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ガランティス演舞(1)

(1)    急な病欠が出たらしく、本来のシフトと代わり、昼勤に入ることとなった。  祥馬が働いているコンビニは、夜シフトよりも昼シフトの方が圧倒的に忙しい。郵便依頼は立て続けに入るし、なぜかスーパー並みに買い込んでいく人や公共料金の支払い、スーパーバイザーの抜き打ちチェックなどが混み合う厄日で、この日は普段の倍以上、疲労感が高まっていた。 「っしゃせー」  平素から明るい接客などはしていないが、一層、声音から覇気が消える。破裂したソースがこびり付いた電子レンジを掃除しながら気だるい声をこぼすと、 「おまえ」  低い呼びかけとともに、突然肩を掴まれた。 「へっ!?」  驚いて振り返ると、ぼさぼさ髪の男性が、血走った眼で祥馬を睨んでいた。 「な、なに……」  目をまん丸にして、上から下まで男を眺める。異常な事態に遭遇すると、まずは観察から入ってしまうらしい。  年齢は三十代後半くらいか。落ちくぼんだ目と、手入れのされていない乾燥した髪のせいでもうすこし上に見える気がする。太い黒フレームの眼鏡にちいさな汚れが付着しているが、まったく気にしていないようで固い染みになっている。  ぎりぎりと音がしそうなほど強く食い込んでくる男の手は、病的に白い。顔面の青白さや、著しく突き出た喉仏や手首の軟骨からも著しい不健康が窺える。あまりにも鬼気迫る形相に、祥馬は非難することすら忘れて呆然と立ち尽くすしかなかった。 「アルマ……! おまえ、あの時の、」  しかし、男が発した〝アルマ〟という単語に、弾かれたように顔を上げる。 「ど、どうして」  そのことばを。  アルマやアークとは、限りなく秘匿された存在だ。身元が特定されてしまう情報は決して流出しない。  そういう〝摂理〟なのだ。  アークの力か、それともアルマが持つ力かは分からない。が、〝アルマ〟という呼称を用いて、なおかつ祥馬に向かってそう言い当てるのは……、 「誰だ、あんた」  瞳を眇める。わずかに紅く発光した虹彩に男は一瞬たじろぐも、すぐに憎悪の眼差しを取り戻す。獣じみたうなり声。荒い呼気。憎悪。 (憎悪……?)  恨まれる覚えは――――あるに決まってる。  戦いで破壊される街。侵攻を水際で食い止めきれなかったことなんて、アルマになりたての頃はざらにあった。マーテルに捕食されたひと。レモラに食い散らかされたひと。吸収されたひと。融かされたひと。犠牲になったひとを愛していた、無数のひと。ひと、ひと。  彼らの憎悪が向かうのは、強大すぎる不可侵のファミリアではなく、おなじ人型をしたアルマだ。  きっとこの男も、アルマの戦いによって傷付いたひとなのだ。 「バケモノ! バケモノ! おまえたちはみんなバケモノだ!」  悲鳴にも聞こえる叫びは、祥馬の全身を貫いた。 (俺は、…………ばけもの)  指を引き剥がそうとしていた手をすっと下げて、祥馬は唇を引き結んだ。丸っこくて切れ長の、猫みたいな目が潤んでいく。鼓動が一拍遅れ、次の瞬間には決壊したダムみたく熱い血潮が流れた。顔に血流が集まってあでやかに痛むのに、転じて血の気が引いていく感覚。倒れそうだ、と力の入らない足を踏ん張る。男は何も言い返してこない祥馬に、更に激高する。片手をジップパーカーのポケットに手を入れ、銀色の細長い――――ナイフを手に取った。 「ちょっと! 何をしているの!」 「チッ、くそ……!」  刺されても、首をへし折られても仕方がないと諦観していた祥馬は、異変を感じて覗きにきた同僚の怒号にはっと顔を上げた。 「平岡さん! 来ちゃだめだ!」  助けにきてくれた彼女に怪我をさせるわけにはいかない。その一心で乾いた喉から声を引き絞るも、男は祥馬の手を振りほどいて店外へと走り去っていった。 「ちょ、ちょっと九吹くん、大丈夫!? 何があったの!?」  去り際に突き飛ばされた祥馬は体勢を崩して盛大にレンジ台へぶつかり、尻餅をついた。平岡がうろたえながら膝をついて、冷や汗まみれになった祥馬の顔を覗き込む。 「うっ、……大丈夫。ちょっと、俺の接客態度が悪かっただけだから」 「そんなふうには見えなかったけど……、どうしよう、店長が来たら報告しようか」 「大丈夫。怪我とかしてないし、大事になるのもいやだし」  心配性の彼女はなおも言葉を口の中で転がしていたが、祥馬は何度も断りを入れて他言無用を念押しした。平岡はなんとか納得してくれたものの、やはり暴漢が店内で騒ぎを起こしたことが怖ろしいようで、退勤までのあいだずっとそわそわしていた。  無理もないだろう。  平岡からは、男が手にしたナイフは見えなかったようだが、かなり派手な見た目をしている祥馬に絡んでくる客はいままでいなかったのだ。まともな神経をしていたら、一見するとガラの悪い祥馬に手をあげようとはしないだろう。  特別な理由――……、恨みでもない限りは。 (ばけもの……、か)  分かっていた。自分でも時折、そう思っていた。  けれど、理解していても、突然その事実を明確な言葉と態度を持って知らしめられると、やはり堪える。  胸の奥に、巨大な鉛の塊が押し込められたようで、とてつもなく苦しい。    退勤までまだまだ時間がある。早く家に帰って、朋坂と一緒にくだらないテレビ番組を見て、甘いココアを飲んで、料理下手な家主が作った焦げた料理を食べたい。こっそり忍ばされたピーマンや、甘く煮たにんじんを食べたい。食べて褒められたい。本当は大好きなにんじんの甘煮を、わざと顔をしかめて食べて笑わせたい。  じっと自分の手指を眺めていると、次第にかたかたと震え始め、あわてて両手を胸に抱き込んだ。  朋坂に、いますぐにでも逢いたい。

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