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第26話
なんとかするよ、と言ったはいいものの、特に何事もなく夏休みを迎えて、その日水樹は部活の大会のために学校に来ていた。
大会と言っても水樹は今回出場していないので、応援だ。
マネージャーに混じって出場者たちにタオルを配ったり飲み物を配ったり荷物を運んだり。そんな雑用のような仕事をこなして、1人木陰で休憩を取っていた。
と、そこへ人影がひとつ。
佐藤だった。
「お疲れ様です。」
にっこり微笑んで立ち上がろうとすると、佐藤はそれを制して隣に腰かけた。
スポーツ特待生の佐藤は当然今回の大会でも期待の星だ。事実午前中も好成績でちやほやされていた。
それがどうしてこんな人気のないところに。
当の佐藤は何も言わないし、水樹はどうしたものかなと内心首を捻った。
「あのー…」
「最近、なんか元気ないな?」
こちらを真っ直ぐに見つめて、佐藤はそう言った。そんなつもりがなかった水樹は意表を突かれて言葉に詰まってしまう。
元気がないなんて、そんなはずない。
出場していないとはいえ、応援だけでも家の中に篭っているよりはずっと楽しい。
夏休みの課題は早々に終わらせて既に自由の身だし、憂うことなど何もない。
はずなのに。
脳裏に過るのは、龍樹の後ろ姿。
それは先日、水無瀬と約束があると言って出かけて行った時のことだ。
毎年よくまぁそんなに引き篭もれるなと感心するくらい本に埋もれて過ごす龍樹の夏休み、今年は出かけたりスマホをいじったりと大変革を起こしていた。
出かけた先には水無瀬がいて、いじるスマホの先にも水無瀬がいる。
羨ましいったらない。
水樹は視線を落として、気付かれないように溜息をついた。
「…そうですか?暑いからなぁ」
「今日の話じゃない。ここのところ…夏休み前からずっと。見てたらわかる。」
「あは、やだな先輩そんなに俺のこと見てたんですか?」
「ああ。」
「…そういうことあんまり言わない方がいいですよ、勘違いする輩もいるでしょ?」
「勘違いじゃないと言ったら?」
ザアッと風が吹き抜けた。
深緑の葉が数枚落ちてきて、2人の間をすり抜けていった。
今、大事なことを言われた気がする。
信じられない気持ちで佐藤を見返すと、真剣な眼差しでじっと見つめられて、冗談でも嘘でもないことがわかった。
「…俺はお前に酷いことをしたし、こんなことを言う資格がないのはわかってる…悪い。」
「や、それはもう…」
「水無瀬 唯、お前の弟と付き合ってるんだってな」
佐藤は水樹に話す暇を与えない。
水樹も動揺してしまって隙をつけない。この話自体もそうだし、水無瀬が龍樹と付き合っていると他人からハッキリと口にされると、心抉られる気持ちだった。
水無瀬への気持ちを心の奥底にしまいこんでおくことが出来なくて、毎日龍樹を見ているのが辛かった。
嬉しそうに出かける弟を、晴れやかな気分で送り出すことが出来なくて。楽しそうにスマホを見ている弟を、微笑ましく眺めることが出来なくて。
そんな自分が醜くて大嫌いで、辛かった。
黙り込んでしまった水樹に何を思ったのか、佐藤はやっと視線を逸らした。
そして雲一つない空を仰ぎ見て、再び水樹に向き直った。
「…午後の決勝、必ず勝つ。勝てたら…」
俺と付き合ってくれ。
佐藤は言葉通り、自己ベストを大きく更新して優勝を飾った。
その時のことを水樹はあまり覚えていない。
ただ、こんなベタな少女漫画みたいなことする人なら、この苦しい恋心を忘れさせてくれるんじゃないかと。
龍樹に嫉妬なんて汚い感情を抱くことなく、水無瀬の一挙手一投足に振り回されることもなく、平穏に過ごすことができるんじゃないかと。
トラックから満面の笑みを浮かべて戻ってきた佐藤を見ながらそう思ったのを覚えている。
佐藤にレイプされたことも、正気ではなかったとはいえ酷い言葉を浴びせられたこともどうでもよかった。
後から思えばそう、正に誰でもよかったのだと思う。
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