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フラグメント 1

「朋坂、昼どっか食いにいかねえ?」  バインダーに書類を綴じていると、後方から快活な声が降り注いだ。振り向くと同期の山辺が白い歯を見せて眼をきらめかせている。 「俺は良いけど、あゆみさんと一緒に行かないのか?」 「いや、一緒だよ。美味い天そばの店があってさ、どうせなら三人で行こうぜ。お前、最近ずっと一人でコンビニ飯だっただろ。たまには良いもん食わねえと」 「天そば……」 「お前、好物だろ。行こうぜ?」  それなら、とすまなそうに苦笑する朋坂の背を叩き、山辺は爽やかに身を翻した。にかっと笑う笑顔に、女子社員の羨望の眼差しが集まる。已まれぬ事情により営業に回った朋坂とは違い、はなから営業志望で活躍している山辺はまさに快活、清潔感の塊という男だ。くわえて見目も性格も良しときたからには女子社員も放っておかないだろう。朋坂は営業成績こそ良いが、それは腰を据えて接してはじめて分かる人柄に寄るところが大きく、どこからどう見てもぱっと見の溌剌さや快活さとは縁遠い。 (俺も、もう少し前髪を切ろうかな……)  鞄を整理し終えて朋坂は席を立った。一歩踏み出すごとにふくらはぎがビリビリと痛み、脇腹もしくしくと痛んだ。スーツに包まれた肩に手を滑らせるが、そこの痛みはすっかり消えていた。おそらく、傷跡すら残っていないだろう。あの少年が面倒くさそうに治してくれたのだ。 『俺が治せるのはぁ、身体の物理的な傷だけだから! 筋肉痛とかは知らねえよ』  そう言って、千切れたチョーカーに付いた真っ赤なクリスタルに触れ、口の中で何事かを唱えた。すると少年の手の中にある宝石がほわんと淡く鼓動するように光を灯し、朋坂の身体も同じ色に包まれた。  光はあたたかく、春のまどろみのように心地よかった。 『ありがとう。……それに、助けてくれて』  痛みが綺麗さっぱり消えた肩を撫でると、切れたジャケットからぽろぽろと乾いた血が剥がれ落ちる。う、と顔を顰める朋坂に、少年は鼻を鳴らした。 『別に。仕方ないじゃん、マスターになっちゃったんだし』 『マスター?』 『……説明めんどいから、また今度にして。俺、帰って寝たい』  行くぞ、とドクロに声をかけ、少年は宙を跳んで止める暇も無く闇夜に消え去ってしまった。後に残されたのは、蛍光緑の血液と、黒光りするレモラ達の残骸のみ。それらも、呆然と眺めている間に細かい砂塵となって夜風に浚われてしまった。何もない。ただ、朋坂だけが訳も分からず置いてけぼりになっているばかりだ。  朋坂の脳裏に、ネオンの光に毛先をあわく溶けさせる金髪が靡き、長いため息が漏れる。  物理的な傷跡は消えても筋肉が引き攣れる痛みは、思い出したくもない昨夜から引き続いている悪夢の残骸だ。重い重い残骸が、身体にもこころにもトゲを立てながら居座っている。  奥座敷で熱い茶を啜りながら、なんとはなしに客席を見渡した。かなり繁盛しているようで、さすが昼時という時もありかなり混み合っている。店員は年配の女性ばかりで、あたたかい血の通った接客が遠目からでも見て取れた。 「朋坂くんとこうして一緒に外食するの、久しぶりだね」  明るい声に視線を戻すと、澤中あゆみが両手に熱い湯飲みを挟んでにこにことしていた。ワンレングスのボブがさらりと揺れ、クールな見た目とは裏腹に穏やかなしゃべり方をする。 「そうだな。営業に回ってからは移動ついでに食事を済ませてしまうことの方が多いよ。それこそコンビニとか……」  金髪のヤンキー店員を思い出し、口を閉ざす。まさかあの、怠惰な態度でテキパキと仕事をこなす、密かに贔屓していたコンビニ店員が魔法少年だったなんて。そもそも、魔法少年とは一般の人間が変身して成るものだなんて、朋坂自身、昨夜はじめて知ったのだ。 「あ、コンビニと言えばさ」  あいまいに窄まった朋坂の言葉尻を拾うようにして山辺が声を上げた。 「うちの会社近くのコンビニあるだろ、よくお前が煙草を買いに行っていた」  どきりとする。彼のいたコンビニのことだ。 「あそこで昨日、上津田さんと会ったんだよ」 「上津田さんと……?」  思わず目を見張った。上津田とは、マーテルに一度飲み込まれてもなお生還を果たした例の先輩のことだ。あゆみも驚いたように隣に座る山辺の方へ身体を向けた。 「様子、どうだった? 人づてに聞いたかんじだと、まだ調子が良くないってことだけど」 「そうだなぁ、噂で聞いていたよりしゃっきりしていたよ。会話も、ふつうに」  山辺は思い返すように黒目を宙をに向けてしゃべる。朋坂もあゆみ同様まだ調子は芳しくないと聞き及んでいたので、山辺からもたらされた先輩の快復という吉報に心底驚いた。 「ただ、……すこし、変な感じがした……、かな」 「変な感じ?」 