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第10話

「坊っちゃん、とてもよくお似合いですわ」  まるで七五三みたい、とエティは続ける。 「七五三って、それ全然褒め言葉じゃないんですけど」  やっとの思いで探し出した服は、スキニージーンズとVネックのティシャツ、そして少しだけゆとりのある薄手のカーディガン。結局、約束の時間までに見つかった「まともに着られる服」がこれだった。バッグは黒の本革のショルダーバッグをエティがどこからか探して持ってきてくれた。その中に昨日獅子雄から送りつけられた携帯電話と、ベッドのサイドチェストに入れっぱなしだった現金を入れる。親父から投げ捨てられた現金とは言え裸のままバッグに詰めるのも忍びなかったから、適当に開けた段ボールに詰め込まれていた財布(財布だけでも五つくらいあったからその中のひとつを選んだ)に入れて、バッグの中に放り込む。準備も調い後は獅子雄を待つだけとなったそのタイミングで、先程投げ入れたばかりの携帯が震えた。取り出し、通話ボタンをタップし耳に当てる。 「獅子雄様ですか?」  エティの投げかけに視線だけで頷き電話に応答すると、既に門の前で待っているとのことだった。通話を終え、携帯をポケットに捩じ込む。 「獅子雄、もう待ってるみたいだから、行ってくるね」  車まで見送ると言うエティを断り、俺は部屋を出た。  玄関の扉の前で、努めて長く息を吐く。意図せず獅子雄の顔が脳裏に色濃く浮かび、強く頭を振った。静まれ、静まれ、と何度も念じる。二度大きく深呼吸をして扉を開ければ、目の前では既に時永がわざわざ後部座席の扉を開けてまで待ち構えていた。 「…ありがとう」  時永に礼を言い車に乗り込むと、銀縁眼鏡はかけていないものの整った顔を全開にしたままの獅子雄が悠々と脚を組んで座っていた。その膝の上にはノートパソコンが置かれ、俺にはちらりとも目もくれなかった。それが何というわけでもない。ただこういう態度がいけ好かないというだけで。 「お車、出しますね」  素早く運転席にまわっていた時永の声を合図に、車は静かに発進した。 「よくお似合いですよ、坊っちゃん」  その声を聞き視線を前に向けると、バックミラー越しに時永と目が合った。 「ああ……ありがとう………」  別に女じゃあるまいし服装など褒めなくても構わないのに。しかし例えそれが世事だとしても、褒められて悪い気はしない。隣の獅子雄はそんなこと気にも留めずに、得意の無言無表情を決め込んでいるから俺は手持無沙汰に窓の外を眺めた。久しぶりの景色だ。 (変なの………)  窓に反射する獅子雄の横顔を見る。傍にいないと獅子雄のことばかり考えるのに、一緒にいるとイライラする。変だ、こんなの。本当に変。  顔を窓側に向けたまま、ゆっくりと目を閉じた。視界が遮断される寸前に窓越しに獅子雄と目が合った気がしたけれど、きっと、俺の気のせいだ。 「着きましたよ」  時永に促されて車を降りると赤茶色のレンガ調のビルがあり、その一階には獅子雄がオーナーを務めているという高級ブランドショップがあった。獅子雄に拾われなければ、こんな店出会うことすらなかっただろう。 「俺、別に安い店で良いんだけど」 「服なんて何処も似たようなものだろう」  獅子雄は俺を先導して店のドアを押す。 「似たようなもんって………」  仮にも自分の店なのに。  あまりに己の存在が場違いに思えて尻込みしたけれど、店の前でいつまでも立ち尽くしている訳にもいかず思い切って獅子雄の後に続く。広い店内はBGMも流れていなければ客も居らず、その代わりと言ってはなんだがスタッフ証を首にぶら下げた十数名がずらりと列をなし待ち構えていた。そしてあろうことか、その全員が獅子雄に向かって深々とこうべを垂れていた。軍隊並みに頭の位置が揃っていて気持ち悪いくらいだ。オーナーという人間はそんな偉いのだろうか、よそ者の俺から見れば頭がおかしいとしか思えない。そんなことを考えながら獅子雄を見やれば、どうやら俺と同じような心境だったらしく居心地悪そうに眉間に深い皺を寄せていた。 「椿」  しかめっ面の獅子雄に呼ばれて、急いで獅子雄の(もと)へ駆け寄る。