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第3話
「ネズミの国と絶望ハイランド、どっち行きたい?」
突然よりちゃんが言い出したのは遊園地の名前だ。
「まあ、後の楽園でもネズミの海でもいいけど?」
「その中だったら、ネズミの国かなあ」
気が合うな、と言って笑う。どれを選んでもそう言ったと思うけど。
「明後日決行な」
「やったー!」
今日も夜にバイトの終わったよりちゃんの部屋に来ていた。
会いたい、って言ってくれるのはいつもよりちゃんだし会って楽しくなかったことなんてない。
学校の友達より気が合うんじゃないかと思う。
俺はよりちゃんが好き。それは間違いない。
それに、もういっぱい……キスしてる。それもただのキスじゃない。あんなキスをしておいて今更よりちゃんが男だからとかは問題じゃない気がする。
でも正式に付き合ったら、なにが変わるんだ。それが分からなくて不安なのと、好きと甘えの違いがはっきりしないから自分の気持ちに自信が持てない。
よりちゃんの腕が俺の肩に回って引き寄せられた。
「わっ」
「またなんか考え込んでんな」
そう言って俺の額を指でこする。
「眉間にしわ寄ってる。まあ、俺のせいだよな……ごめんな」
「違う。よりちゃんは何も悪くない」
また心配させてしまう。そんなつもりは本当にないのに。
俺は甘えたくなって、よりちゃんにもたれかかる。よりちゃんは受け止めてくれる。
自分の気持ちの整理がつかないまま、このまま好きと言葉に出してしまおうかと考える。それでなにかが変わって答えが出るだろうか。
顔が近づいてくる気配がした。俺はその鼻先に頬を摺り寄せる。よりちゃんは目を細めて俺を撫で、キスをした。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
今日のネズミの国は何だか眩しい、視界がキラキラして見える。もう家族や友達と何回も来ているのにそんな事を思ったのは初めてだ。
……間違いなく、よりちゃんと来ているせいだ。それになんだか今日はいつも以上に格好良く見える。
黒のVネックのタイトなシャツとスリムジーンズで体の線がはっきり出ている。そのせいなのか、海みたいに上半身裸の時より服を着ている方が色気が滲み出ている気がする。
(元々手も足も長くてスタイルがいいから、きっとその方が引き立つんだ)
ポロシャツが多いよりちゃんがこの服を着ているところは初めて見た。
お姉さんたちの視線がこっちに集まってる気がする。
(そんなはずはない、みんなネズミを見てるはずだ。ここは海とは違うんだ)
でも俺はなんとなくモヤモヤした気分になって、よりちゃんの手を握る。そんなことをしたってどうせ保護者と来た子供にしか見えないことは分かってる。
よりちゃんが少し驚いた顔をして俺を見た。
「……嫌?」
「そんなわけないだろ」
最上級の笑顔を見せて、指を絡ませ恋人繋ぎに手を繋ぎ直された。今度は俺がびっくりする。
「嫌?」
片眉を上げたよりちゃんに聞かれる。
「……そんなことない」
ただ少しドキドキするだけだ。
アトラクションのほとんどは二時間待ちか、それ以上の長蛇の列だった。
でも俺はよりちゃんが面白いから時間なんか全然気にならなかった。よりちゃんは俺といるだけで楽しいから待ち時間なんて関係ないと言っている。
俺たちは同じことを言い合っている。それが相性が良いって事なら抜群なんじゃないか、と思った。
広い園内を歩き回って時々休憩して、アトラクションに並んで。それを数回繰り返したらもう日が暮れた。
夜の帳 が訪れ、おとぎ話の世界に幻想的なイルミネーションが灯る。ネズミの国はそこからが本番だ、本当に別世界に来たようになるこの時が。
家族連れもカップルも友人同士もまだ周りに大勢の人がいる。だけど顔の見分けもつかなくなった今、ただのこの世界の住人だ。
別の世界から来ているのは、俺とよりちゃんの二人だけ。
(──乙女チック過ぎないか俺)
遠くに見える蒼白く優雅なお城を眺めながら冷静な俺がそう思うが、お城が見えてる時点で異世界以外の何物でもない。そう自分に言い訳する。
俺は歩きながら昼間より少し寄り添うように近づいた。気付いたよりちゃんが手をぎゅっと握って応えてくれる。
ここに着いて手を繋いでから一日中それが当たり前のように結ばれている。触れ合っていた時間だけなら今日が一番長い。それは少しも嫌なことじゃなかった。
俺は隣にいるよりちゃんを見上げる。
夜になって吹いてきた涼しい風に黒い髪が揺れている。
通りの向こうから近づいて来るきらびやかな電光色に囲まれて手を振っているマントを纏った人よりも、まっすぐに伸びた背筋で正面を見る横顔の方が凛々しいと思った。
「……よりちゃん王子様みたい」
そんな言葉が思わず口を突いて出た。
すぐに、なに馬鹿な事言ってんだと後悔する。でも出したものは戻せない。
(乙女モードが極まって、場所柄そんなチープな連想をしたんだって分かってる……だからどうか突っ込まないで欲しい!反省してるから!!)
