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第39話
一人にしてほしいといって、水樹は奈美を教室に帰した。
快晴の空が、まるで自分を嘲笑っているようにすら感じる。
水樹はポケットからスマホを取り出すと、朝の内に送ったメールを見返した。宛先は、佐藤だ。
昼休み、屋上で待ってます。
さっきのチャイムが、昼休みを告げるそれのはず。また一人、優しい人を傷付ける覚悟を決めるため、一つ深呼吸をしたその時。
屋上の重い扉が開いた。
「水樹!よかった、心配してたんだ。」
爽やかに笑ったその視線が水樹を捉えて、首元に視線が釘付けになったのがわかった。あるはずの首輪がないからだ。
「水樹…相手は…」
「先輩、別れてください。」
佐藤の表情が強張った。
水樹は震えそうになる呼吸を、一度グッと飲み込んで叱咤した。これからもっと傷付けるのだから、こんなところで震えていてはダメだ。
「…別のαの噛み跡ついちゃったら、もう用済みでしょ?」
「用済み…?何言ってるんだお前…」
「だってキスもセックスも出来ないしね,」
ふふっと自嘲の意を込めて笑って見せると、佐藤はその表情を険しくした。
そう、それでいい。
水樹は今度は拳を握って震えを止めた。
「水樹、それはお前が望んだ番なのか…?」
何時ものハキハキした大きな声からは信じられない、情けなく震えた声。佐藤がこんな声を出せるだなんて知らなかった。
ほんの数ヶ月。
数ヶ月の清いお付き合いでは、新しく知ったことはほとんどなかったけれど、佐藤がやはりとても優しくて温かい人なのだと知るには十分だった。
そんな優しい人に、今から酷い言葉を浴びせようとしている。罪悪感でどうにかなりそうだった。
答えない水樹に、佐藤は察したようだった。
早足で水樹に近寄った佐藤は、力いっぱい水樹を抱き締めた。
その腕が水無瀬のものと違うことを感じた身体が、本能的に嫌悪感を剥き出しにする。水樹は堪らず短い悲鳴と共に佐藤を突き飛ばした。
呆然としたのは、水樹の方だった。
こんなにダメになるものなのかと。
僅かに震えているような気さえする。水樹は両腕で己の身体を強く抱いた。
「…ほらね、触れることもままならない。」
その時、間抜けなチャイムが鳴り響いた。昼休みが間も無く終わることを告げるチャイムだ。
いつの間にか結構な時間が経っていたようだ。
「だから、別れてください。」
水樹は普段通りの声で、普段通りの笑顔でそう言った。少なくともそう言ったつもりだった。
佐藤は俯いたまま動かない。
ぎゅううと握った拳の指先が白くなっていた。
なかなかイエスと言わない佐藤に、段々と焦りに似た何かを感じ始めた水樹は、居心地の悪さに負けてそのまま立ち去ろうとした。
が、それは叶わなかった。
「…別れない。」
小さな小さな佐藤の声によって。
まるで血でも吐くような声に、水樹は思わず振り返った。
「俺は、お前の身体が欲しいじゃない…キスもセックスも出来なくて構わない!お前が笑っていてくれればいい!望まない番に苦しめられるくらいなら俺と一緒にいてくれ!」
どこまでも太陽のような人だ。暖かくて優しくて全てを包み込んでくれる。思わず頷きそうになった首を、生唾を飲み込むことでやっと堪えた。
どこまでも優しいこの人に、しがみついてはいられない。
この人への愛がないのは、変えようのない事実なのだから。
「…何言ってんの、先輩。」
彼が自分に未練を持ってしまって、次に進めなくなっても困る。
「先輩だって、俺のことレイプしたくせに。」
佐藤は絶句した。
絶望したようなその顔を見ていられなくて、水樹は今度こそ背を向けた。
こういうとき、龍樹ならこんなにすんなり反撃の言葉が出てこないだろう。本当に嫌になるくらい、可愛げのない自分。
「…先輩、もう俺みたいな狡いΩに捕まったらダメですよ」
ガコンと重苦しい音を立てて閉まった扉に凭れて、グシャッと髪を掻き毟る。痛かった。けれど佐藤の痛みはこんなものじゃないだろう。
「…先輩を好きになれたら良かった。」
さよなら先輩。
声に乗らない別れの言葉は、水樹の体内で消化不良のまま。
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