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フラグメント 4

 身を裂く冷たい風が吹き荒れ、耳の傍でびゅうびゅうと音を立てる。いつの間にか九吹は後ろを走りながら器用に変身していたらしく、朋坂を追い抜いてはコートを翻し、外灯や建物の上を飛んで跳ねてと、高低差もなくあっという間に先を征ってしまった。最初こそ一応は後ろを気にする素振りを見せていたものの、そんなやさしさはすぐに途絶え、あとは無慈悲にも朋坂だけが残された。 「アイツ……ッ、マスターを護るんじゃなかったのかよっ」  吠える朋坂をあざ笑うように、ライトを光らせながら車道を車が行き交う。  始めは息切れしながらもなんとか追いつけていたのに、日頃の運動不足が祟って全力ダッシュは次第に競歩となり、やがてヘロヘロとしたよろめくような歩みになって、果てには道ばたに立ち止まり膝に両手を突いて喘いだ。ぜぇぜぇと肩で息をして、うっすらと背に汗が浮くのを不快に感じた。ダウンジャケットを着込んでがむしゃらに走れば、いくら真冬といえどしっかり体温が上がる。勢いよく吐き出した息が白い塊となって打ち上がった。熱いため息は救助要請の狼煙だ。どこからかそれをめざとく見付けたらしい九吹がひらりと上空から降り立ち、小さく鼻を鳴らした。 「ヨリ、走るのおっそ」 「ッ、はぁっ、はぁ、……は、本当におまえはッ、足並みをそろえるっていうことを知らないのなっ」 「勝手に飛び出したくせに、ちんたらちんたら遅ェーんだもん」  ふい、と顔を背けられる。しっかりとした上質な生地のコートで暖かそうではあるのだが、襟ぐりが大きく開いていて首元が露わになっているのが気になった。チョーカーから重く垂れ下がったピジョンブラッドが途切れ途切れのヘッドライトに舐められて異様なきらめきを放っている。きら、きらと角度を変えて光るそれに視線を奪われながら、文句よりも先に「おまえ、寒くないのか?」という単純な疑問が口を突いて出た。 「はぁっ!? さみーよ! 当たり前だろ! 防寒性ゼロなんだよこの服はっ!」  九吹が憤慨したように吠える。まるで獰猛な虎だ。 「俺に怒られても困るよっ、だいたい、その服は祥馬の趣味じゃないのか? さすがにこの季節に半ズボンは、どうなんだ……」  太ももの上の方から膝下まで、寒々しい冬の外気に晒されている。顔を近づけてまじまじと見ると、ほんのり皮膚に赤みが差していて、寒そうというよりも〝痛そう〟という感想が浮かんだ。不躾な視線に、九吹は慌ててコートの裾をかき集めて素足を隠す。 「……っ! ジロジロ見んな、きもちわりぃ。この格好はぁ、ライオが思い浮かべる〝戦闘服〟のイメージなんだよ」 「ふぅん?」  静かに浮いていたライオネルに視線を移すと、ドクロは困ったように朋坂と九吹を見比べている。 「本当なのか、ライオネル」  訝しむ朋坂に、ライオがウ、とたじろいで九吹の背に隠れる。仕草はかわいいのだけれど肩口から真っ黒い眼窩が覗いていて、怖い。 「マジだってば。はじめて〝ここ〟に来てから目にした〝戦う人間の姿〟が、朝にやってたちっこい女の子向けの魔法少女アニメ? ってやつらしくってさ。そのイメージがまんま俺に反映されてんの。ウケる」 「ウケてるんじゃないか……、はぁ、」  実の無いはなしをしている内に息が整ってきた。ジャケットの前を開けてきょろりと辺りを見回すが、目的地まではまだまだ遠い。バス、それかタクシー……。朋坂の思考と九吹が口を開くのはほぼ同時だった。 「しゃーないから、担いでやるよ。ほら」  幼子にするように、後ろ向きにしゃがんで背中を晒される。 「……おぶされってこと?」 「他に何があんだよ。戦闘地帯に行ってみるんだろ? ったくもー、はーめんっどくせー」  ぶつくさ言いつつ、早くしろよと手でせかされる。