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顔面から着地して無様に痛がっていた意地悪お兄さんは「虎」と聞くや否や温泉での出来事を思い出します。 露天風呂でわちゃわちゃしていた三兄弟の巨大虎を。 「虎……って……、……つぅか……は……? 嫁ぐ……? そりゃあ一体、何の冗談だ……?」 いつの間に九九が出したお茶を静々と飲みながら緋目乃は淡々と続けます。 「お前に救われたという妖虎(ようこ)が緋目乃に会いにきました」 「よ……ようこ……? 妖狐(ようこ)ってコイツや九のことなんじゃあ……?」 「違うでしゅ。きつね、とら、別のあやかしでしゅ」 「へ……へぇ……? でも、俺、助けた覚えなんかねぇぞ?」 「灰色髪の、灰色耳をした、頭の悪そうな、人間なのか狐なのかあやかしなのか、よくわからん半端者に救われた、そう言っています」 「完っ全に悪口じゃねぇか」 若白髪の意地悪お兄さん、未だに自由に出し入れできない灰色の狐耳を不機嫌そうにピコピコさせます。 「大陸で名の知れた三兄弟。こちらでは黄金(こがね)(しゅ)琥珀(こはく)と呼ばれています。緋目乃の一族の知己でもあります」 長男の黄金がお前を娶りたいそうです。 「ちょ、待て……朱と琥珀ってのには色味からして覚えがある……でも黄金っていうやつは……元は毛玉で……湯に浸かったらいきなり巨大虎に……あのインチキ宿で迷ってたら、助けてって、声が……あ」 自分で喋っていて意地悪お兄さんは目を見開かせました。 緋目乃は頷きます。 「助けてあげたのでしょう」 「いや、助けたっていう自覚ねぇんだけど」 「娶られなさい」 「は?」 「彼らとは良好な関係を築いていきたいのです」 「ッ……おいッ!! このパワハラモラハラ当主!! 俺の意思を無視すんじゃねぇ、そもそも俺は九の……ッ……そーだよ、あの九が許すわけ……」 「彼奴にはもう話しています」 意地悪お兄さんはポカンとしました。 「嫁ぐといっても期間限定の話。レンタル嫁です」 「れ……れんたる嫁……」 「レンタル嫁でしゅか。緋目乃様。それはいつまでと決まっているのでしゅか?」 「未定です」 「み……未定……」 お茶を飲んで立ち上がった緋目乃、まだポカンしている意地悪お兄さん、その隣でちょっこん正座している九九。 「緋目乃の屋敷で彼らは待っています。おいでなさい」 もうかよ、早ぇよ、心の準備が追い着かねぇよ、そんなことを思う余裕もない意地悪お兄さん。 ……九の奴、俺のこたぁどーでもいーのかよ。 ……ことあるごとに「僕のもの」とか抜かしてたくせによ。 ……うそつき狐め。 「泣いてるでしゅか?」 九九に繁々と顔を覗き込まれた意地悪お兄さん、悔し紛れにキッと睨み据えます。 「泣いてねぇ! あんなばけもん狐もう知るか!」 「泣いてるでしゅか?」 「しつけぇ! うるせぇ!」 八つ当たり気味にキーキー喚けば九九は朗らかにニコニコ、腹が立って仕方がない意地悪お兄さんはムカムカ、イライラ。 「とと様に放置きめられて悲しいでしゅか?」 「ッ……この……ッ……このッ……お前なんかごんぎつねの二の舞にでもなっちまえ!」 「きゅるる!!」 くるりと一回転して大袈裟に怖がってみせた後、九九は、ずっと床に這い蹲ったままでいる意地悪お兄さんに小さな小さな両手を差し出しました。 「緋目乃様のお屋敷に行くでしゅ」 いつの間にやら消えていた緋目乃。 「……このまま逃げちまおうかな」 「緋目乃様からも虎からも逃げられないでしゅ」 「フン……でもまぁ……九の元からは逃げられたってわけだ」 強がりながらも明らかにしょ気ている意地悪お兄さん。 モフモフなお耳と尻尾をぴょこんと出して九九は言いました。 「とと様のこと、見縊(みくび)っちゃあ、だめでしゅよ?」 さっきから囲炉裏の灰ばっかり見つめていた意地悪お兄さんは、ぎこちなく目線を移動させ、自分を覗き込む九九を見上げました。 「九九、それ、どういう意味だ?」 ふんわり笑った九九は答えないで。 意地悪お兄さんの両手をとりました。 この世とあの世の繋ぎ目なる異界へいざなうために。

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