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第31話

口を塞がれていなかったら悲鳴をあげただろう。いや、もしかしたら声も出なかったかもしれない。 憎らしいΩの本能か、こういうときにどうしたらいいのかは身体が知っていた。力を抜いて不自由な息を深く吐き出すと、いくらか楽になる。 「…は、Ωってすごいね、裂けないんだ…」 素直に感心したように呟くと、水無瀬は漸く水樹の口を解放して、冷や汗で張り付いた前髪を退けてくれた。 その手つきは、今自分にこんな仕打ちをしている人物と同じとは到底思えないほど優しい。 酷いことをされているというのに、悲しいかな培った恋心の方が強いらしい。水樹はその優しい手に酔いしれたくて、無意識に頬を擦りよせた。 ひんやりと冷たいこの手に、こんな風に触れられるなんて。 幸せに浸ったのも束の間。 水無瀬はその手で水樹の身体をひっくり返し、ググッとより奥に押し入ってきた。 「ぅぐ、あ、やめ…や…待って…」 「いつか龍樹に同じことするかもね?」 水樹は痛みも抵抗も忘れて、恐る恐る振り返った。 うっそりした微笑みを浮かべた水無瀬はいっそ不気味なほど美しい。 その美しい微笑みで、何を。 水無瀬は冷たい手で結合部をそっと撫ぜた。その刺激に、きゅうんと孔が収縮する。既に、突然押し入ってきたそれを受け入れて快感にしようとしていた。 「っん、く…」 「きもちいい?」 「や、はぁっ…んや、や…」 「よさそうだね、ほんとすごい…」 水無瀬の指が身体のあちこちを撫ぜる。最初は結合部、尻から背骨を伝い、肩甲骨をなぞって、脇を下りて、再び結合部。 発情して熱くなった身体にその冷たい指先はそれだけで麻薬のよう。 「や、も、やだ…」 「やだ?ほんと?」 「やだぁ…も、おく、奥に…だめ、たつき、龍樹が…」 「龍樹なら来ないよ、あれは強力な催眠効果があるヒート抑制剤だから」 まぁ、普通はあんなに吐かないけど。 水無瀬は別段心配した様子もなくそう呟いた。 龍樹の恋人相手に、龍樹のベッドで、気を失っているとはいえすぐそこに龍樹がいるのに。いや本当に気を失っているのかもわからない。動けないだけで本当は最初から全部聞いているのかもしれない。 自分の恋人相手に腰を振って、奥にくれと強請る兄の声を。 早く終わって欲しい。 諦めたくても諦められない、ずっとずっと好きだった人に抱かれているのに、こんなにも辛い。 「お兄ちゃんはΩで、しかも今発情期だよね。」 いつもとかわらない水無瀬の声は、相変わらず甘やかで、ヒートを起こしているのかどうなのかわからないほどに静かだ。 その美しいテノールで今更なにを聞くのだろう。 Ωじゃなきゃ、発情期じゃなきゃこんな酷い行為でこんなに感じたりしない。 例え好きな人でも、大事な弟の恋人相手にこんなに浅ましく腰を揺らしたりしない。 水樹は泣きながら続きを待った。 「龍樹はαだから濡れないし柔らかくもならない…もし同じことしたら、龍樹はもっとずっと苦しいだろうね。」 その静かな声から、恐ろしい言葉が出てくるのを。 「これ、取って。」 こつんと水無瀬が指で首輪を叩いた。 「取って、て…」 「君が一生僕に飼われるなら、龍樹には一生何もしない」 「ぅん、ン、んあ、やッ!」 ゆるりゆるり、水無瀬は律動を始めた。 決して激しいものではない。むしろ物足りない。もっともっとして欲しい。 「さぁ。選んで。」 「ひぅっ!ん、あぁう…ッ!」 自分を犠牲にして弟を守るか、弟を犠牲にして自分を守るか…。 そう耳元で囁いたのを皮切りに、水無瀬は律動を早めた。 脳天を突き抜ける快楽の中、蕩けきった頭に、幼い頃の全身に包帯を巻いてベッドに縛り付けられた龍樹が過る。すぐあとに、水無瀬の隣を幸せそうに歩く龍樹が過った。 こんな二択、ひどい。 どっちを選んでも、龍樹は傷付くじゃないか。龍樹の為に、貴方を諦めようとしたのに。 けど、だけど。 そっと悪魔が顔を出した。 このうなじを差し出せば、龍樹が痛い思いをしなくて済む。 このうなじを差し出せば、俺は水無瀬のものになれる。 「あ、ぅ、ぅうん!っん…」 龍樹を守るという名目のもと、水無瀬の側にいられる。 「…君ならそう言ってくれると思ったよ、水樹。」 つぷ。 水無瀬の歯が肌を貫く感触。 それはゆっくり、そしてしっかりと。痛みもなくただ喰われたのだということを水樹に知らせた。

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