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きみのこと 2

   *   *   *  ハンバーグ、鶏の唐揚げ、目玉焼き。じゅうじゅうと音を立てる鉄板の上で油を跳ねさせるそれらに瞳を輝かせているのは、脅威から東京を守る偉大なる魔法少年だ。相変わらずどこで買っているのか不明なケバケバしいパーカーを着て、首には大きなチョーカーをぶら下げている。浮遊する髑髏の姿はめずらしくここにはいない。少年が言うには、ライオネルは人目を憚って自主的にどこかへと偵察兼散歩に出掛けたらしい。 「熱そうだね、鉄板」  暗に〝火傷に気をつけろ〟と言ったつもりなのだが、朋坂のことばにはおかまいなしで少年は早くも手を合わせていた。 「いっただっきまーす!」  大きく切り分けたハンバーグを大きな口に押し込み、九吹は幸せそうに目を細めた。恍惚の鼻息が漏れる。 「やっぱ肉だよな、肉!」  軽快なナイフ捌きでハンバーグを解体して、ひとくち、またひとくちと平らげていく。潰れた黄身を塗りたくった唐揚げを口に放り込んで、口端に付いたデミグラスソースを火傷でまっ赤になった舌でぺろりと舐める。その豪快な様子を真向かいで見守りながら、朋坂は頬杖を突いてサラダボウルを引き寄せた。 「ヨリさぁ、 フツー、ファミレスで葉っぱなんて頼む?」  大きな塊をゴクンと飲み込んで、九吹は胡乱げな瞳を向ける。 「葉っぱって……。大人になるとね、前日食べたものがなかなか消化できないの。だからこれくらいの軽食でいいの。俺のことは気にしないで」 「さすが中年」 「まだ青年です」  軽口をたたき合う。それっきり朋坂の食事には興味がなくなったのか、九吹はもはや肉のプレートしか見ていなかった。揶揄されるだけされて捨てられた気分で、今にも喉に詰らせそうな食事風景を見守る。 (あんがい、綺麗にナイフを使うんだな)  フォークを右手に持ち替えることなく、左手で器用にライスを掬って口に運んでいる。音を立てることもなく、零すことももちろんない。アパートでは手づかみでチキンを貪っていたのですこし意外に感じた。 「美味いか? ハンバーグ、好きなんだね」  何気なく投げた問いに、少年はいかにも少年らしく大きく頷いた。 「好き! 肉ならなんでも好きだけど、ハンバーグはとくべつ」 「へぇ」  九吹の口元がほころぶ。こころがどこかへ飛んでいる。 「施設だと、誕生日には好きなメニューをリクエストできるんだよ。大抵、みんなハンバーグをリクエストしてた。それがまた格別に美味くってさ。だから、ハンバーグを食べるとすこし、とくべつな気分がする」  施設、ということばに一瞬戸惑う。しばらく置いてからようやく児童養護施設という答えにたどり着いた。 「祥馬、おまえ施設で育ったのか……」 「言ってなかったっけ?」 「そういう話は、まだしてなかったからね。……そっか。その、苦労したんだな」  こういうとき、朋坂はなんと言っていいかわからない。うまい言葉が見つからない。へんに神妙な顔になってしまって、気を遣いすぎている自分に後ろめたいものを感じてしまう。気を遣われたって相手も気まずくなることくらい分かっている。分かりすぎているのに。  表情を曇らせる朋坂をちらりと見やって、九吹は瞳を細めた。笑っているようにも、眇めているようにも見える。肉にナイフを入れる動作に合わせて首元のクリスタルが重そうに揺れた。効果的にカットされた宝石の表面が妙に赤くきらめく。もしかして、こころを傷付けた――? 「しょう……、」 「楽しかったよ。園長先生は厳しかったけど優しくて、……すっげー楽しかった」 「……そう、か。それならいいんだ」  瞳に翳りは見えない。傷付けてはいない、だいじょうぶ。