「人を探しているようなことを言っていたな。誰なんですかって聞いても、本人もよく分かってないようでさ、なんでも、会ってお礼をしないといけないんだとか、なんだとか」 「へぇ……」  お礼、とは一体どういうことだろうか。長い間閉じこもっていたという上津田が名前も知らない誰かに恩を感じ、探し歩いている――――。 「なんだろうね? 上津田さんを介抱してくれた人とかかなぁ? 救急車で運ばれるまで、ほかの逃げ遅れた人たちが励ましてたらしいし」  あゆみの言うことも一理ある。二年前、上津田を飲み込んだ蛇型の巨大マーテル。その襲撃のときにはすでにあの少年もコートに身を包んで夜を跳んでいたのだろうか。 「はぁい、おまちどおさま! 天ざるそば三つね! あ、こっちが大盛り」 「あ、俺です!」  再び魔法少年やファミリアがぐるぐると踊る思考に沈みかけていた朋坂を救うように、女性店員が眩しいほどの笑顔で料理を運んできた。大盛りを注文していた山辺の瞳も輝く。 『――――昨夜の襲撃後のS地区です。建物の倒壊などはなく、また負傷者も軽い怪我で重傷者はいないとのことです。また、魔法少年が通行人と思われる一般男性を庇いながら応戦していたという目撃情報もあり……』  口に含んだエビ天を吹き出しそうになった。ぐるんと振り返り、穴が開くほどテレビを見詰める。  画面には、相変わらずぼやぼやとした魔法少年の淡いシルエットが映し出されているが、なにか不思議な力が働いているのではと疑いたくなるほどに画質が粗く、顔の造作は全く分からない。ただ、色合いから魔法少年が金色の髪の毛をしているということは想像できた。その後ろで棒立ちになっている、長身のシルエット。おそらく、いや、どう見ても朋坂だ。身元が分かるほどではないが、これが自分なのだと知っているとうっすら顔の輪郭を空目してしまいそうになる。 (そういえば、あのとき報道ヘリが飛んでいたな……)  屋上でヘリのライトに目が眩んだことを思い出す。 「S地区って、朋坂くんの家がある方だよね? 大丈夫だった?」 「えっ、あ、うん……」  山辺らも食い入るようにテレビを見詰めている。その表情は不安げだ。 「最初こそ大パニックで長いあいだ避難生活させられたけど、今や翌日にはふつうに出勤してるんだから、慣れって怖いよな。こんな非常事態にも慣れが生まれるのかって呆れてしまいそうになるけど」 「ほんと。対抗手段が無いから逃げるしかないっていうのが、逆に感覚麻痺しちゃう要因なのかなあ。襲撃があれば能動的に避難して、魔法少年が退治してくれるのを待つだけ……」  もちろん、行政にまったくの対策がないわけではない。世界中が東京を支援し国際的な連合防衛機関も発足されている。防衛省が立ち上げて直接指揮する特別緊急対策本部は、即時陸海空自衛隊を派遣できるよう特例を設け、事態の沈静化に尽力している。世界中が一丸となり、連携している。力はこれ以上無いほど尽くしている。しかし、それでもファミリアを撃退することはできない。どのような兵器を用いても、開発しても、実戦投入したところでファミリアの外殻に傷一つ付けることは出来ない。もっとも、その純然たる事実に忸怩たる思いを抱いているのは、当の役人たちないしは現地に赴く隊員に違いない。こんなSFアニメのような事態が現実に襲いかかるなんて、誰だって予想しえない珍事中の珍事だ。世論は厳しいが、朋坂にしてみれば思考をなんとか常識外へと追いつかせ、対策を練り実行に移しているだけでも十分前進していると考えている。  いまのところ、行政は防衛一辺倒だ。姿を捕らえられぬ魔法少年を遠くからバックアップし、住民の避難の道しるべとなり復興の基盤を整える。それが精一杯であり、現状での限界であった。 「地下シェルターもかなり数が増えてきたし、建物を地下に建て直す都市計画もかなり進んでるみたいだね。根本的な解決にはならないけど……」  あゆみは頬に跳ねたツユを人差し指で拭い、一息吐く。 「それにしても、魔法少年ってなんなんだろう……」  食事でうっすらと口紅の取れたリップから小さく零されたつぶやきが、朋坂の喉を圧迫した。 『――――次のニュースです。今朝未明、S地区で少年が通りかかった男性に襲われるという事件がありました。周辺では同様の被害が三件報告されており、事件との関連が調べられています』  ファミリア襲撃のニュースは流れるように押しやられ、重なるようにして次の報道へと移り変わった。テレビを見上げていた客の面々も目の前のそばに興味を移し始め、朋坂も押し黙ってすこし油にふやけた天ぷらを囓った。好物の天そばが、途端に遠い存在のように思える。ぎりぎりの均衡を保っている仮初めの平穏は、いつか見るも無惨に散り散りになってしまうのだろうか。

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