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猫、働く

志狼が仕事に出た後、鉄平は家の掃除や洗濯を済ませて、夕方からバイトに出かけた。 志狼との約束で、次のバイトが見つかり次第、辞めると言ったが…… 実は辞めたいという話すらできていない。 それもそのはず…… 「玉山ァ!! ボサっとしてねぇで、さっさと働けぇ!!」 「はっはいぃ!」 鉄平のバイト先の個人店の居酒屋は、店長の竹田、厨房の高杉、もう一人のバイトの加護と鉄平の四人で店を回している。 店長の竹田は小太りな男性でおっとりとした人物なのだが、高杉は「厨房の鬼軍曹」だの「どS料理人」だの「高杉様」だの言われている。 口は悪いわ、手は出るわ、足癖は悪いわ、ろくでもない男なのだ。 だが料理の腕は絶品だし、高杉のツテで仕入れた珍しい地酒から、外国のビールまで、他所では飲めない酒の品揃えに常連客が足繁く通っていた。 高杉は眼つきは悪いが、精悍な顔だちの20代後半の男前だったので、「怒鳴られたい」「睨まれたい」という特殊なファンも多いのだ。 実際、この店は高杉でもっているようなものだった。 鉄平は今日こそは店長に話をしようと、一時間早く来たのだが……さっそく高杉に怒鳴りつけられた。 「高杉さん、玉山くんはまだ出勤時間じゃ……」 「やかましい! 店に入った瞬間から勤務時間じゃ! ボケ! 早く来い!」 ───これだから、バイトがすぐに辞めてしまうのだ。 柔軟な性格の鉄平は奇跡的に続いていた。 もう一人のバイトの加護は、ヒョロリと背の高い大学生で、高杉に怒鳴られるのが嬉しいタイプの人間だった。 仕事中にしょっちゅう、うっとりしているものだから、困りものだったが。 鉄平は急いで着替えて、厨房に入って仕込みを手伝う。 「シャキシャキ手ぇ動かせ!」 高杉にスパンとお尻を蹴られた。 「ひゃっ!! すみません!」 鉄平は注文を取ったり、料理を出したり、フロア専門だったが、厨房の簡単な調理も手伝っていた。 ───どうしよう。今日も話せそうにない。 志狼との約束を思って、鉄平は憂鬱な気持ちになった。 今日は平日だが、店はそこそこ忙しかった。 加護と鉄平のバイト二人体制は週末だけで、平日はどちらか一人だった。 隙を見て竹田に話したかったが、今日も話す暇が無い。 ───どうしよう。いつ話そう。 仕事が終わったらすぐ帰るように志狼に言われているので、シフト上がりも話す時間が無かった。 「玉山くん。しんどいの?」 浮かない顔をした鉄平に竹田が聞いてきた。 ───あっ。今だ! 「て、店長。あの、俺……」 「竹田ぁ! 無駄話してんじゃねぇ!! これ、もってけ!」 高杉の怒声が響いた。 「ああ。もう、はいはい」 竹田が天ぷら盛り合わせを持ってフロアに出て行った。 高杉がギロリと鉄平を見る。 「あ……」 カチンと固まった鉄平に、高杉はポケットから出した小銭を渡して言った。 「お前はちっと、裏でジュースでも飲んでこい」 高杉は鉄平の頭をガシガシと乱暴に撫でた。 「あ、や、でも。俺……」 「あぁ!? さっさと休憩して戻ってこいやぁ!」 「はい! ごめんなさいっ」 鉄平は慌てて裏口から出て行った。 自販機で桃のジュースを買って飲んだ。 口は悪いが、高杉は優しいところもある。 店長はいい人だし、加護は面白い大学生だ。 「はぁ」 忙しいだけじゃなく、ここの人達が好きなので、言いにくいのだ。 鉄平はため息をつき、ジュースを飲みきってから店に戻った。 少し店内が落ち着いた頃、新規の客が店に入ってきた。 「いらっしゃいませ~」 竹田の声に鉄平も入り口を向き、固まった。 「いらっ……!?」 店に入って来たのは、志狼だった。 志狼は朝見たスーツ姿ではなく、ラフなTシャツに着古したデニムだった。 履いているのは雪駄だ。普段よりも若く見えた。 志狼は見事な肉体をしているので、着飾る必要がなく、シンプルな服装でも充分に色気があった。 彫りの深い魅力的な顔立ちと、珍しいエキゾチックな青い瞳。 そんじょそこらには居ない程の美丈夫だ。 その証拠に、店内の男も女も志狼に見惚れていた。 「おう。タマ」 「な、なんで!?」 志狼は厨房が見えるカウンター席に座った。 「早く終わったからな。迎えついでに飯食いに来た。とりあえずビール頼むわ」 「あ。はい」 鉄平が厨房に入ると竹田が聞いてきた。 「ちょ、ちょっと! あの色男、知り合い?」 「あの。今、居候させてもらってる人で。実は俺……」 「お前ら! 無駄口叩いてんな!!」 「はい!」 「はいはい」 高杉にどやされて、鉄平はビールを注いで志狼の元に戻った。 「何がオススメだ?」 「えっと。何でも美味しいよ。俺は出汁巻き玉子が好きだけど」 鉄平の言葉に志狼が笑った。 「また玉子か」 「あっ。でも、天ぷら盛り合わせも角煮も美味しいよ」 「じゃあ、その三つとも頼むわ」 「うん」 鉄平は高杉に注文を伝えた。 チラリと志狼を見ると、ひとつ開けて座っていた女性二人組にさっそく話しかけられていた。 志狼は適当に返事をしているだけなのだが、鉄平は何故かモヤモヤするものを感じていた。 ───逆ナンされてる? 料理ができるまでの間、厨房で洗い物をしながら、どうしても気になって志狼の方を見てしまう。 ───あの二人、高杉さん目当てで通ってるはずなのに……なんで、しろうに? 余所見をしていたせいで手が滑った。 パリン! 「あ!」 鉄平はうっかり皿を割ってしまった。 「何やってんだ! 玉山ぁ!!」 高杉が鉄平の頭をバシっと叩いた。 「ごっごめんなさい!」 ──いけない。余所見しちゃ…… 「おい」 地を這うような、低い声がした。 「何殴ってんだ。お前」 カウンター席から立ち上がり、志狼が怒りを隠しもせず高杉を睨み付けた。

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