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マジックアワー(4)
* * *
三秒にも満たない気絶ののち、覚醒した祥馬は不自然なほどに煌めきを放つチョーカーを満足げに撫でて、戦場へと戻っていった。このまま奇襲をしかけるようで、まさに臨戦態勢という具合だ。最短距離でマーテルの元へと向かう祥馬とは、ここでいったん別行動となる。無限に湧くレモラをちまちまと片付け続けるより、いっそ本体を一気に叩いてしまおうという作戦だ。朋坂はライオネルとともに、仁見の援護へと回る。
まるで補給艦にでもなった気持ちで、文字通り夜を走る背を見送った。コートの裾を彩る金色の飾りが、夜空にしゃらしゃらと涼やかな音を奏でて、これではまるで聖夜の到来だ。
こんなにも生臭い夜に。
祥馬の帰還を待ちながら迎撃を続けていた仁見はにわかに消耗を極めていて、舞い戻った祥馬の姿を見つけるなり、年相応にほっとした表情を浮かべた。灯火のようにくゆる最後の矢を投げやりにも見える動作で宙へと放ると、仁見は矢の行方すら目で追わず、くるりと背を向ける。満身創痍の様子を見せる仁見の背後で、天高く昇った矢は雪花の花火となった。ぱりぃん、と、弾ける音は限りなく透明に近い。繊細な、うすいうすいガラスが砕け散る音に似ていた。深い夜に透ける霜柱の花は、玉すだれのように地表へと伸び、氷の檻となってレモラを覆う。そして檻は瞬く間に収束し、閉じ込められたレモラごと砕け散った。
改めて、うつくしい戦い方をする子なのだと、たったの一矢で知らしめられた。
『ぐずマスター! ドクロをこっちに寄越せ! ヒトミが危ない!』
氷霧の迷彩だけで立ち回るのは、やはり分が悪いのだろう。アストラが飛ばす指示に頷き、氷雪に見とれていた朋坂ははっと意識を集中させた。ライオネルを引っ掴むと全力で駆け出す。
「今行く! ライオネル、頼んだぞ!」
突然躍り出た人間にレモラの意識が集中する。飛んでくる酸性の粘液を、ライオネルが張った障壁が弾き飛ばした。自身の吐き出した粘液をまともに浴びたレモラを、宝石のように磨き上げられた大きな氷柱が串刺しにする。これで、この一体に湧いていたレモラは一掃できたはずだ。次の群れが生まれるまで、すこし余裕がある。
「すみません、朋坂さん。こんな敵陣のど真ん中に呼び寄せてしまって」
「いいから! 仁見くんはライオネルの後ろに下がってくれ」
着物の袖を掴んで軽く引くと、仁見は大人しく従った。スマートな身のこなしで動く仁見が、わずかに足を庇う動作を見せた。見れば、ヒールの欠けを魔力で錬成した氷柱で充填していて、その姿だけでも彼がどれほど尽力して一戦を守っていたのかをうかがい知ることができる。
「大丈夫か?」
よろける痩躯を庇って支えると、貧血気味の青白い顔から緊張が緩むのが見てとれた。
「ええ。アストラが頑張ってくれたおかげで、どうにか」
仁見がアストラの横腹のあたりを指で撫で、やわらかい声でパートナーを労る。
『オ、オレは何も……! ヒトミだ! ヒトミが頑張ったんだ!』
ライオネルと祥馬が固い絆で結ばれているように、この二人もまた、お互いを支え合い、労り合いながら今まで戦い抜いてきたのだ。
当初の仁見とアストラは、祥馬とはまた違った孤高を醸していて、ともすれば険ばかりを感じていた。けれど、こうして同じ戦場を共にするたび、背中を預けるたび、二人の慈しみあう関係性を目の当たりにしてこころから尊びたくなってしまう。
「仁見くんも、アストラもあの数のレモラ相手によく持ちこたえてくれたよ。二人のおかげだ。本当にありがとう」
支えている背を撫でると、仁見はむずがゆそうに目を逸らした。そして、上目がちにおずおずと切り出してくる。