ほっと胸をなで下ろす。が、本来のマスターの役割とはまるで逆のことをしているのだという意識がちらついた。慌ててそれを否定する。傷付けなくても彼の魔力を補充してやれる方法を探すと堂々宣言したのだから、これで良い。だいじょうぶだ。  押し黙る朋坂になにかを察したのか、九吹は今度はきちんと歯を見せて笑った。 「ん。だから、落ち込むなよ、ヨリちゃん」 「落ち込んでないよ」  朋坂も笑い返し、思い直して九吹の手元に視線を投げた。それ、と口火を切ると、律儀に彼も朋坂の視線を追う。 「ずいぶん綺麗な所作だけど、そのテーブルマナーも園長先生から教わったの?」  九吹の視線は誘導されて自身の手元に行き着く。ぎらんと生々しく光る銀色のフォークを見て、瞳をちらりと泳がせた。 「いや、これは……、弥言さんに教えてもらった。家では好きにガツガツ食べてもいいって。だけど、外に出たときは恥ずかしくないように行儀良くしなさいって」 「〝ミコトさん〟。昨日も言っていたよね、覚えてる」  ぼんやりとした仕草と表情で、九吹は幾分かペースを落として残り少ないハンバーグを噛みしめている。しまった、と朋坂は内心後悔した。楽しい思い出のはなしを掘り起こそうと思ったのに、今度こそきっと九吹のいちばん触れられたくない部分をわし掴んで陽の下に引きずり出してしまった。そう思った。  弥言さんという人物が故人であり、この少年に色濃い陰を落としていることも、そして元マスターということもなんとなく察している。気にならないではないが、幸せそうに思い出を揺り起こすハンバーグを頬張る彼に、今ここで聞くべきではない事柄だ。  どうにか空気を変えようと口を開くが、 「――弥言さんは、」  と、九吹が先に口を開いた。窓の外を寂しそうに眺めている。 「俺を引き取ってくれたひと。養父、ってやつ。そんで、はじめてのマスター……」  朋坂は口を開けたまま目玉だけを動かし、ぶつぎりで告げられた内容を必死に咀嚼する。何かしらの事情から児童養護施設で育った九吹少年を引き取った某弥言が、何かしらの事情でそのままマスターとして契約してしまったということか。朋坂自身の例もある。もしかしたらひょんな事故から血を取り込んでしまい、契約せざるを得なくなったのか。いや、そもそもライオネルに魔法少年として見初められたのは何時なのか――……。 「おや。君たちは――……」  あぶくのように浮かぶ疑問を整理する間もなく、透明な声が降り注いだ。はっと視線を上げて瞠目する。いる。仁見奏。切れ長の涼しげな瞳をまんまるにして驚いている。ダークカーキのチェスターコートを着た私服姿で、昼間のあかるいライトの下で見る虹彩は黒い。 「あ、……仁見、くん。だっけ」  朋坂の声に一瞬微笑んで、同行していた友人達に目配せをしてするりと朋坂の隣に座った。音のない動作は猫のようだ。友人達はぞろぞろと奥の席へと行ってしまう。 「昨夜ぶりですね。まさかこんなところでお会いできるなんて。それも、昨日の今日で」  実際に席を同じくして話す仁見奏はあんがい気安く、そして饒舌だ。表情こそあまり動かないが、口調からかなりの高揚が窺える。 「こっちは会いたくないってのにな」  仁見とは対照的に、九吹は心底嫌そうな表情で今にも唾を吐きそうな顔をしている。 「僕はうれしいですよ、祥馬に会えて」  にっこりと目尻をとろけさせる仁見に、もう一度瞠目した。 「祥馬、彼と友達なの?」 「そんなわけあるか」  小声での問いを一蹴して、不躾にシッシと手で追い払う動作をする。 「相変わらず冷たいですね。変な呪文を叫ぶマジカルエンペラーさんは」  揶揄されて九吹の頬がまっ赤になる。 「へ、変じゃねーしっ!」 「変ですよ。ねえ、マスターさん。変ですよね、あのかけ声」 「えぇっ!?」  