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第28話
その平穏は長くは続かなかった。
残暑が和らいで、急に冷え込んだ頃。水樹が最も望んだものが、最も望まない形で手に入った。
「水樹、ちょっといいか。」
それは他の人が聞いたら普段通りの声と言うかもしれない。だが龍樹のその声は確かに怒気を帯びていた。
なにかしたっけ、と首を捻ったが、心当たりは全くない。
水樹は一つ頷くと、龍樹に連れられて寮の部屋に戻ってきた。そういえば龍樹の部屋に来るのは随分久しぶりだ。
龍樹と水無瀬が付き合っていると知り、2人と距離を取ってからは来ていなかったかもしれない。
相変わらずの本の山。
締め切っているせいか蒸し暑い部屋は紙の匂いがする。
水樹は適当にベッドに腰掛けると、龍樹に向き合った。
「なに?わざわざ部屋にまで連れて来て。」
冷たい緑茶を出してくれた龍樹は、そのお茶を一口飲んで、じっと水樹を見た。
常日頃から言葉の少ない奴だが、それがなんだか妙にムッとした。
「そんな目で見たってわかんないもんはわかんないよ、なに怒ってんの?」
「…お前、俺に言ってないことあるだろ。」
「はぁ?そりゃあるよ、いくら双子だって何でもかんでも話さなきゃいけないことないでしょ。今までだってそうじゃん、何急に。」
「佐藤 康一。」
ぎく、と水樹の顔が引きつった。
「付き合ってるんだってな?」
「…だったらなに。」
「何で言わなかった?」
言葉の一つ一つに棘がある。
それは水樹も龍樹も一緒だった。
なんでと言われても特に理由なんてない。強いて言うなら佐藤がαだから言い辛かっただけだ。龍樹は水樹が自分の預かり知らぬ所でαに近寄ることを好まないから。
それは水樹を守るためだとちゃんと知っているし納得もしている。が、この時この話題に関しては何故か妙に癇に障った。
「…なんで黙るんだよ、やっぱりなんか後ろめたいことが…」
「うるさいなぁ…」
自分で思っていたよりも低い声が出た。その声に水樹の怒りを感じ取ったのか、ピクリと龍樹の眉が動いた。
ブブブ、とバイブ音がする。
しかしその発信源が龍樹の携帯なのかそれとも水樹の携帯なのか、2人とも確かめようとしなかった。
ふつふつと身体の中が熱くなってくる。それは、とても静かな怒りだった。
「龍樹だって水無瀬と付き合い始めた時言わなかったじゃん。なんで俺ばっか龍樹に言わなきゃならないの?」
「それは…あれは悪かったよ、けど…」
「後ろめたい?後ろめたいよ、佐藤先輩αだもん。絶対反対するでしょ龍樹。」
「…おい、待て。」
「ほらそうやって顰めっ面する!」
少し語気を強めて声を荒げると、龍樹はグッと怯んだ。
元来龍樹は気が弱い。昔から喧嘩をしても龍樹が水樹に勝てた試しなど一度だってなかった。
ふつふつとした小さな怒りの気泡は段々と大きくなって勢いを増してくる。火の止め方は、もはやわからなかった。
「心配しなくても先輩優しいよ、番になろうなんて言わないし…何にも知らない癖に口ばっかり出して、龍樹っていつもそう。」
「いつもって…」
「いつもじゃん!俺が空手やるって言った時も陸上部入るって言った時も、友達と出掛けるって言ったって…そりゃ、あんなことあったから心配してくれるのもわかるしありがたいけど、俺だって考えがあるし選ぶ権利くらいある!」
「水樹ほんとちょっと待て、お前…」
「そんなことより自分の心配したら?水無瀬がボヤいてたよ、もう一年になるのになんにもないって…」
グラグラ視界が揺れていた。
それは怒りのせいなのかうっすら浮かんだ涙のせいなのか。
水無瀬の顔が思い浮かんで、怒りの中に悲しみも混じってくる。
本当は水無瀬がいい。
佐藤先輩は確かにいい人だけど、恋じゃない。恋のつぼみどころか芽吹きもしない。水無瀬への恋心が未だ隣で大輪の花を咲かせているから。
けれどその花が次の種子を残すことはない。枯れていくのを、ただ黙って見守るしかない。
全てはこの弟の為に。
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