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フォーリン・ブルー 2
* * *
「つまり、マーテルの魂を吸収することが、君たちアルマの〝目的〟なのか」
「んー」
「定期的に魂を吸収しなければ、君たちは……その、消えてしまう、のか?」
「っていうか死ぬ」
「そう、なのか。だから縄張りを決めて、すべてのアルマが均一に魂を吸収できるようにしているというわけか?」
「んー」
「どうしてそういうシステムなんだ? どうして、いわば侵略者の魂を……。それに、魂を吸収してどうなるんだ?」
「んー。アルマの魂は空っぽだから」
「空っぽ? どういうことなんだ?」
「んー」
「……祥馬。俺と会話する気ある?」
一方的に疑問を連ねる朋坂などお構いなしで、九吹は唸っていた。目の前の皿に盛られたピーマンの山に。
「匂いですでに吐きそうなんですけどぉ」
「おまえが嫌がることをしないといけないんだろう? 観念して、食べなさいって」
「う~……」
ここ数週間は連日の襲撃が嘘のように平穏だった。いつファミリアの襲来があるかわからないという疑心暗鬼は拭えないものの、世間もひとまずは新年を祝い、正月休みを満喫しているところだろう。
朋坂と九吹の関係は依然として平行線のままだ。昼間は朋坂が働き、九吹は夜勤に出ることが続いている。アルマやマーテルの仕組みについて、尋ねれば言葉少なに説明はしてくれるものの、いまいち要領が掴めない。
(おまえが、聞きたいことがあるなら聞けって言ったんだろう)
と内心ごちるが、当のアルマはスマホ弄りに余念がない。ため息が出る。 テレビを点けるが、いくつかのチャンネルは味気ない砂嵐だ。いつぞやの襲撃で、報道の中心を担っていた主要放送局が大打撃を負ってしまい、当面は番組制作を見合わせると他局のニュースでやっていた。奇しくも〝魔法少年の正体を掴んだ〟という眉唾のドキュメンタリーを制作中だったようなので、朋坂は内心ホッとしていた。コマーシャルを見るたびに怯えていたのだ。
もしも目の前の少年が〝魔法少年〟の正体として大々的に報じられれば、奇異の目にさらされる。街の損害や犠牲者だって並ではないのだ。絶対に非難の的になる。
「まっ……ずい」
九吹はぶつくさ文句を言いつつ、箸を咥えて渋面を作っていた。
「祥馬の好きなケチャップで味付けしてあるんだぞ。美味いだろう」
「まっずいんだって。ヨリも食ってみ? やばいから」
しおれて焦げたピーマンをずいと突き出され、九吹の手ずからそれを口に入れる。何度か咀嚼し、咳払いをした。
「……俺、本当に料理が下手なのかも」
「そー。でも、もっと苦みを消してくれたら食えるかも。めっちゃ刻んで、ハンバーグにちょーっとだけ入れるとかさ」
「なるほど。今度、あゆみさんに教えてもらおうかな。……って、違う! ピーマンを克服させたいわけじゃないんだって」
ああ、と切れ長の目を丸くして、九吹は気の抜けた返事をした。本人も目的を忘れていたようだ。
「でもさぁ、やっぱ無理だって。こんなんで魔力補充なんて無理だよ。殴った方が早くねぇ? 傷なんてすぐ治せるし」
ピーマンを箸でつつき、九吹は唇を尖らせる。
「それはいやだ。言ってなかったけど……、おれ、血が苦手なんだよ」
「なんで?」
純粋な瞳で首を傾げられる。仕草が幼い。邪気のない雰囲気に、朋坂は一瞬口ごもる。言うつもりはなかったのに、すぐに懐に入ってくる九吹の前ではついつい余計な言葉が漏れてしまう。
「……元から苦手だったんだよ。サスペンスドラマとかも苦手だし、採血も大っ嫌いなんだ」
鮮烈な赤は、恐怖の対象だ。
先日、暇を持て余して一緒に映画を見たのだが、殺人シーンで朋坂は貧血を起こしてしまった。気絶とまではいかなかったが、ぼやぼやと視界が白霞み、上体がふらふらと揺れた。どくんどくんと自身の鼓動ばかり大きく谺するのに、こちらを心配そうに窺う九吹の声はフィルターでもかかっているかのようにくぐもって聞き取れなかった。