願いが通じたのか、よりちゃんは爆笑しないでくれた。いま笑われたら本気で自己嫌悪に落ち込むところだった。
チラリと目線だけを俺に送ると人混みの列から離れて少し薄暗い方へ歩いて行く。どこへ行くのかと思っていると人気 の途絶えた建物の、壁の前に俺を立たせて片手を着いた。
「那月の王子様にだったら、なりたいよ?」
俺の言った陳腐な言葉を笑うどころか殺し文句にすり替えて、甘い声色でそう囁いた。それから屈んで口づける。
よりちゃんの肩越しにパレードの終わりを告げる花火が登っていく。キラキラと輝く光の粒が降り注ぐ。それを瞳に映しながらこんなに甘くキスされているのは俺だ。
なんだこのシチュエーション、映画やドラマみたいだ。まるで現実味がない。
それこそお姫様みたいに甘やかされて優しくされているのが自分だということが理解できない。
──これで落ちない奴なんていないんじゃないか。
俺は痺れて回らなくなった頭で他人事 のように、そう思っていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
そろそろ宿題を片付けていかないと危なくなってきた。特に英語が苦手だから時間が掛かる。
それをよりちゃんに言うと、見てやると言ってくれた。
だから今日は午前中からお昼にバイトに行くまでの時間、よりちゃんの家で勉強会だ。
現役大学生が勉強を見てくれるのは心強い。
「質問一回につきキス一回な」
だけどよりちゃんは、そんな交換条件を出してきた。
「ええ!?そういうのアリ?」
「そうしないと自分で考えないだろ。お前の為に言ってんだよ」
「べつに俺、よりちゃんとキスすんの嫌じゃねーもん。だから、抑止力にはなりません」
言われっぱなしが悔しいので俺も言い返す。
「へえ?」
よりちゃんが片眉を上げた。
「──じゃあもう体験版終わりにする?」
冗談とも本気ともつかない表情でそんな事を言う。
体験版が終わったらどうなるのかを想像して、胸の動悸が激しくなる。
よりちゃんが俺の両脇に手をついて身を乗り出した。一気に距離が近づく。
「よ、より、ちゃん?」
そのまま顔を寄せ唇が触れる寸前まで近づいて誘惑するように囁く。
「好きなんだろキス。だったらしよう?」
(好きだとは言ってない……!でもそれより、そんな所で止まんなよ!)
するならするでされてしまえばまだしも息がかかるくらい近くで俺からするのを待つように寸止めされて、もう心臓が破れそうなくらい早く脈打ち続けてる。
(ずるい、よりちゃん!)