「うちのマスター……、竹間は何と?」
不安げな表情を見せるのは珍しい。凜とした表情ばかり見ていたので、新鮮だ。
「襲撃ごとにファミリアが力を伸ばしていることを、危惧していたよ」
「……そう、ですか」
彼がアルマの力に限界を感じはじめていることは、もちろん黙秘した。仁見がなにを懸念しているのかは推し量ることもできないが、自分の主人が劣勢のなかでも姿を現さないことに憤っていることはすぐに察した。ちらりと、わずかに揺れたアイスブルーの視線は異様な覚悟の光をもって路地の暗がりを見つめていたが、すぐにその光は長い睫毛の影に切り取られてしまった。
『……よし、オレはクスイのサポートに回ってくる!』
複雑な憂いを見せる仁見を気遣ってだろう。アストラはわざと大きな声を出して、ふんと鼻息荒くライオネルの鼻先に顔を寄せた。
『だから、ライオネルはヒトミのことを護っててくれよ!』
と、はじめてライオネルの名を呼び、言うが早いか身体を光矢に変身させ、流星よりも疾い速度で消えた。蒼魚のアークがなによりも大切にしているアルマを託されたライオネルはその様子をしっかりと見届け、一層硬質な障壁をドーム状に拡げた。アストラの想いを受け継いだ障壁は、ただ堅牢なだけではない。ほのかに温かく、そして燦然とした煌めきを帯びていた。
「……アストラには頭が上がりません。彼はいつもああして、私のために休む暇もなく走り回っています」
眼鏡を取り、仁見は天に向けて細い息を吐いた。
「仁見くんのことが大好きなんだ、アストラは」
そう朋坂が言うと、仁見は眉根を寄せて困ったように微笑んだ。
奇しくもアークたちが交換されたような形となった。遠くのビル群では、祥馬の朱鷺焔と、対照的な色味を持った氷霧が混じり合い、海辺の夕焼けのような美景を生み出していた。冴え冴えとした夜と、燃える静かな夕陽がゆるやかに攪拌しては流れて棚引く、幻想のマジックアワーが深夜の街に生まれていた。
「あっちではそろそろ真のマーテルが姿を顕すでしょう。地中に隠れているようですが、すこしずつ、気配が……、ああ、来ますね」
仁見が声を潜めるのと同時に、唐突に〝それ〟はやってきた。
ファミリアの気配を気取ることのできない、ただの人間である朋坂さえはっきりと感じ取ることのできる、禍々しい〝禁忌〟のかおり。
土足で神域を踏み荒らすような、崇高な寺社を祟るような、純粋で普遍的な〝タブー〟を素手で無遠慮に塗りたくられるような、そんな抗えない悍ましさと畏怖が、やってくる。その畏れのかたちは――――……。
地中から天高く伸びた、人間の毛髪。祥馬とアストラがいるであろう、マジックアワーの垂れ込むビル街に出現した〝それ〟はしかし、肉眼で姿形が見て取れるほどに巨大だ。
三つ編みに結われた一本の太い毛髪の束が、奇妙な関節をもって四方に身をよじっている。まるで漆黒の注連縄だ。意思を持った黒髪が、あるはずもない声帯を震わせて――――、唄っている。
「なんだ、この歌は……?」
マーテルと朋坂のいる地点は、そこそこの距離がある。それなのに、あたかも至近距離で耳を舐めるように歌い上げられているように感じる。距離感が、――――声の距離感がどう考えてもおかしい。
「朋坂さん! 唄を聴いてはいけません!」
仁見の疾呼より先に、本能で両耳を塞いだ。
「くそっ……、眼を合わせるなの次は、聴くなっていうわけか?」
今回のファミリアは、五感の破壊を的確に狙い定めている。全体的にどこか陰湿でいて、そして狡猾だ。
「祥馬……ッ!」
届かないとは知りつつも、声を上げずにはいられなかった。マーテルの近くで戦っているはずの祥馬は、一体どうなっている。
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