「それでもまあ、苦手って範疇だったんだけど。血を見て意識が遠のくのにはきっかけがあって……。数年前かな。目の前で派手な交通事故を見たんだ」
「事故?」
「そう。自転車に乗っていた男の子が……、高校生か中学生か、それくらいの子だよ。交差点で大きなセダンに跳ね飛ばされたんだ。夜中だったんだけど、それはもう現場はすごくてさ。辺り一面まっ赤だった」
夜闇にぬらぬらと光る、粘性の高い血液。ぐじゃりと血の海に沈む細い体。フラッシュバック。明滅する歩道の黄色信号。刻一刻と消えかかる男の子の生命と同化するように、やがてそれは血より鮮明な赤色に変わった。遠くのブレーキ音。からからと回り続ける自転車のタイヤ。駆け寄る足音。コンビニの袋を片手に持ったまま立ち尽くして、ジャケットのポッケの中でソフトの煙草を握り潰していた。
朋坂は口元を抑えて呼吸を整える。九吹は頬杖を突いて黙っている。
「俺が一番近くにいたんだけど、動けなかった。救急車を呼ばなきゃって思うのに、ぜんぜん体が動かなくって。運転手も動転して喚くばかりで……。それからすぐに通りかかったおじさんが仕切ってくれて救急車も来たんだけどね、男の子も一命は取り留めたんじゃなかったかな」
ふーん、という小さな相づち。
「俺はすぐにでも事情聴取に行かなきゃいけなかったんだろうけど、白目剥いて倒れちゃってたよ。情けないよな。自分でも心底そう思う。……それ以来、どうもあの現場が忘れられなくってさ。血が、だめなんだ」
声が掠れる。額を抑えて目眩をやり過ごしていると、空いたコップに冷たい茶を注いでくれた。それを一息に飲むのを見届け、九吹は箸を置く。
「それでも、してくんないと困る」
強い瞳だった。たじろいでしまうほどに。曖昧にむにゃむにゃと言い訳を考える朋坂とは違い、九吹はとっくに覚悟を決めていた。その意志の強さが、確固とした信念が、朋坂の胸に黒い一滴を垂らす。劣等感によく似た感情だった。
「他に、あるだろう。君を傷付ける方法なんて、……たとえば、」
はっと口を噤む。
(たとえば……? たとえば、……何を言おうとした、俺は)
朋坂が動揺に瞳を泳がせる。こめかみに汗が浮いた。くらくらと白い目眩が……、貧血、それとも自己嫌悪からくる自己防衛?
「たとえば? 何をしてくれんの? いい加減、ヨリも協力してくんねーと。俺もう、魔力ほっとんどねぇよ? 次の襲撃までに補充できなきゃ死ぬな、俺たち」
「わかってる。わかってるよ。……わかってる」
額を手で覆い、片手で九吹を制した。少し高い掠れた声が眩む脳に響き、やけに耳障りだった。目頭を揉む。震えるため息に苛立ちを乗せて吐いた。
「……祥馬、」
「なに」
お互いに、感情の読めない瞳と見つめ合う。出逢った当初よりずっと冷え込んだ目視だ。
「俺、……祥馬のこと、きらいだ」
「……っ」
一瞬の動揺。あれほど強かった九吹の眼光がわずかに萎む。
「わ、かってるよ。知ってる」
朋坂はさりげなく九吹のクリスタルを確認するが、発光は認められなかった。傷付いてはいない。その事実が、………妙に胸にどす黒く響いた。
無意識のうちに卓上に手を伸ばしていた。煙草を探している。また小さくため息を吐いた。
「……うそだよ」
九吹は何も言わない。ほっとしたようにも見えなかった。
長い沈黙が降りた。冷蔵庫が稼働する、低く長いモーター音が合間を繋いだ。
「臆病者」
モーター音どころか、時計の長針が進む音にすらかき消されそうな声が朋坂を罵倒した。はっと面を上げる。声の主は俯いて、冷め切ったピーマンに視線を落としていた。
「…………、そうだよ」
そんなことはとうの昔に知っている。瀕死の男の子を前にして何もできなかったことも、そのあとの自分のことも、現状のことも、自己憐憫のために問題を先送りにして現実に向き合えないことも、……言われなくても知っている。
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