よりちゃんが少しだけ動いて唇を掠めた。
それだけで俺は体がビクンと反応して目をぎゅっと閉じる。
「かわいい、那月……好きだよ……」
片手で背中を支えられるように押し倒された。
「ん、……んぅ……ん……っ」
この間、制限の一部を解放したせいで舌が俺の唇を割って入ってくる。
「あ、はぁ……っ……う……ふ、ぁ……」
柔らかくて、優しくて、いやらしい、その動きに抵抗することなんて出来ない。絡んで舐め尽くし、出て行くよりちゃんを思わず追いそうになる。
そんな俺の欲望が分かってしまったのか唇を離し代わりに額をくっつけて言われる。
「那月……そのまま舌出してみな?」
「──そんな、の……」
「気持ちよく、なりたいだろ?」
「……っ」
よりちゃんに抗えない。強要なんてされてないのに。こんなこと恥ずかしいと思うのに。それに──。
(カラダが……熱い……これ以上しちゃダメだ)
なのに優しく頭を撫でる手の感触に神経を奪われる。自分が自分のいう事をきかない。
結局、俺は望まれるままに差し出す。
よりちゃんの舌がそれを掬い取り、甘く絡み合って睦み合う。
思いきり吸われたあと自分の舌でもさわれないくらいに深い所に舌を差し込まれて、苦しいけど仕草はあくまでやさしい。
キスが深くなればなるほど求めたくなる。止められなくなる。俺が俺じゃないみたいに。
(よりちゃんのキス……気持ちいい……)
顔を離したよりちゃんが、俺を見下ろす。
「……那月の顔、やらしくなってる」
「……そういうこと、言う……なよ」
考えてることがそのまま顔に出てる、と言われたみたいで居た堪れないくらい恥ずかしくなる。
「でもこれ以上は俺が我慢出来なくなるから、ここでストップ。惜しいけど。前払いしてもらったから質問は何回してもいいよ」
そんなことを言って起き上がる。
今の俺は言われたらきっとされるがままになっていたと思う。押せば流されるのを知ってるのにそうせずに歯止めを掛けてくれたんだ。
大人のよりちゃんにまた俺は甘え切っている。そう思った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
昼過ぎに、バイトが終わったよりちゃんと公園で待ち合わせをした。
この暑いのにバドミントンがしたいと言われたからだ。
考えてみたら少しの時間でもほぼ毎日会ってることになる。それでも会うたびにもっと一緒に居たいという気持ちが強くなっていく。
(バイト以外の時間はみんな俺に使ってないか)
よりちゃんも俺と同じ気持ちなんだろうか──。
木陰のベンチで待っていると、よりちゃんが道具を持ってやってきた。
「こんな暑いのに、なんでバドミントンなんかすんのー。死ぬよ?」
冗談半分に俺は不満を口にした。
するとよりちゃんは大真面目に言った。
「俺はなあ、お前が想像もつかないくらい重い重圧に毎日毎日、耐えてんの。運動以外じゃ発散できないんだよ」
「……そんなにバイト辛いの?」
それならバイトを変えた方がいいと思う。
「バカ、そんなんじゃねえよ。お前にも責任の一端があるんだから付き合え」
「ええ?俺のせい!?」
「いいから。やるぞ」
強引に俺を立たせる。
でも始めてしまえば結構本気になってしまう。コツを掴んで段々ラリーが繋がってくるようになると、思った以上楽しくて夢中になった。
暑さのせいでじっとしててもただ出る汗と違って、運動で掻く汗は実際に気持ちいい。
俺が少し遠めに打った羽をよりちゃんが飛び込んですくい上げるように返した。力が入り過ぎたのか、俺を通り越して後ろの木の枝に引っ掛かる。
「これ、俺のポイントー!」
そう言って俺はその木に走った。ラケットを羽に向けて何度も飛び跳ねるが後ちょっとで届かない。
後ろからよりちゃんがスタスタとやって来て、それをヒョイと取り俺に渡す。
羽を手に受け取って、既視感に捉われた。
俺はその場で公園をぐるりと見渡す。
「──あそこだろ、紙飛行機とってやったの」
よりちゃんが低い木をラケットで差した。既視感の正体が分かった。
(そうか、子供の頃今みたいに木に引っ掛かった紙飛行機をよりちゃんに取って貰ったんだ)
「よく、すぐに分かったね」
「あん時もお前、蛙みたいにピョンピョン飛び跳ねてたからな。一瞬で思い出した」
蛙は余計だ、と思って見上げる。紙飛行機を取ってくれた時のお兄ちゃんと同じ顔でよりちゃんは笑っていた。
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