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第35話
水樹は絶頂の余韻に浸りながらも、水無瀬の言いつけ通り電話は繋いだまま、耳元に当てていた。
ガサガサとノイズのような音がする。
『水樹に、俺、俺が、助けなきゃいけなかったのに』
『龍樹、ヒートばっかりはどうしようもないよ、君はαで水樹はΩなんだから…僕だって結局どっちも助けられなかった。それどころか、…』
少し聞き取りづらいが、会話だ。
それが水無瀬とよく知った弟のものと気付くまでにしばらくかかってしまった。
『…当てずっぽうだったんだ、まさか誕生日なんて鍵にしてると思わなくて、気が付いたら…』
ああ、やっぱり水無瀬は約束は守ってくれるらしい。一生龍樹は傷つけないという約束を。
不幸が重なった上で番契約を交わしたことにしてしまえば、龍樹は誰も恨まずに済む。仕方がなかったんだと諦めもつく。
ずるい。
あんなに酷いことを平気でしたくせに、約束だけは守るなんて。
とことんまで酷くしてくれれば、嫌って恨んで憎むこともできるのに。
暫く二人は沈黙した。
水樹も電話を耳に当てたまま、その場から動けなかった。ガサ、というノイズだけが時折聞こえてくる。
1分か5分か、それとも30分か、はたまた10秒か。時間の感覚などとうになかった。
『…水無瀬、俺たちの間には何もなかった。』
龍樹の静かな声。
聞き取り辛かった筈なのに、それだけははっきりと聞こえた。
『水樹は、口も達者だし気も強いけど、良いやつだよ。こんな形で番になったとはいえ、Ωのあいつにはもう一生お前しかいない。大事に、してやってほしい。』
呆然とそれを聞いていた。
ずっと、水樹が早い初めての発情期を迎えてからずっと何年も。自分を犠牲にして側にいて守ってくれた弟の、漸く見つけた安らぎを奪った。
それをしたくなくてこの恋を捨てようと思ったのに。
諦められなくて苦しんだのも事実。水無瀬の隣を許された龍樹を妬んだのも事実。
けれどこんな形で水無瀬を手に入れたって、少しも嬉しくない。
『…そうだね。』
Ωの自分が邪魔をした。
二人の恋路を邪魔をしたのだ。
「…んで、っ…」
なんで俺、Ωなんだろう。
幾度となく思っては、考えても仕方のない事だからと切り捨てた。どうしようもないことに悩むより、楽に生きる方法がないか模索する方がずっといいから。
溢れた涙を拭うのも忘れて、水樹は指先が白くなるまで手に持った電話を握りしめた。
『龍樹、一つだけお願い。』
初めて聞いた、少し悲しげな水無瀬の声。
『最後に、思い出が欲しいんだ。』
キス、してもいいかな。
水無瀬もまた、龍樹を愛していたのだ。そんなの最初からわかっていた。
手に接着剤でもつけられたかのように、水樹は電話を離すことが出来なくなっていた。やがて通話が切れても、ずっとずっと握りしめたまま、その場に泣き崩れた。
『私自身のためにも、綺麗な初恋として思い出にしておくの。』
いつかの奈美の言葉を思い出す。
俺は、綺麗な初恋には出来なかった。
2人の仲に亀裂を入れるどころか、2人の仲を引き裂いた愚かな最低のΩに成り下がったよ、奈美。
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