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第18話

「思ったより聞き分けは良さそうだな」  蛇男によってきつく拘束されていた手首が解放され、肩を抱く腕の緊張も解けたのが分かった。 「まっ、色々と納得できない椿姫の気持ちは、よおく分かる。だからまあ、俺の口から説明させて。これも仕事の内なんでね」  オーケー?と蛇男は俺を見る。オーケーなんてことあるか。そもそも仕事とは何の話なのかさっぱり分からない。本音としてはそう言いたいところだが、そうしたところで話は進むかと聞かれればそうではないだろう。 「立ち話もなんだから、どっか移動しよっか」  校舎の正面玄関から左に逸れると、広い中庭があり、その真ん中に小さな噴水、その周りにそれぞれ色違いのベンチが四つ置いてあった。俺たちは連れ立って一番近くにあった、風雨に晒されてくすんでしまった黄色いベンチに腰掛ける。 「まずは自己紹介。俺の名前は久留須蛇岐(くるすたき)。今日から椿姫と同じクラスに転入して来たってことになってる」 「なに?」  話の始めから、言ってる意味がちっとも理解できない。 「あのさあ、椿姫さんよ、まさかあんた俺が十五、六の高校生にでも見えた?」  表情を歪める俺に、蛇岐は呆れたのか小馬鹿にしているのか(恐らくどちらもだ)大きな口を(いびつ)にして(わら)った。確かに蛇岐は高校生にはとても見えない。大人っぽいと言えばそうなのだろうが、獅子雄に対するときは何処かあどけなさもあった気がする。しかし十五歳です、と言われたら、冗談だろ、と返すかも知れない。 「ざっくり簡単に言うと、俺は獅子雄さんに雇われた椿姫の護衛ってこと。その為に二十歳になってもこうやって高校の制服着て、学校に通う訳よ。ま、カネ積んで裏口入学したっつうことだな」 「待て、待て待て待て」  余りにもざっくり過ぎたその説明に更に混乱は増すばかりだ。年齢とか裏口入学云々はとりあえず置いておいても、「護衛」と言うのは相当理解に苦しむ。俺はただ高校に通うだけ。過保護だとか、そういう類の問題ではない。普通に生活する為に、護衛なんてものは必要ない。そんな俺の思いを感じ取ったのか、蛇岐は更に続けた。 「椿姫、あんたがどこまで理解してるのかは分からないけど、あんたが世話になってる備前グループっつうのは世界的に見ても相当でかい企業でね、まあ、ただでかいだけじゃない。普通に生きてる人間は知らない業界の中で、なくてはならない大切な役割を担っている」  蛇岐は一息にそう言い切った。 「………大切な役割って?」 「それはまだ知るべき時じゃない」 「業界っていうのは?」 「まだ秘密――で、話の続きな。そんな役割の備前さんだからさ、失脚を願う奴も、おこぼれに預かりたい奴も、中には非人道的なやり方で潰しにかかってくる輩もいるわけさ」  非人道的なやり方。その言葉だけで、束の間、背中に銃口を突き付けられた気分になる。 「そんな奴らから俺を護る為に、あんたは雇われたってわけ?」  訊くと、そうそう、と蛇岐は頷いた。 「悪いけど全然わかんねえ。話が見えないし、見ず知らずのあんたと一緒になんていたくない」  立ち上がり、鞄を掴み直して再び校舎に向かう。するとまた手首を痛いほどに握られた。 「――椿姫、」  蛇岐の声は沈み込むような暗さを孕み、腹の奥にやけに低く響いた。背筋に寒気が走る。 「俺は大袈裟なことを言ってるんじゃない。必要だから呼ばれたんだ。じゃなきゃ俺だって、こんな面倒事、引き受けたりしない。理解できなくても、ここは獅子雄さんに従っておいた方がいい。そうじゃなきゃ、」  そこまで言うと蛇岐は立ち上がり、そのでかい図体を屈めて鼻先が触れ合うほどまで俺に顔を近付けると、俺の首に人差し指を突き立てた。 「椿姫、死ぬよ?」  突き立てた指を横に滑らし、蛇岐はあの有無を言わせない眼で俺の瞳を覗き込んだ。 「………意味わかんねえよ」  掠れた声で、小さく呟いた。死ぬとかどうとか、余りに現実味のない言葉に思考が追いつかない。数ヶ月前に事故で死にかけたけれど、蛇岐の言う「死ぬ」は、殺される、を意味するのだろう。  数分、蛇岐と見つめ合ったまま、お互い微動だにしなかった。依然あいつは俺を丸飲みするような眼をしていたし、走って逃げたところで易々と追い付かれることは目に見えていたから、俺も動かなかった。 「………とりあえず、」  先に口を開いたのは、蛇岐だった。 「納得いかないことは後で獅子雄さんに訊くとして、とりあえず今はオトモダチとして仲良くしようぜ、椿姫」  そう言うと蛇岐は先ほどの重たい空気など薙ぎ払う勢いでからりと笑い、俺の肩を抱くとそのまま歩き始めた。