突然話を振られてびっくりしてしまう。同意しても否定してもおかしなことになってしまいそうで、結局は口を閉ざすことしか出来ない。なんで否定しないんだと騒ぐ九吹からそっと目を背ける。しかし、仁見は止まらない。 「マジカルエンペラーと名乗っている時点で可笑しいのに、あの呪文も可笑しくて本当に見飽きないですよね、祥馬は。かわいいって思います」  組んだ両の細い指に顎を乗せる彼は心底楽しそうだ。 「可笑しくねえっつってんじゃん! せっかく一生懸命考えて、強そうな呪文を作ったのに……っ」 「強そうですか、あれ。祥馬のセンスって面白いですね。エンターテイナーと自称してもいいと思いますよ」 「もう、……っ、もう、おまえホント嫌い……」  九吹は怒りのせいで涙目になっている。口論で勝てないことは理解しているのか、反論はせずにひたすらむくれている。その様子を真向かいで眺めてくくっと喉で嗤い、満足したのか仁見は立ち上がった。 「あぁ、楽しかった。では友人を待たせているので、今日はこれで。あ、そうだ。マスターさん」  優雅な動作で備え付けのナプキンにさらさらと何かしらを書き、朋坂に手渡す。几帳面に尖った字で書かれていたのは、おそらく仁見の連絡先だ。至近距離で視線がかち合い、美しく整った顔が距離を詰めてくる。まるで口付けでもしそうな勢いにぎょっとするが、仁見の顔は行きすぎて耳に直接声を吹き込む。なめらかな声だ。 「聞きたいことがあれば、なんなりと」  耳打ちされたのは、それだけだった。しかし、それだけで朋坂のこころは揺らめく。聞きたいことなんて、収拾がつかないほどたくさんある。それを見越した上で、この物言いをしているのだ。まるで不安や好奇心を煽るように。 「もう、行けって」  再度追い払う動作をして、九吹は尖った歯でガジガジときつくストローを噛んでいる。仁見は律儀に微笑みを投げ、踵を返して通路を進んで行ってしまった。シクラメンの残り香は香水か、柔軟剤か、それとも彼自身の匂いか。人形のように冷たい貌をしているかと思ったが、こうして対峙してもなおつかみ所がない。より一層ヒトミカナデという人物が分からなくなった。朋坂はこっそり横目で背後を窺い、友人らの輪の中で談笑をする仁見を一瞥した。大学入試と大きく見出しの記された参考書を次々に取り出す姿に、高校三年生らしい静謐さが漂う。薄い唇が笑んでいる。切れ長の眼を細めて笑んでいる。どこにでもいる、外見の整った純和風な十代の青年。それが昨夜は魔を束ねた矢を番い、弓を射っていた。 「なに見てんの」  じっとりとした眼で見上げてくる九吹に、朋坂ははっと我に返った。 「な、なんでもないよ」 「…………ふーん」 「なんだよ、その目は」 「べつに」  妙に不機嫌だ。この子もこの子でよく分からん、とため息を吐いた。 「さっき何を言われたん、仁見に」 「え? これのこと?」  渡されたナプキンを振ると、九吹が更にむすっとした表情になる。 「ただの電話番号だよ。情報交換したかったらここに、って」 「ふーん。かけんの? 電話」 「どうだろう」  目が泳いだような気がする。朋坂のほんの僅かな動揺を見止めたのか、九吹は大きな動作で頬杖をつき気だるそうに緩慢なまばたきを繰り返す。 「なあ、なんで俺に聞かねーの?」 「へ?」 「ずっと聞きたそうにしてたくせに。俺、聞かれるの待ってたんだけど」 「…………、」  心当たりはもちろんある。 ――――おまえも〝吸血〟をするのか。  昨夜は帰宅する頃にはずいぶん遅い時間だった上に、玄関に入ってすぐに九吹が倒れるように寝入ってしまったので会話を巡らせる隙もなく、また日付が変わって朝日が昇ったころには、昨夜のことを切り出すタイミングが分からなくなってしまっていた。