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フォーリン・ブルー 3

   *   *   *  運命とはかくも無慈悲なものか。  朋坂はビルの屋上で凍てつく外気に頬を刺されながら、地上で揺れる金髪を見下ろしていた。指をかけたフェンスが凍り付いている。それに、鉄網にも微弱な静電気を帯びている。 「祥馬……っ! 待ってろ、俺もいま下に……」 「来るんじゃねえ!」  短い恫喝に、踏み出しかけた足が止まった。 「近くでうろうろされても、邪魔だっつってんだろ! いいからおまえはそこで死なないようにしてろ!」  普段なら喧嘩している最中ですら〝ヨリ〟と愛称で呼ぶはずなのに、いまはそんな余裕もないらしい。当たり前だ。結局まだ一度も、満足に魔力を補充できていないのだ。  静かだけれど確然とした確執を落としたあの夜からほとんど会話もないまま、翌日、二人は襲撃に直面していた。  ちょうど冷蔵庫を覗きながら夕飯をどうしようかと考えていたときに背中を小突かれ、怒る暇もなく手を引き連れ出された。慌ててサンダルをひっかけて走り、ぶるっと大きく身震いする。星ばかりが輝く冷え切った夜で、せめてコートだけでも羽織らせてくれる優しさがほしかったと、朋坂は何度もくしゃみをした。  まだわだかまりがあるのか、九吹の先導は冷たかった。マスターが付いてきているかもどうでもいいらしく、背後を振り返ることもない。同じ空気の層を吸うこともイヤなのか、ビルの上層を蹴って跳んでいた。拒絶とは裏腹に、ファンシーなラムネ菓子めいた星々が踵から舞うのを、地上から可笑しな心地で見上げていた。 「はっ、はっ……! しょ、ま、待って……」  ぜひぜひと喘鳴をひねり出しながら追い駆けるが、当然追いつかない。朋坂がようやく現場に着いたころにはすでに往来の退避は完了しており、がらんどうの歓楽街が広がっていた。ネオンばかりが明るくて、濡れたアスファルトに光源が乱反射して異様な雰囲気に包まれている。そこら中、ねとつく粘液で塗れているのだ。 「や、たすけて……っ! たすけ――――ッ!」  塗るつく粘液を纏った少年が、突如交差点に転び出てきた。腱を損傷しているのか、右脚を引きずり、ほぼ這うような格好で必死に逃げようともがいている。 「いやだ、いやだ、来ないで、ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさい、殺さないで、殺さないで、……いやだあぁッ」  両腕で頭を庇う少年――――、白い詰め襟の衣装を着たこの少年はアルマだ。彼を庇うように、コブラ型のアークが賢明に舌を伸ばして意味をなさない威嚇している。少年の衣装はボロボロで、魔力も尽きているのか防御魔法すら展開できずにいる。  哀れだった。  朋坂は圧倒的敗者である少年を目の前に、瞠目して喉を震わせるしかできなかった。あのとき――、セダンに跳ねられた少年を助けられなかった、あのときの自分と同じだ。何も成長していない。九吹に呆れられ、臆病者と誹られるのも当然だ。 (たすけ、ないと……)  喉仏が上下する。脂汗が湧いて、膝が笑う。動けない。また。 「ひゅ……」  逃げろ、と叫んだつもりなのに、脆弱な喘鳴が細く漏れ出ただけだった。  電光掲示板やキャバクラの派手な看板が連なるビル群を従えるようにして、全長十六メートルはある巨大クラゲ型のマーテルが浮いていた。透明な傘の中央には血走った目玉のタワー。プラズマの弾ける甲高い音。死を感じ取ったアルマの悲鳴が耳をつんざく。 「待―――……っ!」  朋坂がようやく声を振り絞ったのとほぼ同時だった。 『――――――――――……!』  隕石が落ちたかと思った。ドォンという爆裂音。間髪入れずに、マーテルから放たれる超音波の奇声。飛び散るアスファルトの塊。洪水のごとく溢れるパステルカラーの星。星。星の海。  成り行きを見守っていた九吹が、星の群れとともに屋上からマーテル目がけて一気に降下したのだ。そのまま巨大クラゲを踏みつけ、身を翻しながら美しく着地する。黒コートの裾が爆風に棚引く。 「退いてろッ」  恫喝しつつも九吹は朋坂に目配せをする。意図は伝わった。 「おいで!」  手を差し伸べると、ぽかんとしていた少年ははっと面を上げ、よろめきながらも朋坂の方へと一歩ずつ進んでくる。 「逃げて! はやく!」  手と手が触れ合い、思い切り引く。その勢いに乗って、詰め襟のアルマはがむしゃらに両足を動かした。すれ違いざまにライオネルの宝石が一瞬光り、少年は羽が生えたと錯覚するほどの軽やかさを取り戻す。治癒魔法をかけたのだ。 「あっ……、ありがとう!」  アルマは震える声で礼を言うと、通りを駆けて行った。彼の腕に巻き付いていたアークが、紫色の知的な瞳でかすかに一礼した。こくん、とライオネルも傾く。 「俺の縄張りだっつの。行ったか? よし、ヨリも高いところに行ってろ」 「でも……」  一緒にいたほうが何かあったときに動きやすい。そう思い留まろうとするも、怜悧な視線で釘を刺される。魂を縫い止められたとすら思えてしまうほど、冷たい瞳だった。 「今夜のヤツは手強い。……おまえを守りながらは、むりだ。遠くにいてくれたほうが気を遣わなくてやりやすい」  拳を握って、喉が焼けそうな憤りをやり過ごす。  自分がアルマの電池役だということ、それ以上の効果は生まないこと、助けにならないことは分かっている。だけど……。 「わかっ、た。危なくなったら退避しろよ」 「……ライオ、マスターに付いてろ」  浮遊する髑髏に先導され、朋坂は近くの廃ビルに駆け込んだ。鍵は壊されていて、侵入することは容易だった。疲労の溜まった体にムチを打って、階段を一段飛ばしで一気に駆け上がる。 (祥馬……、無茶してくれるなよ)  今夜の九吹は、焦っている。嫌な予感がした。まるで死を纏っている。黒衣が翻るたびに死の香りがする。そして嫌な予感は、的中することの方が断然、多いのだ。

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