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フォーリン・ブルー 1

 衝天の星屑が力尽き、雨のように降り注ぐ。血なまぐさいアスファルトに落ちたパステルカラーの星々は汚れ、ヘドロ状に融解して見るも無惨だ。 「祥馬……っ!」 「いいからッ、ライオのところで……っ!」  廃ビル屋上のフェンスに指をかけて叫ぶ朋坂を地上から一瞥し、九吹は身を起こした。剥き出しの腿が裂けている。細い針状のトゲが数本、白い太股や脇腹を刺し貫いていた。動脈に傷が付いているのか、どくどくと赤黒い血液が血を濡らした。凄惨な光景に呻き、荒い呼吸で吐き気をやり過ごした。 「ライオネル! 俺のことはいいから、祥馬をっ!」  朋坂は自身の盾になり続けているライオネルに叫ぶも、主に従順なアークは『朋坂を守る』という命令を遂行するため魔力の放出を止めず、こちらに突進し続けるクリオネ型のレモラの群れを弾き続けている。身動きが取れないジレンマに、脳が焼き切れそうだった。  盾の生成を中断すれば、かの髑髏は九吹の傷を癒やすための魔力を錬成することができる。しかしこの状態で盾を消すということは、すなわちマスターである朋坂の死を意味する。朋坂には、波のように押し寄せては爆裂するレモラから身を守るすべはない。それに、マスターが死ねば、魔法少年――アルマは魔力の源を経たれる。どちらにせよ、互いに死ぬのだ。まんじりともしない現状が、唯一の最善策であった。消耗戦こそが延命となる。  九吹はそのことを理解しているから、ライオネルを自分の元へと呼び寄せない。チョーカーからぶら下がるクリスタルに残された魔力は、あとほんのわずか。  眼前で悠々と身をくねらせているマーテルは、大気を泳ぐ巨大なクラゲだ。ベニクラゲに似て、傘は立方体。ゼラチン質の傘の中に、どろんとした眼球が透けて見える。人間の眼球と全く同じ構造のそれはいくつもの集合体となり、まるで傘の中に眼球のタワーが聳えているかのようだった。そのどれもが愚鈍な動きで九吹を捉え、不気味に瞳孔を収縮させている。 「くっ……そ、いってぇ」  血の混じる唾液を吐き捨て、もう一度呻いた。血を失いすぎている。特に損傷がひどい右脚は粉微塵に弾けたかと思うほどの痛みだ。クラゲ特有の毒が痛覚遮断の魔法を阻害している。  瀕死の重傷を負った動物は脳内伝達物質により鎮痛され、ふわふわとした幸福感を得るらしいが、現状そのような傾向はまったく見られない。むしろ太股に刺さったままのトゲから絶えず鋭利な痛みが脳天まで突き抜け、朦朧とする暇さえ与えてくれない。 ――――生き地獄。ただ痛みを与え続けるためだけの攻撃。急所は避け、じわじわと羽虫をいたぶるように――……。 (意識を保っていられるのは、むしろありがたいか。マスターを狙われたら、さすがにヤバイ……)  九吹が取る選択肢はふたつ。  ひとつめは、残り少ない魔力をすべて使い傷を癒やすこと。ただし、その後の魔力の乗らない攻撃でマーテルを確実に屠れる保証はない。し損じれば、どちらにせよ死ぬ。  ふたつめは、傷を放置して、魔力を総動させ魔砲を放つ。仕留められる確率は七割といったところか。……もしもマーテルが一発で消滅しなければ、反撃により今度こそ殺されるだろう。 (詰んだ、か……?)  膝が笑う。なんとか杖で体を支えているが、鎌状の光刃を錬成する余力はない。 「ヨ、リ……」  こうなることはうすうす分かっていた。魔力の補充をしていないのだから当たり前だ。  負ける。死ぬ。  九吹は膝を折った。 「弥言さん……」  もうあんな思いはしたくない。死ぬならせめて、マスターだけは護り切りたい。  マーテルの傘から伸びた幾本もの触手が、ぬめりを滴らせながらわななく。獲物を前に涎をしたたらせる獣染みた動きだ。勝利を、……馳走にありつけるという確固たる未来を確信している。  青白いプラズマが高い破裂音とともに触手を覆う。手負いの魔法少年にトドメを刺すためだ。 「やれるものなら、やってみろ」  赤い瞳を挑発的に眇め、九吹は籠手の爪を首元のクリスタルに触れさせる。足のつま先から力を絞り、徐々に全身の魔力をクリスタルに収束させる。魔力を失った部分から、血液が抜け落ちたように体温を喪っていく。いまこの瞬間、生きながらに死んでいく。命をかき集めて、放出させる。 「コネクトォオッ……!」  空気が振動し、喉が裂けるほどの絶叫。体が砂塵と化すほどにすべてを絞り出し、アークを介してではなく、この身より直接、魔砲を撃つ。 (ヨリと食べたハンバーグ、おいしかったなあ……)  最期にふと湧いたのは、そんな他愛もない思い出だった。    *   *   *  魂の片割れは憂う。イーオン、と片割れを呼ぶ。  魂の片割れは憤る。ノックス、と片割れを呼ぶ。  同じ貌、ひとつの魂を持つ彼らは知らぬ宇宙を見下ろし、瞳を閉じた。銀色の睫毛が震える。体は既に、ここではない場所で棺に収まっている。精神だけを浮遊させて眼下の戦場を憂い、同時に憤るのだ。  やがて彼らは手を取り合い、黄金のゲートに鍵を差し込んだ。役目を終えた鍵は白銀の光となり、尾を引きながら繊細な蝶のようにふらふらと舞っては消えた。  魂の片割れは嘆く。  魂の片割れは頷く。  同じ貌、ひとつの魂を持つ彼らは形を保てなくなり、鍵と同様、淡い光となって闇に溶けた。

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