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第5話

「……名前を呼んでくれ」 「え、あ……はい……」 ……緊張します。確実に脈拍が上がっているのを感じました。僕は眼前にある佐伯さんの双眸をじっと見つめ、ぎこちなく口を開きました。 「……は、治……信、さん」 その名を口にするのは、実はこれが初めてではありません。何年も前から幾夜も、白河夜船の佐伯さんに囁いてきました。……許されるのであれば、情愛を込めてそう呼ばせてほしい。ずっとずっと、そう願いながら、ぐっすりと眠る彼を起こさぬよう、寄り添うようにささめいていたのです。 が、目を覚ましている佐伯さんを前にすると、上手く声が出ませんでした。喉奥でつっかえるというか、震えるというか……とにかく、情けないことになりました。 「もっと、はっきり呼んでくれ」 「……うぅ」 厳しく、けれどもにやにやとしながら言われ、僕の目線はおろおろと彷徨います。心臓がどきどきして、どきどきして、破裂しそうで、顔どころか身体中が熱くて、ひいたはずの汗がぶり返してきました。 佐伯さんはそんな僕の顎をやんわりと掴み、まるで銃の照準を合わせるように、僕の両眼を細い目でしっかりと射抜いてきました。鋭さと愉悦がない交ぜになった眼差しが、僕を追いつめます。 「……統」 「あ、う……治信、さん」 先ほどよりは大きく、はっきりと言えた気がします。彼の吊り上がったまなじりが、嬉しそうに細まりました。 「もう一度」 「は、治信さん……」 「もう一回」 「……治信さん」 「もっと」 「いや、て、照れます……も、無理……」 かぶりを振りながら、悲鳴に似た声で言えば、佐伯さん――もとい治信さんは、悪戯っ子よろしく笑いました。そして、恥ずかしさのあまり呻くような声を洩らす僕の頭をぽんぽんと撫で、自らの胸におさめると、「じきに慣れる」と言ってつむじに口づけされました。

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