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ガランティス演舞
* * *
寝入った祥馬のてくびの内側、ひときわ薄い皮膚に残った白いみみず腫れ。繊細な花の棘で傷付いたかのように可憐な傷跡は、祥馬が自身の手で刻んだものだ。
いやなこと、痛いこと。
マスターに縋らなくても、自分自身にそれらを施せば魔力が漲り、強くなれるのだと思ったと、彼はあっけらかんとした顔で言っていた。
そのとき、なんと返したのか。
きっと気の利かない、まごまごとしたあいまいな返事をして目を伏せたに違いない。その薄情な素振りに、意思の強い猫みたいな眼をわずかに細めすらせず、ふいと逸らせたような気がする。そんな、気がする。卑怯にも目を伏せていたのでその様子を実際に目の当たりにしたわけではない。それなのに、祥馬の逸らせる視線の緩慢さや、素っ気なさを具に瞼の裏に上映できてしまう。見たわけでもない場景を、第三者の視点で思い起こす。まるで見知った映画の一場面のように、インスタントカメラで適当に撮った一場面のように。まぼろしのように。夢のように。――――好き勝手思い描く、願望のように。
本当は、ひしゃげそうな、助けてほしそうな目で俺を見ていたかもしれないのに。
本当は、すべてを投げ出して生を終わらせたかっただけかもしれないのに。
* * *
「シナモンと、砂糖~。なあ、知ってる? シナモンも摂りすぎると毒になるらしいぜ」
「ああ、肝機能が悪くなるんだったかな。スパイス類は大体そうだろ、ナツメグとかはさいあく死ぬらしいし」
「ほーん。じゃあ、ナツメグを一気食いしたら魔力補充できたりせんかな」
「……、それはまた、別じゃないか。というか、補充以前にやっぱり、」
死ぬんじゃないか。
そう言いかけるも、タイミングよく祥馬が大きなあくびをしたため、声にならずに済んだ。
魔力補充。
その意味、痛みの儀式、――――昨夜ありありと思い知ったそれらの苦渋を思い出して喉が詰まった。マグカップにかけていた指を離して、スウェットのズボンで拭く。指から滴る祥馬の血を想起して、虫が這うような気持ちの悪い違和感を覚えた。
「ヨリ~、ミミあげる。かたい」
「かたくないだろ。ちゃんと食え」
「んー」
祥馬は向かいに座り、大人しく朝食を食べている。シナモンシュガーを振りかけたバタートーストに、慎ましい歯形がついていくのを、分け与えられたミミをかじりつつ亜観察する。
トースターがない朋坂家では、食パンはいつもフライパンで焼いていた。マーガリンを溶かしたフライパンでパンを焼くと美味しいのだと教えてくれたのは祥馬だった。朝食を摂る習慣がなかった朋坂にとって、香ばしいパンとコーヒーの香りで満たされたダイニングは、いまだに落ち着かないような気がする。
「ヨリ~、ココア、おかわり」
ぷは、と甘い息を吐く祥馬に毒気を抜かれ、はいはいと返事をして立ち上がった。膝の関節が鳴り、それすらからかわれる。
「ちゃんとサラダも食えよ」
横を通る片手間に頭を撫でると、はいはい、と祥馬は朋坂の真似をした。
昨夜の破壊衝動は、すっかり消え去っていた。
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