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第25話

「龍樹って性欲ないのかな?」 ふざけた質問をされたのは夏休みの直前のことだった。 水樹は一瞬思考停止して、今日も変わらずお美しいその顔を遠慮なく凝視して。その間少しも目を逸らしてこない辺り、大真面目なのは見て取れた。 さてどうしようこの天使様。 水樹は、んーと、と腕を組んだが、うまい返しが出てこない。 そもそもトイレに行ったきり戻ってこない龍樹本人が悪い。下痢かあいつ。なんて現実逃避めいた方向に思考が進んでしまった。 「一応聞くけど、なんで?」 「いや、僕らもうすぐ一年経つけど、なーんにもないんだよね。」 「んー…」 「エッチどころかチューもしてない。」 「モロに言わなくていいから。」 横恋慕するつもりがないとはいえ好きな人とその恋人、しかも弟のお付き合い事情なんてミジンコ程も知りたくない。 なんて口に出すわけにもいかず。 水樹はぽりぽりと頬を掻いて、どこまで話したものかなと天井を見上げた。 「性欲はあるんじゃないの、たぶん。」 「興味がないのかな。」 「あー、ないかも。」 「小さい時そこらへんに落ちてるエロ本とか一緒に見なかった?」 「そもそも落ちてなかったけど。」 「あれ、セレブ街には落ちてないのか。」 セレブ街って。 確かに実家は裕福で大きいしそれなりにいいところにあるけれど。 今の口ぶりからすると、水無瀬は幼い頃道端に捨てられたエロ本を見ていたのだろうか。水樹はそっちの方が衝撃だった。 「でもね、なんかこう、興味なさそうって感じでもないんだよね。なんとなーく物欲しそうに見てくるし。頭撫でるとかスキンシップ程度なら触らせてくれるんだけど。」 「ああそうですか…」 「真面目に聞いてよー。」 「聞いてる聞いてる。」 ミドリムシ程も聞きたくないけど。 「でもね、自分からは手を握るくらいかな。そこから詰めようとするとなんか突然距離取ってくる。」 不思議じゃない? 学年トップの聡明な天使様はそう首を傾げたが、水樹はその理由がすぐにわかった。 ああ、あいつやっぱりダメなんだと。 本人にはっきり聞いたわけではないが、ずっと懸念はしていた。 龍樹は性的な行為に恐怖心、又は嫌悪感、或いはその両方があるのではないかと。 それが、今の水無瀬の言葉で確信に変わった。そしてその原因は、間違いなく自分も関与していた。 (…どうしよう。) 青い瞳が真っ直ぐに水樹を見据える。 この透明な瞳は本当にずるい。何もかも見透かされそうな気がしてくる。 知られたくない。 あの時の出来事なんて。 「…ほら、本ばっかり読んでるから…純なんじゃない?」 「えー?本ばっかり読んでるから耳年増なんじゃないの?」 「龍樹ってなんでも読むけど流石に官能小説は読まないと思う」 「そっか…純粋培養か…」 「天使みたいでしょ、純で無垢で優しくて。」 「うん、お兄ちゃんのブラコンも大概だったことを忘れてたよ。」 あは、と愉しげに笑った水無瀬こそ、天使のようだった。 それきりその会話が蒸し返されることはなくて、水樹は心からホッとした。 そっとうなじを手で覆うと、かちゃりと音を立てて冷たい金属が邪魔をした。 なんとかしないと。 あんなこと知られたら、流石のこの人も、軽蔑するだろう。 この人にだけは、侮蔑の眼差しで見られたくなかった。 (…龍樹、言うかな。) きっと、いつかは言うだろう。 その時、どこまで言うだろう。 何もかもを見透かしてしまいそうなこの青い瞳を前にして、洗いざらい告白してしまうんじゃないだろうか。 あの時の全容を。 「それとなーく龍樹に探り入れてみるよ、お兄ちゃんに任せなさい!」 「ん?僕のお兄ちゃんではないよね?」 「細かい!」 けど、なんとかなったとしたら。 年頃の2人、今までなかったのが不思議なくらいなのだ。 少し前に見た光景が蘇る。 2人が顔を寄せ合って談笑していたあの時、水樹が龍樹に対して明確な嫉妬心を覚えた日。 あの日と同じ黒い靄が心の内に広がって行った。

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