朋坂は一歩足を踏み出しかけたのだが、やはり動きが止まってしまう。 「さすがに俺、十代の子におんぶしてもらうのは……」 「はぁ!? さっさと行かねーなら、おれ帰るし。それともなに、ヨリさっきの百倍のスピードで走れんの?」 「無理です。……う、じゃあ。失礼して」  黒コートの肩に手をかけて、十代のしなやかな痩躯に体重を預ける。若者に人気の、安価で香りのきつい香水が耳裏から漂う。朝に振りかけた残り香はほのかだが、ラストノートはひどく甘ったるい。  おんぶしてもらうなんて子供の時分以来でおっかなびっくりだった朋坂だが、九吹はしつこく文句を言いつつしっかりと支えてくれていて案外安定がよかった。変身しているあいだは身体能力が上がるとは説明されていたが、たいして重みも感じていないようで軽やかに地面を蹴り一気に空へと駆け上がる。 「うわっ、びっくりしたぁっ! 飛ぶなら一声かけてくれよ!」 「うるせえ! もーほんと行きたくねーっ」  九吹の叫び声が夜に木霊した。  巨顔の満月がはるか上空でしんしんと光を降らせていて、何も無い空中を蹴る振動でぴょこんぴょこんと跳ねる髪の毛先が月影に融けたり、夜空の濃い暗闇で光ったりと忙しない。その躍動を背中で縮こまりながら、朋坂は胸に感じる少年の体温の暖かさにすこし微睡みかけて慌てて頭を振った。これからファミリアの降り立った地に参じるというのに、妙に体温が心地よくてリラックスしてしまった。肩にかける手にうっかり力を入れてしまい、縋るようなかたちになる。 「……っちょっと、おい! 変なさわり方すんなって」 「ゴメン」  忌々しげな舌打ちとかすかに上ずる声に謝って、顎を肩に乗せる。 「だからぁ、あんまベタベタ触んなって! 大人しくしてろよ、放り投げっぞ」 「そう言われても、おんぶされるのって久々だから手のやり場がないって言うか……」 「すっごい、セクハラされてる気分なんですけど」 「ゴメンって」  軽口のやりとりをしながらハヤブサのように駆けていると、やがて上空の雲が徐々に分厚くなり、暗雲のまにまに稲光が見えた。その下には、黒く巨大な靄。近付くほどに形を確固する靄は、ヌルヌルとした粘膜を背から地面まで滴らせる、カタツムリ型のマーテルだ。 「まだ生きてる。やけに倒すのが遅いな」  九吹はマンションの屋上に降り立ち、朋坂を背中から落とした。 「いってぇ! この……っ、もう少しゆっくり下ろしてくれてもいいだろっ」 「ライオ、クソメガネたちはまだ来てねーのか?」  朋坂の抗議は聞こえていないふりで、九吹は漂うライオネルに問いしばらく見つめ合っていた。ドクロが咥えた宝石が鈍く光る。 「……?」  二人のやりとりが聞こえぬ朋坂は首を傾げたが、答えを知るより先にパァンと鋭い音と閃光が走り、慌てて視線を巡らせて音のする先を見やった。マーテルの巨体が揺らぐ。レモラの緑色の血液とは違い、マーテルの血は目が醒めるほどの深紅だ。夜空に滝のような血しぶきがどばりと上がり、赤い霧が夜風に乗って漂う。これもまたレモラとは違い、甘い香りがした。この香りは、九吹から漂うラストノートに近く、それでいていやに芳醇で濃厚な匂いだ。 「ようやく来たか。おっせぇ……」 「もしかして、この縄張りのアルマってやつ?」 「そー。クソメガネ。性格が合わねーからほんっとキライなんだよな」  柵に肘をついて顎を乗せ、九吹は渋面で鼻を鳴らす。朋坂もその横に並んで目をこらした。ここからは遠くて肝心のアルマの姿を確認することはできない。瞳を細めていると、仕草に気付いた九吹がライオを手招く。 「ヨリ、見えねーの? ライオ、見せてやって」  くるりと一回転したライオネルの宝石が光り、真四角の映像を夜気に投影した。 「何でもアリだな……」 「いーから。