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第13話
俺の手を握る獅子雄を振り払い、両手をゆっくりと獅子雄の首に充てた。ゆるゆると、それでも確かな力を込めて獅子雄の首を囲う。
「……絶対って、言ったからな」
「ああ」
「もし、おまえ、俺のこと捨てたりしたら、」
震える喉で、大きく深呼吸をする。
「おまえ、殺すからな」
獅子雄は一瞬だけ間を置いてから、わかった、と頷いた。
「約束やぶったら、ぶっ殺す。本気だからな。おまえ、俺のこと裏切ってみろよ、殺してやる。絶対に殺してやるからな」
脅しなんかじゃない。本当に殺してやる。親指から一本一本着実に力を込めていくと、どくんどくんと脈打つ振動が伝わった。獅子雄は相変わらずの表情で俺を見ている。全ての指に有りっ丈の力を込めると、その指の隙間から獅子雄の薄い肉が零れた。
「俺をひとりにするな!」
叫ぶと、瞬時に獅子雄の長い腕が伸びてきた。その腕は迷いなく俺の首を目掛けて、そして一気に絞めあげられた。喉が細く風を切り、ひゅっと鳴いた。
「………ひとりにしない、約束する」
その言葉を合図に、全身が一気に脱力した。獅子雄の首から手を離すと同時に俺の気道も解放されて、緩い咳を繰り返してそのまま獅子雄の胸に身体を預ければ、静かに優しく抱き締められた。
洪水のようだった。ダムの決壊だ。獅子雄の胸ぐらを掴みながら、わんわん泣いた。涙の洪水は、記憶と共に悲しみや恨みまで運んでくる。まだ幼い自分と、優しかった両親との幸せだった日々。愛情深く美しかった母親、そして死んでしまった日のこと。憔悴する父親、暴力に苦しんだこと、新しい母親と、血の繋がらない兄妹。そして無視され続けることが日常になってしまったこと。
どうして今更、こんなにも泣けてくるのか。
「椿……」
背中に回る腕があたたかくて、堪らず縋りついた。みっともないほど必死になって、情けないくらいに。ありったけの力を込めて、必死にしがみつく。もう二度と、離してなんかやるもんか。
どのくらいの時間、そうしていただろう。俺は依然、獅子雄の腰にきつく腕をまわしたまま広い胸に額を擦り付けた。まるで、猫のするそれみたいに。獅子雄も俺の背に手を置いて、じっと動かずにいる。目は腫れぼったく感じるものの、涙は完全に引いていた。そうして改めて冷静になってみると今の状況の異常さに気付き、照れくさくなって獅子雄の腰から素早く手を離した。すると獅子雄の腕により一層力が入り、俺を強く抱きすくめた。俺はそれを拒否もせず、獅子雄の肩口に顔をうずめ静かに呼吸を繰り返した。獅子雄も同じだ。静かに呼吸をしている。胸をかき乱されるような、だけど安堵したような。妙な気持ちだ。だけど、嫌じゃない。
(………嫌じゃない)
獅子雄の肩にそっと触れる。
「獅子雄、もう、いいから。大丈夫」
肩を叩き、もう片方の手で胸を突き返すと、今度はすんなりと離れて行った。ふたりの間に風が抜けて、少しだけ寒く感じた。俯き加減で獅子雄と少し距離をとる。俺は気恥ずかしくて顔を見ることができないのに、獅子雄はじっと俺を見詰めていた。
「見るな」
「いいだろう、見るくらい」
「なんだよ、俺が安心できるように、何だってするんじゃなかったのかよ」
「俺が見てると、安心できないのか?」
「できない」
「どうして」
「どうしてって……」
みるみる内に全身は熱を持ち始め、それはひと際顔に集中した。それを見て獅子雄が笑うのが分かったから、ますます俺は熱くなる。
「うるさい、おまえ、本当きらい」
傍にあったクッションを獅子雄の顔目掛けて投げつけ、俺は走って部屋を出た。胸が苦しい。心臓がうるさい。イライラするし、本当に腹も立つけど、でも。
廊下の突き当たりまで走ると、エティがいた。
「あらあら、坊っちゃん、そんなに急いでいかがしました? お部屋の件は決まりましたか?」
「ああ、うん……」
俺は大きく息を吸う。獅子雄といると本当に腹が立つ。でも。
「……部屋、今のままでいいや。獅子雄と一緒でいい」
それ以上に、安堵した。ここにいて良いと言ってくれたこと、ひとりにしないと約束してくれたこと。俺はきっと期待している。獅子雄なら、本当に俺を救ってくれるんじゃないか。本当に、傍にいてくれるんじゃないか。俺は強く期待している。この僥倖が、幸せのようなもの全部が、俺のものになったらいいのに。もう、失うのは懲り懲りだ。獅子雄なら、きっと俺のことを受け入れてくれる。これは願いだ。そして、祈りだ。
「あら、それは獅子雄様もお喜びになりますわね」
その時のエティの笑顔があまりに綺麗だったから、俺も堪らず口元を綻ばせた。エティの笑顔と同じように、俺も綺麗に笑えてたらいい。
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