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きみのこと 1
おしろいを叩いたような白いうなじが衣紋からすらりと伸びている。それに付随する黒い襟足がしなだれるさまは、あたかも夜風になびく柳の枝だ。
仁見奏は深々と冷え込む縁側に座り、目の覚めるような光を放つ満月を見上げていた。思い出すのはさきほど出会った、黒衣のアルマとそのマスター。髑髏型アークの視覚を利用して仁見の戦いぶりを遠くから見ていた彼ら――……。
燃えるような赤い瞳をしていた。興味のない素振りを見せながらも、その熱い眼は真摯に仁見の戦闘を観察していた。
(ついこの間まで野良でいたと思ったのに、マスターを見付けたのですか)
ふ、と唇が弧を象る。愉しい思い出を舌の上で転がすように小さく笑む仁見は、しかしすぐに微笑を引っ込めた。
「仁見くん、体を冷やすと面倒です。中に入りなさい」
すらりと開いた障子から姿を覗かせたのは、マスターである竹間銀覚だ。襲撃から帰ってきてから湯浴みもまだだというのに着物に乱れひとつとしてない。潔癖で端然、その点では仁見の性格とよく似通っている。痩身ではあるが身長があるため弱々しさは窺えず、それどころか飄々とした表情は食えない強さを悠然と示しているように見受けられた。仁見は竹間の細い目を見つめ、ひとつ頷いた。
「分かりました。マスターはもう休まれますか。湯浴みをするのなら、着替えを用意しておきますが……」
「そうですね。風呂には入りますが、その前に……」
ちら、と視線が仁見に絡みつく。蛇に睨まれている気分で、一瞬臆してしまう。
「吸血で魂は補充できましたね。ですが魔力はずいぶん減ったようです。観客がいて張り切っちゃいましたか」
小馬鹿にしたように薄い唇がにやりと歪み、仁見は苦々しく睫毛を伏せた。悔しげに握られた拳に気付き、竹間は更に笑みを深くする。組んでいた腕を下ろし、つやつやとした黒髪に手を伸ばす。
「先に魔力の補充をしましょう」
仁見が顔を上げると、夜闇を背にした竹間が陰の中で嗤っていた。掬い取った仁見の髪を指で撫でている。濃い夜気に表情は隠れているが、白い歯が月光を受けて爛々と光っていた。嗤っている。心底愉しそうに、見下すように。
「……はい」
「では、行きますよ」
観念して立ち上がると、竹間の骨張った白い指からするりと髪が流れた。空になったてのひらを、まるでなにかを握り潰すような所作で弄んでいる。魂を掴まれている気分で、背を向けたマスターの後を追った。眉根が寄る。
(いつか殺してやる)
怨念を必死に背に投げかけるが、素知らぬ顔で寝室まで先導された。
魔力の補充は、きらいだ。
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