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「好きな食べ物、教えてくれる?」
「餅だな。香ばしく焼いたのを海苔で挟んで食うのがたまらねぇ」
「おもち」
「うぉぉ、そうそう、これこれ!」
離れに用意された立派な火鉢に焼き網、その上でぷーーーっと膨れ出したお餅に意地悪お兄さんは目を輝かせます。
「あちちっ、ふーふーっ」
火鉢を挟んで向かい側に座った黄金は、お餅に夢中になっている意地悪お兄さんにふふっと笑います。
「うん、うまい!」
「そんなにおいしいの? おれも食べてみよう」
そう言って、熱々のお餅を素手で網からひょいっと取り上げ、口の中に放り込んだかと思えば。
「ッ……ッ……!!」
びっくりまなこになって見るからに悶絶し始めました。
「おい、黄金、大丈夫かよ?」
「ッ……ッ……熱くて、びっくりした」
「いや、そりゃあ熱いけど泣くほどか?」
まさか虎だから猫舌なのか?
「しょーがねぇなぁ」
魅惑の甘スパイシー顔をきゅっと萎ませてヒリヒリする舌に参っていた黄金ですが。
海苔で挟んで念入りにふーふーふーふーしたお餅を意地悪お兄さんに差し出されると、一転してぱぁっと顔を輝かせました。
「ありがとう。いただきます」
「おぅ、有難く食え」
偉そうな意地悪お兄さんに黄金は嫌な顔一つせず、おっかなびっくりお餅を食べます。
「どーだよ、うまいだろ」
海苔で挟んでふーふーしただけなのにドヤ顔全開の意地悪お兄さん。
黄金はこっくり頷きました。
斜め前髪に隠れがちな片目を覗かせて、瑞々しい頬を紅潮させて、尋ねてきました。
「おれも、今日から、あなたと同じものを大好物にしてもいい?」
意地悪お兄さんは思わず喉にお餅を詰まらせそうになりました。
「うう゛ッ……べ、別にいちいち了解とんなよ、そんなこと……気に入ったんなら別にいーんじゃねぇの? 別によぉ……」
やたら「別に」を連発して動揺している意地悪お兄さん、意地悪お兄さんがくれたお餅を大切そうに一口ずつ味を噛み締めて食べる黄金。
はぁ、調子狂うぜ……。
純粋な美男子妖虎に翻弄されて心乱されつつお餅を食べ続けていましたが、ふと、口によく馴染んだ味を思い出して次の餅に伸ばしかけた手を止めました。
……この餅も十分うまいけど。
……九が焼いてくれた餅の方がうまかった気がする。
「あ」
止まっていた意地悪お兄さんの手の先でさっと奪われたお餅。
「コンコン。ぼくもご相伴にあずからせてくださいな」
九九でした。
ついさっきまでいなかったはずなのに、斜向かいにちょっこんお座りし、両手で持ったお餅をぱくぱくする子ぎつねに意地悪お兄さんは呆れます。
「図々しいやつ」
「じゅっ」
「あぢッ! お前ッ、火箸で俺の手ぇ挟むんじゃねぇ!」
この世とあの世の繋ぎ目なる異界。
ずっと宵闇に支配されていて時間の経過がイマイチわかりません。
黄金はそばにいたり、いなかったり、虎の姿になったり、人の姿だったり。
この離れに来てから朱と琥珀とは会っていません。
「おねむでしゅか」
意地悪お兄さんの一番そばにいるのは九九でした。
「黄金もいねぇし、特にやることねぇしよ」
中庭にあった背もたれのない木のベンチに仰向けに寝そべって、ランタンの間をぷーかぷーか泳ぐおばけ金魚をぼんやり見上げ、意地悪お兄さんは欠伸をします。
「お湯に浸かってきたらどうでしゅか」
「あー……もう飽きたっつぅか」
「これ以上脳みそが茹ったらヤバイでしゅもんね」
「うるせぇ」
やっぱり、何となく、元気がなくて淋しそうな意地悪お兄さん。
「お?」
くるんっ、その場で一回転してまっしろふわふわな子ぎつねの姿になった九九。
意地悪お兄さんのお腹に飛び乗ります。
コンパクトに丸まって目を瞑ります。
もふもふ尻尾を枕にするように頭を乗っけます。
「なんだよ、お前も里帰り中のアイツが恋しいのか?」
意地悪お兄さんったら「お前も」なんて言っています、自分が狐夫の九を恋しがっていると肯定しているよーなもんです、無自覚にも程があります。
突然の放置。
いとも容易く妖虎に貸し出されて、実のところ、怒りよりも淋しさの方が勝っているみたいです。
赤く長い尾鰭が視界をゆらゆら行ったり来たり、幻じみた儚い様をぼんやり眺めていた意地悪お兄さんは、うつらうつら、いつしか夢の世界へ……。
誰かに頭を撫でられています。
「ん……おい、さわんな、起こすんじゃねぇ……人が気持ちよく寝てるってときに……」
心地よかった眠りを妨げられた意地悪お兄さんは仏頂面となって目を開けました。
「え」
そこにいたのは。
九でした。
「ッ……ここ、の……」
かと思いきや?
「きゅるる」
「ッ……きゅる、る?」
「ぼくでしゅ」
「はっ?」
「九九でしゅよ」
どっからどう見ても狐夫の九にしか見えない彼はそう言い、硬直している意地悪お兄さんに微笑みかけました。
「あんまりにもお前が淋しそうだから、とと様に化けたでしゅ」
腹の上でまぁるくなって眠っていたはずの小ぎつね、それが、いつの間にやら自分が膝枕されていて、真上には九にしか見えないご尊顔。
「……てめぇなぁ……」
かんっぜん化かされてバカにされたよーな気分の意地悪お兄さん、激オコです。
「きゅーーー!」
彼の両方のほっぺたを全力でつねってやりました。
「お前なぁ、九九、やっていいことと悪ぃことがあんだろーが」
「お前は意地悪なことばっかりしているくせに」
「うるせぇ、うるせぇ、とっとと元の姿に戻りやがれ、胸クソ悪ぃんだよ、ほっぺた千切られてぇのか」
「きゅーーー!」
限界までほっぺたを引っ張られて、ぼふんっ、九の姿は幼女風男子の九九に変わりました。
「くりそつだったでしゅか?」
身を起こした意地悪お兄さんのお膝に抱きついて九九は得意気に尋ねます。
「くりそつ過ぎて殺意湧きそうだったわ」
「きゅるるん。<ばけがく>は妖狐一族のお家芸でしゅ。どのあやかしにも負けないでしゅ。たぬき共なんか目じゃないでしゅ」
「へぇ」
「もっと感心しろでしゅ」
膝をポコポコ叩かれた意地悪お兄さんは九九のもちもちほっぺたを両手で包み込みました。
「ちょっとガチで引っ張り過ぎたな、悪ぃ、九九」
九九はおめめをまぁるく見張らせます。
前よりもしょんぼりしてしまった意地悪お兄さんに小首を傾げてみせます。
一瞬、九が迎えにきてくれたのかと思って。
嬉しくて。
でも、化かされたとわかって。
やっぱり淋しくて。
「あーあ」
意地悪お兄さんがついたため息はちょっと震えて捩れていました。
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