これ、こいつがクソメガネ」  クソメガネ、と九吹が揶揄するのは、白い着物のような衣装を身に纏った長身の青年だった。魔法少年、と称するにはすこし年齢が高いような気がする。長い前髪を耳にかけていて、黒髪と振り袖が棚引いている。細身の眼鏡が潔癖そうな顔の造形によく似合っていて、なるほどたしかに九吹とは性格が合わなそうだなと一目で判った。 「名前は? 知っているのか?」 「ヒトミカナデ」  ぶすっとしながらも九吹は生真面目に答えてくれた。淡々と告げられた名は、九吹がファンタジックなコスチュームを着ているせいか呪文めいて聞こえた。 「んで、……ライオ。もう一枚映像出して。ありがと。もうちょい後ろ、そう、その大通りの……。ヨリ、こいつ、これこれ、こいつがマスターの呉服屋」 「わかったわかった、わかったから引っ張るなよ」  隣で並んで同じ映像を見ているのにぐいぐいと服を引っ張られ、よろけながら更に映像に顔を近づけた。  眼鏡のアルマから少しばかり離れた大通りで優雅に笑みを湛えているのは、小豆色の着流しを着こなした中年男性だった。短い黒髪が狭い額に張り付いていて、白い瓜実顔は彼のアルマと同等に潔癖めいている。線は細いが、男らしい色気がある。 「この人が、マスター……。でもこの顔、どこかで見たような……」  朋坂は映像を見つめ、瞳を揺らした。映像の中の男性は鷹揚で上品な佇まいで一切の焦りも動揺もなく、むしろ愉しんでいるような素振りすら見受けられる。明らかに場慣れしていた。 「竹間(ちくま)屋呉服店の店主だよ」 「あの老舗本店の? ――そんな人が、マスター……」  着物などとはまったく関わり合いのない朋坂ですら屋号を聞けばピンとくる、あまりにも有名な呉服屋の八代目店主――、それがこの男性の〝表向き〟の顔だ。一体どういう経緯でマスターとなったのかは検討もつかないが、きっとずいぶん前からマスターとして手腕を振るってきたのだということだけは察せられる。  ――――ルィォオ……、と地響きのようなうなり声はマーテルから発されたものだった。ボコボコとした突起が無数にうごめく殻に大きなヒビが入っており、身じろぐたびに赤い血が泡立って漏れた。壊れたアンテナのように触覚がぐりぐりと動き、ふいにそれがぎょろりとヒトミの姿を捕らえる。憎悪の眼球を一身に受ける切れ長の目がすっと細まる。籠手に包まれた左手を眼前に掲げると、九吹がしたのと同じように、何もない空中に大ぶりな杖が生まれしっかりと手に収まる。右手が静かに杖に添えられ手を滑らすとそれは青白い光を纏いながら湾曲し、あっという間に杖は弓の形状を取った。 「カッコイイな……」  朋坂が感嘆して恍惚の表情を浮かべると、九吹の機嫌がにわかに悪くなる。 「遠距離型とか、くっそ卑怯じゃんっ。それに俺の方がカッコイイってーのッ!」 「い、いちいち耳元で騒ぐなよ」  ぎゃいぎゃいと騒ぐ九吹を押し止め、朋坂はまた映像から目を離して肉眼でマーテルの様子を窺った。蠕動する胸元がえづくように何度か膨らんでは萎み、肋骨めいた白い骨が胸から飛び出たかと思うと、裂傷から大量の小さなカタツムリが滝のようにあふれ出した。瞬く間にカタツムリの海が出来上がる。生臭くぬめる、真夏の浅瀬みたいな匂いが充満した。 「うぅ……ッ、きもちわるい……」  思わず口元を手で押さえた。蜘蛛型のマーテルもなかなかだったけれど、夥しいほどのカタツムリの海という強烈なビジュアルに一瞬で胸が悪くなる。 「なぁヨリ、カタツムリの子供って生まれたときから殻が付いてるん?」 「知らないよ。いま吐きそうだから話しかけないで……」  粘性の個体がまき散らされるグジョグジョとした音を素知らぬ顔で聞き流し、ヒトミはちらりと視線を滑らせた。その視線の先には呉服屋店主がいる。相変わらず何を考えているか解らない瓜実顔で胸元から扇子を取り出し、薄い唇を隠した。