整列するスタッフ全員からの痛いほどの視線が全身に突き刺さる。好奇の目だ。その視線を避けるように、獅子雄の背広の裾を掴んでぴたりと張り付き身を縮めた。 「――時永」  いつからそこにいたのか、俺の背後から静かに時永は現れた。獅子雄は時永に何かを耳打ちすると、今度は時永が白髪まじりの店長らしき男に何かを耳打ちしていた。いい大人の伝言ゲーム。それを静かに見守っていると、店長らしき男の指示で店内にいたスタッフは一斉に奥へ引っ込み、気付かぬ内に時永までいなくなり、ついには俺と獅子雄のふたりきりになった。痛いほどの視線から解放され、ほっと胸を撫で下ろす。 「何、あの人たち。気持ち悪い」  安堵しつつも警戒心を解き切らず、依然獅子雄の背に貼り付いたままだ。 「悪かった。店を貸し切っただけだったんだが、どういう訳かスタッフ全員ついてきた」 「お前が貸し切ったりするから、全員ついてきたんだろ」 「全員帰らせた、ゆっくり選べ」  獅子雄はあっけらかんとしている。俺は開いた口が塞がらない。 「帰らせたって、おまえ、ちょっと勝手すぎるだろ。それで大丈夫なのかよ」 「いた方が良かったのか?」 「いや、そういうんじゃないけどさ…………いや、いいや、やっぱり帰らせて正解かも。あんなにじろじろ見られたくないし」  あの好奇の目を思い出すと、ぞわぞわと背筋が震えた。獅子雄は満足そうに頷いた。貸切は大袈裟だけど、もう余計なことは言わない。 「適当に選べ。これはおまえにやる」  そう言うと獅子雄は一枚のカードを差し出した。黒く輝いている。 「なんで? こんなの受け取れない」  予想だにしない展開に驚き、それを獅子雄に突き返してもまったく応じるつもりはないらしい。確かに、少し前まで獅子雄を上手く利用できたらと考えていたけれど、俺の予想を遥かに上回るほどこんなにも惜しげなく(それこそ湯水のように)金を使い、更にはクレジットカードまで渡されてしまうとこちらの常識や良心がそれをよしとしない。出会って数日もない俺みたいな子供に、ここまでしてしまうのはおかしい。 「本当に、いらない。カネも多少は持ってるし、そうでなくてもこんなカードまで受け取れない」  獅子雄の手を押し返してそう告げると、獅子雄がぴくりと反応した。 「カネを持ってる? どういうことだ」 「ああ…………」  俺は言葉を濁す。獅子雄に拾われたときの俺は手ぶらに見えただろう。尻のポケットに現金を(しかも数十万単位)入れていたなんて思ってもみなかっただろう。そのくらい、俺はぼろぼろだった筈だ。  恐る恐る獅子雄の顔を見る。訝しむような、何かを考え込むような表情だ。今まで黙っていたことを怒るのだろうか。 「あの、退院する時に親父から…………きちんと数えてはないけど、たぶん九十万ちょっと、あると思う。世話して貰ってるのに、今まで黙っててごめん」  正直に白状し、俯きながら反応を待つ。しかし獅子雄は俺の腕をつかんだまま動かない。その沈黙が気まずくて俺はつい饒舌になる。 「獅子雄にさ、渡そうとも考えたんだけど……でも、おまえにとっての百万って微々たるものかなって………たぶん、小遣いにもならないと思って。でも、渡した方がいいなら渡すから」  ちらりと視線を寄越すと、獅子雄は俺の話も聞かずに何やらまだ考え込んでいるようだった。その表情の真意は読み取れない。 「……獅子雄?」 「――持っていろ」 「え?」 「その金だ。これからもおまえが持っていて構わない。ただ、俺がおまえを拾った。俺に養われている以上は俺の金を使え」  獅子雄はまたもや俺にカードを突きつける。無理やり握らせることはせず、俺が受け取るのを待っている。 「………俺、本当に獅子雄のこと理解できない……………」  不本意だが、どちらかが折れないとこの攻防は延々と続くのだろう。俺は渋々カードを受け取った。 「本当にいいのか。このカードなきゃ、獅子雄は困るんじゃないの?」 「気にするな、まだある」 「…………ああ、そう」  聞くんじゃなかった。他人に預けるくらいだ、このカード一枚、獅子雄にとっては取るに足らないものなのかも知れない。俺は獅子雄のもとを離れ、静かな店内で服を物色した。

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