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Ⅰ:3

 不思議な感覚だった。  力の入らない唇はすんなりと誰かのそれを受け入れて、舌を伝わせ少しずつ流し込まれる唾液を少しの抵抗もなく嚥下した。  体の具合があまりに悪過ぎて、嫌悪とか、そんなの感じる余裕もなかったんだと思う。 そうしてその感覚はやって来た。 「んっ…んく、ん………んんっ」  与えられる唾液を飲み込むたびに、細胞一つ一つに何かが浸透していくのが分かる。それはまるで湧き水の様に清らかなもので、身体中に蔓延っていたイバラがするすると外れていく様だった。 「はっ、ん…ん、はっ、んく…」  もっと  もっと  もっと…  俺を楽にしてくれるそれが、もっと欲しい。  いつの間にか動ける様になっていた身体が、思わず目の前の人物へと腕を伸ばしていた。けど… 「はふっ…」  捕まえようと伸ばした腕は手首を取られ、相手に触れる前に元に戻された。  ぴちゅ…と水音を立てて離される唇。  互いが細い銀糸で繋がり、やがてプツリと切れたのを見て、俺は漸く目の前の男に目を向ける。 「……ぇ、っと、」 「気分は?」 「え…」 「楽になった?」  男と場所を入れ替わり医師が話しかけてくるが集中出来ず、俺の目は男を追っていた。  黒いスーツを身に纏った男は多分、今年二十五になる俺より少し上くらい。  色素の薄いちょっと長めの髪を後ろに撫でつけ、長い睫毛に縁取られた瞳は綺麗な二重なのに鋭く精悍さが滲み、男らしさを強調している。  その容姿はホストと言うには品が有りすぎて、有り触れたサラリーマンと表すには少し異色過ぎた。 「光くん、目、しっかり開けられる? 補聴器も取ってみようか」  医師に言われて初めて気付くが、既に全身のどこにも痛みや不快感は無く、あれ程自分を苦しめていた全ての五感が今正常に戻っている。 「どう?」 「全く何も……普通に戻りました」  医師はホッとした表情で軽く俺を診察すると、小さく「凄いな」と声を漏らした。 「光くんは結構症状が重い方なんだけど…こんな短時間で完全回復するだなんて、君たちはよっぽど相性が良いんだろうな」  俺は医師の後ろに居る男をチラリと見る。すると男も俺を見ていた。やはり、とんでもない美形だ。何の感情もない目で俺をジッと見ている。 「光くん、彼がこれから君のセカンドガイドになってくれる、栗原啓(くりはらけい)さん。初めの一カ月は一週間置き、次の月からは二週間置き…といった感じで段々間隔を置く様にしていくからね。これから長い付き合いになるんだ、仲良くするんだよ」  そう言って笑った医師とは反対に、男は少しも笑うこと無くただ一言だけ「よろしく」と俺に呟く。  それは“バリトン”と言う程低く掠れてはいないが、けれども妙に腰にくる甘い声だった。

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