それが一種の合図なのか、こくりと頷いたヒトミは上空に向けて弓を構え、何も持たぬ手で矢を番える動作をした。彼が指を滑らせる動きに合わせて蒼い光が一筋浮かび、鋭い矢となった。九吹も光で鎌の刃を形成していたが、それと同じ能力なのかもしれない。  ヒトミはひとかけらの感情さえ見せぬまま構えた弓を上空に向け、――そして放つ。  矢は残光の尾を引きながら一瞬で天高く昇り、幾重にも細かく枝分かれしたのちに弧を描きながら急降下した。蒼海のような氷柱。氷の矢だ。雷光を纏う凍雨が降り注ぎ、「ピギュ……ッ!」という妙に甲高い合唱とともに大半のレモラが射貫かれ果てた。水風船が割れるようにビシャリと緑色の体液が弾け、辺り一面真緑の海に沈む。マーテルの胸から突き出た肋骨が震え、カタカタと奇っ怪な音を奏でている。 「見てるだけでいいの? おまえは協力とかしなくていいのか?」 「協力ぅ~? むりむり、あり得ない」 「なんでよ。一緒に戦った方が効率良いんじゃないの? 早く倒せば街の被害だって最小で済みそうだけど」 「――俺たちにも、いろいろ事情があんだよ……」  縄張りがどうのこうのと言ってはここに来ることさえ渋っていたが、その〝事情〟とやらが原因だろうか。  しかし……、と朋坂は眼下の町並みを見やる。周囲の避難は完了しているようだが、路上は広範囲にわたってマーテルが這った痕でぬらぬらと光っており、また粘液の量が尋常ではないために窪んだアスファルトに水たまりのように溜まっている箇所まである。マーテルの身体が触れた電線からはぬとぬと粘液が板状に垂れ下がっていて、外灯の光を受けて奇妙な光沢を生んでいる。その独特な照りは、螺鈿にも膿みにも見えた。 「だいたい、これくらいならクソメガネ一人で片付けられるだろ」  興味なさげに九吹は頭を搔いてコートのポケットからスマートフォンを取り出し、あろうことかゲームを始めてしまった。場違いにのんきなマスコットの声が大音量で流れて一気に脱力する。 「確かに、あの子は強いけど……」  朋坂はもう一度映像に瞳を向け、得体の知れない気味の悪さを感じた。 (人形、みたいだな。顔も、無駄のなさすぎる動作も――……)  まるで感情が見えない。正直なところ九吹の考えていることもよく解らないが、それともまた違う、相互理解ができなさそうな感覚がする。マスターもただ薄笑いを浮かべるばかりでアルマを案じる素振りさえ見せない。よほど自信があるのか、それとも――――……。  ヒトミは残り少なくなったレモラを淡々と片付けていく。弧を描いて着弾した矢が光の爆発を生む。正確に射貫く。決して慌てず、狙いを定め、細いヒールで体液の海を踏み、少しずつマーテルへと近づき……、 「あ…………、」  ライオネルが生み出す鮮明な映像の中で、ヒトミのオーシャンブルーの瞳が朋坂を射貫いた。薄い唇がぱかりと開き、言葉を零す。 『参考になりましたか?』  そう、確かに声が聞こえた。 「ライオ、避けろッ!」  九吹が叫び、庇うようにライオネルを胸に抱く。はっと振り向くと、ライオネルが佇んでいた場所にものすごい勢いで青い矢が飛んできた。目を閉じれば瞼に光が残るほど鮮烈だ。 「な、なに……ッ?」  バゴンッ、と着弾の衝撃で土埃が舞う。蜘蛛の巣状にひび割れたアスファルトの中心に突き刺さる、――――硬質な魚。矢かと思ったそれは、青く光る宝石のような魚だった。 「な――……?」  現状が理解できず、一瞬頭が真っ白になる。どうしてこんなところに魚が――。 「てめェ、アストラ……ッ!」  九吹が杖を召喚し、一瞬で鎌の刃を創る。魚めがけて薙いだ一閃はしかし空振りに終わり、当の魚はからかうように跳ね回った。 『ばかクスイ! 盗み見なんて趣味が悪いんじゃないのかぁ?』  あろうことか、魚がしゃべった。 「えっえっ、え……?」 