三十センチ近いの身長差のせいで、俺は自然と小走りになってしまう。 「離せよ! つうか、椿姫って何なんだよ。俺が男なの、見て分かんねえ?」 「そんなの顔見たら男だってことくらい、幼稚園児でも分かるだろうなあ」 「だったら、椿姫って呼ぶのやめろ、気持ち悪い」  蛇岐は、さもおかしそうにけたけた笑った。舌のピアスが丸見えになる。 「獅子雄さんの大切なお姫様だから、敬意を込めての、椿姫」 「敬意? 皮肉の間違いだろ。それに俺は、あいつのお姫様になったつもりなんか、これっぽちもない」  嫌味たっぷりに吐き捨てると蛇岐は突然立ち止まった。その勢いに脚が絡まり前につんのめったが、蛇岐が肩を抱いていたおかげで転倒は避けられた。 「何だよ、いきなり立ち止まるな」  悪態をつきながら蛇岐を見ると、細くつり上がった目を丸くしていた。 「………椿姫、獅子雄さんとデキてんじゃないの」  蛇岐はぽかんとしている。俺もつられてぽかんとした後、慌てて我に返った。 「ふざけんな、なんで俺とあいつがそういうことになるんだ。おまえ、冗談も大概にしろよ」  肩をいからせてそう叫ぶと蛇岐は、ええー、と拍子抜けしたような声を出した。 「マジかよ、獅子雄さんの話しぶりじゃあ、どう考えたってそうとしか思えなかったんだけど。だから今朝もわざわざ獅子雄さんが送ってるのかと思ってたのに………」  その言葉に、俺は押し黙る。獅子雄の話しぶり、というのがやけに気になる。あいつが俺をどんな風に説明したのか聞きたいのに、聞けない。蛇岐に聞くのが妙に癪だ。 「ふうん、そうなんだ。まあいいや、椿姫は椿姫で」  蛇岐の中で、俺と獅子雄の関係がどのように片付いたのかは知らないけれど、俺の呼び名は決まったらしい。 「さあさあ、仲良く職員室とやらに行くか、椿姫」  蛇岐は俺の肩を抱いたまま、再び歩き出した。  私立の金持ち校、と聞いていたから、どれだけ豪華な校舎なのかと思っていたけど、案外簡素でその辺の公立校とさほど変わりはないように思えた。蛇岐と並んで職員室を訪ね、通された応接室も、入り口横に大きな花が生けられていて、骨董品のような壷が数点置かれてはいたがものの、それ以外は無機質で質素なものだった。年季の入った(それは新調した方がいいのではないかと言いたくなるほど)ソファに腰掛けて待っていると、かちゃりとドアが鳴り、すらりと背の高い男が入って来た。 「はじめまして、月崎です」  そう名乗る男に、軽く頭を下げる。 「今、あなたたちの担任の先生は始業式の準備で忙しくて。なので代わりに私が、一通り説明させて貰いますね」  柔らかく微笑む月崎は、男性であることが信じられないくらいに美しかった。身長もそれなりにあり肩幅も充分に広いのに、身体の線が細いからなのかとても中性的だ。髪も瞳も日本人にしては色素が薄く、肌も透き通るように白い。長い睫毛と淡く色付いた唇は、女性顔負けだ。 「センセイ、女の子みたいに綺麗ですね」  そう言ったのは、まさか俺じゃない。隣でにやにやしている蛇岐だ。 「おまえ、失礼だろ」  いくらなんでも、成人男性に対して女の子みたい、と言うのは失礼だ。例え綺麗と言われても、それはきっと褒め言葉とは受け取れない。 「ふふ、名前も雛菊、というんです、女性みたいでしょう。だけど私は気に入っています」  月崎は蛇岐の戯れ言にも嫌な顔ひとつせずさらりと(かわ)し、冊子を広げて校舎の造りやタイムスケジュール等を手早く説明を始めた。その月崎の態度に大人の余裕が見えて、思わず憧憬してしまうほどだ。蛇岐をちらりと盗み見ると、まだ気持ち悪くにやにやしていた。 「さあ、説明は一通り終わりましたが、始業式はどうします?」  持ってきた薄い冊子を十分ほどで一周して、月崎は腕時計を確認した。どうやらこれから始業式が始まるらしいが、俺たちは自由参加らしい。 「始業式どうする、椿姫?」 「出ない」  面倒くさい、と言いそうになるのを寸でのところで飲み込んだ。 「――椿姫?」  そう呼んだのは、月崎だった。 「あ、いや、こいつが勝手にそう呼んでるだけで、深い意味はありません」  気にしないでください、と付け加える。蛇岐は笑みをにやにやからへらへらを変えている。本当に嫌な奴。月崎は、そうですか、と上品な笑みを零す。「椿姫」だなんてあだ名は、きっと俺よりこの人の方がずっと似合っているだろうと、そんなことを思った。

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