据えてやらないとな」
俺が言うのもなんだが、それじゃ泣きっ面に蜂だ。
桧山が可哀想になった。
「あんま、キツく叱らないでやってくれませんか。怪我して少し気が弱くなってるみたいだから」
ほぼ俺がヘコませたようなもんだけど……。
「そうか?世話になった佐倉がそう言うんなら今回は見逃してやるか」
是非そうしてやって欲しい。
「ああ佐倉も、もう凪の面倒見なくて良いからな。本当に手間を取らせたな」
「でも明日も行くって約束したから。少なくとも俺、明日までは通いますよ」
「佐倉は良い奴だな。そうか、明日までか……」
遠藤部長は何か考えているようだった。
「ああ、引き留めて悪かったな。もう帰るんだろ、気をつけろよ」
しかしすぐ部長はそう言って俺に向き合った。
「はい。じゃあ失礼します──」
俺は夜道を一人家に向かう。
色んなことが一度にありすぎだ。
『俺、佐倉のこと好きになった』
桧山の声が耳によみがえる。
茅野の『気をつけろ』はこのことを言っていたのか。
だとしても、こんなの気の付けようがないじゃないか
それに、勘が良すぎやしないか。
それとも──やっぱり俺が人より鈍いっていうのか。
鈍いっていうのは、それだけで周りの人間を傷つけるもんなのか──。
(初めて振られたって言ってたけど、俺だって男を振ったのなんて初めてだよ桧山)
俺は少し感傷的になりながらノロノロと自転車を漕いだ。
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