『ん? このザコっぽいのがおまえの新しいマスターか? へぇー……』  くるぅりと旋回し、魚は朋坂の眼前にぬっとせり出してくる。青い。そして、でかい。尾ひれがやたら長く、背びれはやたら尖っている。ベタという種類の、ドレスを纏ったようなフォルムをした淡水魚とよく似ている。夜をプールにして泳ぐ魚が回遊するたび、雪花と氷雪がちかちかと瞬き跳ねる。  氷の魚はライオネルと同様に口にはブルーサファイアめいた宝石を咥えていて、きっとこれはヒトミのアークなのだと朋坂は本能で見当を付けた。  じっと瞳を覗かれながら、朋坂は一歩、また一歩と後じさる。魚はそれ以上追ってこようとはせず、興味を無くしたのかまたすいっと八の字に泳ぎ始めた。 「いいのかよ、クソメガネに着いていなくても」 『ヒトミは強いからな! ……ほら、もう終わる』  朋坂がはっとライオネルに視線を注ぐと、ドクロは了解したとばかりにもう一度映像を照射した。  映像の中で、ヒトミはすでに地面を蹴っていた。一瞬でマーテルの頭上へと跳躍し、弓を構えて光を溜める。溜めて、溜めて、蒼褪めた光が増幅するに従い、隣で揺れている魚の宝石も呼応するように光を強めた。  ニッとヒトミの口角が上がる。そして、無慈悲に死の矢を放った――……。 『ルォ………………ォォン』  耳をつんざく音波の悲鳴。空気が揺れる。必死に耳を塞ぐも、残響がわんわんと脳を冒す。  マーテルの脳天を貫いた矢はドリルのように抉り、抉り、それでも勢いを止めずひたすら脳天を掘り進んでいく。ごぱっと吹き出た深紅の鮮血を見下ろし、ヒトミは満足げに恍惚の笑みを浮かべた。 「……ッ」  そして彼は遊ぶように浮遊し、マーテルの頭のすぐ近くまで降りるとおもむろに両手を翳した。どくどくと流れ出る鮮血が胎動するように淡く光り、まるで意思を持ったかのように震えて浮き始め、我先にとヒトミめがけてひとりでに列を成し、やがて先頭がヒトミの唇に吸い込まれていった。 「な……っ、なにをしているんだ……?」 「…………、」  目を見開いてマーテルの血を吸い続けるヒトミを指さした。九吹は答えない。あれではまるで。まるで――……。 『なにって、吸血だよ』 「吸、血……?」  魚が当然とばかりに答え、朋坂は息を呑んだ。吸血、マーテルの、得体の知れない化け物の血を。 『なんだァ? クスイは説明してなかったのかよ』 「うるせえ。おしゃべりしか能の無い雑魚が首を突っ込んで来んな」 『はいはい。ま、確かに他のアルマ事情なんてオレには関係ねーわな。じゃ、オレは帰るから。せいぜいヒトミ達の邪魔はすんなよな』  愉しげに回遊し、魚はふらふらと月を背に泳いだ。蝶のように青い鱗粉を撒き散らして夜空を海に変えて泳いでいく。人間の身など一瞬で凍り尽かせてしまうほどの冷気の突風とともに、嵐が去った。風花がきらきらと舞う。  フォン、と照射されていた映像が途切れ、ライオネルが朋坂をじっと見る。奈落の眼下からは観察しているような視線を感じた。  すこし、距離が縮まったような気がしていた。勝手にそんなふうに感じて、九吹のためにと張り切っていた。それなのに今、またしてもこの黒い影そのままの魔法少年と彼に付き従う浮遊するドクロが得体の知れない怪物のように見えてしまい、朋坂はぐっと喉を詰らせた。呼吸が苦しい。動揺している。 (俺は、本当に何も知らないんだな――……)  風に靡く金髪がゆらゆらと揺蕩って、冷たい真冬の夜風が九吹の香りを運ぶ。甘い甘いラストノート。この甘ったるい匂いは、マーテルの芳醇な血の香りとよく似ている。 (ファミリアって、アルマって、一体なんなんだ――……?)  気が付けば、とっくにクリスマスは終わっていた。

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