疑問を口にしない朋坂と、疑問をぶつけられない疑問を剣呑に抱く九吹の視線が交わることはあったけれど、必ず先に朋坂が目を逸らした。朋坂の欠点のひとつ、〝気遣いをしすぎる〟が如実に裏目に出ていた。 (きっと九吹は聞かれたくないだろう……)  と、朋坂は勝手に早合点していたのだ。デリケートすぎる質問を投げかけるには、まだ二人は真に打ち解けられていなかった。 「聞けば?」 「こ、ここでか……?」  きょろり、と怪しまれない程度の動作で辺りを見回すも、土曜日のファミレスは大勢の客でごった返している。却って話が聞こえ辛くて話しやすいかも知れないが、誰が聞いているとも判らない。ましてや、話す内容が内容だ。 「じゃ、帰ってからでいいよ」  ムスッとした表情でグラスの氷をバリバリかみ砕く九吹に気圧される。 「おまえは、聞かれたいの? ていうか、俺が聞いて理解できる内容なのか?」 「はぁ?」  表情が更に険しくなる。ひときわ大きな音を立てる氷の破壊音に思わずびくりと肩が震えた。三白眼のヤンキーにねめつけられると、やはり怖い。 「ヨリはぁ、理解できなかったら知らなくてもいいって? おれ、さすがにちょっとムカつくんですけど。そこは、理解できなくても知りたいって詰め寄るところじゃねーの? もしかして俺に興味ない?」 「そんなことは……」 「そういうふうにしか聞こえなかったし」 「ちがうって」 「ちがわねーし」 「そもそもお前が最初に言ったんだろう。知らなくてもいいって。とりあえず殴ればいいって」 「そ、そうだけど、そうだけどさ、フツー気になるだろうが。フツー聞くだろうが」  まるで男女の痴話げんかだ。 『あなたってホント、わたしに興味ないのね』 『そんなことないよ』 『そういうふうにしか聞こえなかったわよ』  これは、以前すこしだけお付き合いをしていた元カノとの最後の会話。まるきり同じだ。ふう、と小さく息を吐くと、また九吹にねめつけられた。細い細い眉毛が寄っている。面倒な彼女みたいな言動が途端に可笑しくなって吹き出すと、ア? とメンチを切られた。慌てて居住まいを正す。 「わかったって。おまえが説明してくれるなら、ちゃんと聞くよ。ごめん、ちゃんと聞くから」 「フン。クソメガネに聞く前に、俺に聞けよな」  ふいと背けられた顔は、仲間はずれにされた子供の表情に酷似していた。 (それで機嫌が悪かったのか……)  そういうところは可愛いくせにと苦笑を零した。まだ上目遣いで睨まれると怯えてしまうときもあるけど、朋坂は目の前の魔法少年に少しずつ好意を抱き始めていた。弟がいたらこんな感じだろか。 「ていうか祥馬、あの変な呪文っておまえが考えたものなのな」 「だからッ、変じゃねーって!」  堪えきれずに笑いを零しながら揶揄すると、丁寧に何度も激怒してくれる。素直で健気だ。  得体の知れない部分もあるけれど、確かに彼はコンビニ店員として接してくれていた時から、仕事で疲れ果てた朋坂が険しい顔で入店するとちらちらと気遣うような視線を投げていた。あの目線はもしかしたら、何かあったのかと聞きたくても聞けなかった内情が現れた仕草だったのかも知れない。 (祥馬は、ものすごく不器用な子なんだ……)  強面だけれど、根はとてもやさしい。  やさしい。そんな彼のこころをひとつ知る度、気付く度、朋坂は胸が冷える。  もくもくと湧いた暗い妄想を見て見ぬ振りをした。蓋をした。  だいじょうぶだ。きっと、傷付ける方法はたくさんある。だいじょうぶだ。痛いことをしなくても、泣かせなくてもきっとだいじょうぶだ。  朋坂は何度もそう言い聞かせて、ふらつく視線を手つかずのサラダに投げた。

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