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そこは、あやかし温泉郷ダントツの人気を誇る、からくり宿の離れでした。
蓮池を突っ切る渡り廊下をしばし進めば、常しえの宵闇に妖しげに灯るランタンがいくつも吊り下げられた石畳の中庭へ出ます。
目の前には赤色の建具が闇夜に映えるオリエンタルな古民家風建物。
曲線を描く反り屋根には仰々しい飾り瓦の装飾、外壁は石レンガ、どこもかしこも開け放たれた開口部の戸はどれも格子調で複雑な幾何学模様が美しいです。
大きな大きな赤いおばけ金魚が数匹、丸い軒柱の周りをぐるぐるぷかぷか泳いでいました。
「慣れって怖ぇな」
豪華っちゃあ豪華なんですが、キョンシーでも出てきそうな古のチャイニーズホラーな雰囲気の内装。
ザラザラした石張りの床に足を伸ばした意地悪お兄さんはポツリと呟きます。
本来の姿である巨大あやかし虎の姿になった黄金の懐にすっぽりおさまって、当の黄金は熟睡中、イビキをごぅごぅかいたり、うにゃうにゃしたり、ギラリと牙を覗かせて唸ったり。
「……やっぱ慣れねぇわ」
風通しのよすぎる開放感ありまくりな空間で延々と回転する回り灯籠。
縞々毛並みを惜しみなく光り輝かせる黄金の懐に身を預けた意地悪お兄さんは。
『おれの本当の姿は知ってるよね』
姿を変える前に黄金と交わした会話を思い出します。
『お前、あのいけ好かねぇ弟らを守って力を封じられたんだって?』
『あはは。朱も琥珀も根はいいこだよ』
その昔、黄金は退魔師によって力を封じられて小さき姿に退化させられていました。
『数百年も毛玉のまんまでいたわけだよな?』
『うん』
『つまりよ。お前にかけられた封印に寿命がきたんじゃねぇのか』
『寿命?』
『数百年も経過すりゃあ封印だって劣化していくもんだろ。退魔師ってやつの力も徐々に弱まっていって、あの温泉でとうとう無効になったんだよ』
『ふーん』
『だから、つまり、俺は何もしてねぇ。お前を助けたわけじゃねぇ』
『でも。おれの声を見つけてくれた。おれのこと抱き上げてくれた』
『……あんなん助けたに入らねぇよ。とにかく、だ。俺がお前の封印解いたわけじゃあねぇからな?』
大したこともしていないのに「助けてくれてありがとう」と言われてずっと居心地が悪かった意地悪お兄さん。
『封印の効き目が切れたときに偶々居合わせただけだ』
黄金はそんな意地悪お兄さんの両手を両手でぎゅっ、しました。
『おれはあなたに運命を感じてる』
いきなり何するんだ、何抜かすんだと、呆気にとられている意地悪お兄さんに黄金は言いました。
『封印が解けた瞬間、おれの一番そばにいたのは、あなた。そのことに意味がある』
柄にもなくドギマギしてしまった意地悪お兄さん。
人間のカッコでいるときは俺より年下っぽいくせに、実際は巨大虎、そんで数百歳、妖虎兄弟の長男。
きっと引く手数多だろうよ。
九みてぇによ。
別に俺なんかに運命感じなくたって……。
……つぅか本当、九の野郎、俺のこと捨てやがって、あの助平薄情狐が!
「もう同衾でしゅか」
意地悪お兄さんは、いつの間に真正面に降り立った幼女風男子の九九をジロリと睨みます。
「お付きの者のくせに俺から離れてうろちょろしやがって、ちゃんと世話しやがれ」
「とと様に放置きめられたから、虎にすぐ乗り換えでしゅか、尻軽お兄さん」
「グーで殴るぞ、九九」
軒先で漂っていたおばけ金魚が建物の中にまで入り込んできて、ぷーかぷーか、九九の周りを一周します。
「なぁ」
「なんでしゅ、尻軽お兄さん」
「それやめろッ」
つい声を荒げれば黄金がまた唸り、ふっかふかの懐に甘んじていた意地悪お兄さんは慌てて声のトーンを落としました。
「本当はよ、緋目乃はああ言ってたが、九は知らないんじゃねぇのか? 俺が貸し出されてるってこと」
「知ってるでしゅ」
意地悪お兄さん、ガックシ、です。
「今彼に抱かれて元彼の話するなんて、さすが尻軽でしゅ」
「今彼じゃねぇ、それに元彼でもねぇぞ」
冬毛仕様の狐耳と尻尾を出した九九は首をコンコン傾げてみせます。
「アイツは俺の夫だ。コッチは嫁になってやったんだ。それなのに勝手に話進めてレンタル嫁なんてフザけたこと決めやがって。しかも緋目乃の口から言わせて自分は雲隠れときた。ズル過ぎんだろ。何様だ。簡単に俺のこと捨てやがって……畜生……憎ったらしい奴……」
「泣いてるでしゅか?」
「泣いてねぇよ」
きもちよさそうに熟睡する黄金をチラリと見、ちょっと肩を竦め、意地悪お兄さんはふかふかな腹を一撫でします。
「なぁ、九九。てめぇ、だ〜〜い好きなダンナ様んとこにいなくていいのかよ」
意地悪お兄さんの知り合い・優男お兄さんと一緒に仲睦まじく暮らしている九九。
「だんな様は里帰り中なんでしゅ」
「へぇ。そうなのか」
「だから暇潰しにお前のお世話してあげましゅ」
「暇潰しかよ」
ちょっと笑った意地悪お兄さんでしたが。
やっぱり、どこかしら、淋しそうなのでした。
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