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終章:終
◇
「なぁ、栗原さん」
連れて行かれたのは栗原さんが泊まっているホテルだった。彼は部屋に戻った途端俺を抱きしめた。胸元に俺を抱き込んで、ただ黙って髪を撫で続ける。
「俺、平気だよ。ちょっとビビったけど、助けてくれたから未遂だし、アレくらい何てことない。俺、男だし」
声をかけてみても栗原さんは返事を返して来なかった。溜め息を一度だけ吐いて、頭を栗原さんの肩に預ける。そのまま目を閉じると、暗闇の中にさっきの光景がぶわりと広がった。
思わず体を跳ねさせて栗原さんを見上げれば、何の表情もない顔でジッと俺を見下ろしていた。
悔しい。男なのにあんな風に襲われて、トラウマみたいに恐怖を植えつけられるなんて。
俺は唇をキュッと噛む。それと同時に、俺を抱く栗原さんの腕に力が篭った。
「こう言う事に、男も女も関係ないでしょ」
「けどさ、こんなのって…」
男が男に抱きしめられて慰められるなんて、何だか凄く恥ずかしい。
栗原さんはそう言った俺を抱き直すと、再び髪を撫でながら「気にしなくて良い」と言った。
「これは慰めてるんじゃなくて、俺がやりたくてやってることだから」
「え…」
「兎に角胸騒ぎがしたんだ。行ってみれば案の定君が彼奴に襲われていて、自分でも驚くくらい動揺した」
「栗原さんが、俺のことで…?」
驚いてもう一度見上げると、そこには困り顔を浮かべる栗原さんがいた。
「怖いと思ったよ、君を傷つけられることが。俺は君を誰かに触れさせたくない…みたいだね、子供じみた独占欲だ」
聞いた途端、隠すこともできず赤く染まる俺の顔を見て、今度は優しい笑みを見せた。
(可愛い…)
「んッ!」
肉声とは違う何かが、耳ではなく俺の頭の中にスッと響いた瞬間、栗原さんは俺に唇を重ねた。それは“治療”なんかでは無く、欲を匂わせるキスだった。
優しくしたい
大切にしたい
触れたい
抱き締めたい
「んん~っ!!」
耳を塞いだって流れ込んで来るその声に、俺の体はこれ以上無いって程熱くなる。漸く解放されたそこから大量の息を吸い込むと、噎せるようにして栗原さんを責めた。
「あっ、あっ、アンタなぁ!」
「ん…」
「んッ!? んっ、はぁ、ンっ、ふ」
だが全く何も主張できぬまま、またもや唇を塞がれたかと思うと舌をきゅうっと吸われた。
「ンぅうっ!」
いつもとは真逆の感覚に、矢張り治療とは別物だと見せつけられて、顔だけじゃ無く全身が赤く染まりきった。
俺の心は完全に観念して、全身の力を抜いて彼に全てを委ねる。
すると栗原さんがほっとした笑みを見せた。それは、迷子の子供が親を見つけたような表情だった。
しかし直ぐに何かのスイッチが入ったのか、全身にキスを落とし始めた。
「あっ、あ……ぁ、んっ」
体を交わらせる時の様な激しさは無いが、明らかな愛撫に肌がピクンピクンと反応するのが自分でも分かって恥ずかしかった。
「やめっ、やめろよぉっ、あっ!」
可愛い
可愛い
可愛い
「可愛くねぇよ!」
聞こえた声に俺が叫んで抗議すれば、栗原さんは一瞬だけ驚いた顔をして、やがてニヤリと笑う。
「あっ!」
「へぇ…」
それからの栗原さんは鬼でしかなかった。
甘い言葉を、しかも肉声では無くワザと心の中で呟きまくって俺の脳を痺れさせる。その上体がとろんとろんに蕩けるくらいあちこちにキスを与えられた。
バイト先で受けた暴力と恐怖、そして今までの記憶があっという間に遠くへ追いやられる。
その感覚に何だか少し切なくなって、涙が一粒零れ落ちた。
店長には今でも感謝している。
襲われたってその気持ちは変わらないし、忘れたいとも思わない。だって、本当に良くしてもらったから。
俺たちの関係は修復できないくらい壊れてしまったけど、だからこそ、この気持ちはちゃんと伝えるべきだとも思う。だから、もう一度話をしに行こう。
今までの、ダメな自分とも決別するために。
止まらなくなった涙と嗚咽を零す俺に、栗原さんは止めること無くキスを降り注いだ。
(ありがと、ありがとな…栗原さん)
アンタが支えてくれたから俺、変われるかもしれない。口には出していないはずなのに、栗原さんは意味ありげに目を細めた。
彼の手に指を絡め強く握ると、彼もまた、強く握り返す。
そうしてどちらともなく近付いて、初めて互いの意思が通じたキスをした。
自身の過去を乗り越え俺を支えてくれたように、今度は俺がアンタを支え、深く満たしたい。
物寂しい世界から、今度こそ俺が連れ出してやりたいと思った。
俺が栗原さんの家へと引っ越したのは、この日から二ヶ月が経った頃の事だった。
「ちょっ、ちょっとアンタいつまでチュッチュしてんだよしつけーよ!!……なんだよっ、笑ってんじゃねぇよバァカっ!!!」
END
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