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第21話

「…大丈夫?」 サラリと髪を梳きながら。 降ってきた声はとても温かくて、その言葉は労りだった。 信じられない思いで恐る恐る水無瀬を見上げると、眉尻を下げ青い瞳に悲しみを浮かべ、本当に心配そうな様子だった。 水無瀬はきょとんとしてしまった水樹に何を思ったのか、えっと、と頬を掻いた。 「いや、ちゃんと合意ならいいんだけど…前にああいうことがあったから。」 余計なお世話だったらごめんね、と水無瀬は苦笑した。 前、というのはきっと、中学の時のことだ。同級生に強姦されて、その事後を発見されたあの時。 汚いよ、と頻りに繰り返す水樹に、汚くないと諭してくれたあの時のことだろう。 思えばあの時だ。 水無瀬を意識したのは。 「あ、うん…大丈夫…」 合意ではなかった。 けれど仕方なかった。 発情期だったのだから。 相手だってΩの発情期に当てられて不本意だったことを思えば、お互い嫌な思いをしたのだからイーブンだろうと水樹は考えていた。今度部活で会ったら水樹からも謝るつもりでいた。 水無瀬は少し神妙な顔をして、そう、と呟いた。 「お兄ちゃんが納得してるなら、いいんだけど。」 サラサラと髪を梳いてくれていた手が離れていった。名残惜しくて、その手をじっと見つめてしまう。 離れた手は自販機に伸びて、綺麗な指が迷いなく有名な桃のジュースのボタンを押した。 それを見て、水無瀬と会わなくなってしばらく経っていたことを思い知る。 (イチゴオレじゃ、ない。) いつも甘い飲み物を買っていた。 知り合った頃はイチゴオレ、そのあと何度か水無瀬のマイブームは変わり、最後に10円渡した時はイチゴオレに戻って来ていた。 飲み込まれた小銭の代わりに吐き出された桃色のペットボトルをすぐに開けて一口。 水分が含まれた薄い唇が妙に艶っぽくて目が離せないでいると、バッチリと目が合った。 その視線は先のような鋭利なものではなかったけれど、どうしていいのかそれはそれで困ってしまって、水樹は慌ただしく自販機に小銭を入れた。 チャリンチャリンと小銭が飲み込まれていく音がしたような気がしたが、そんなことよりも自分の荒れ狂う鼓動の方が五月蝿い。 ドッドッドッドッ。 こんな鼓動、部活で1キロ走った後でもしない。 鎮まれ鎮まれ、と心の内で呪文のように唱えていると、クス、と小さい笑い声が聞こえたので振り返ってみたら。 「お兄ちゃんは、高校の青いネクタイの方が似合うね。」 ふんわり微笑んだ水無瀬。 その破壊力といったら、その場に硬直してしまうほどだった。 「あ、う…よくいわれる…」 なんて、誤魔化すしかなかった。 全くの嘘だ。 こんなこと初めて言われた。 さっきよりも鼓動が暴れまわっていて、正直胸が痛いくらい。水樹はそれ以上目を合わせていることができなくて、自販機に適当に手を伸ばした。 お茶を買うつもりだったのに、何を買ったのかもわからない。 チラリと後ろを見遣ると、水無瀬は上機嫌でジュースのキャップをいじっていた。 こっちばかり相手のことをこんなに気にして、馬鹿みたいだ。文句の一つも言ってやりたいが、もちろんそんな余裕があるはずもない。 そして次に放たれた一言で、水樹の心は一気に冷えた。 「あ、そうそう。龍樹が寂しがってるから、たまには構ってあげて。」 ね? と微笑んだ水無瀬はとても美しかった。 じゃあ戻るね、とそのまま立ち去った後ろ姿を見ながら、ぎゅっと拳を握る。 龍樹が寂しがってるのなんて、わかっている。 けれどもう龍樹と3人でいるのが辛い。 恋人の兄でしかないということを突きつけられるから。 「…ひどい人。」 こんなに喜ばせてから、落とすなんて。

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