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第40話
「水樹。」
部活はサボって真っ直ぐに寮に戻ってくると、いつからそこで待っていたのか、入り口で声をかけてきたのは龍樹だった。
思ったよりも元気そうだ。
水樹は心からホッとした。
「龍樹…」
「ごめん。」
水樹が何か言う前に、龍樹はゆっくりと頭を下げた。
何を、謝る必要があるのか。
あまりに意表を突かれ、水樹は目を丸くしてその場に立ち尽くした。何も言えずにいる水樹に対して、龍樹は聞いたことがないような、腹の底から這い出るような苦しげな声でこう続けた。
「…必ず助けるって、約束したのに…俺が、襲いかかるなんて、ほんとに…」
最後の方は、震えていた。
水樹はそれを聞いて、目に涙を浮かべながらゆるゆると頭を振った。
違う、違うよ龍樹。
龍樹は何も悪くない。
謝ることなんて何もない。
ほろりと涙が溢れる。
おかしいな、俺ってこんな泣き虫だったっけ。ここ最近泣いてばっかりだ。泣くのは龍樹の専売特許で、いつもは俺がそれを宥めるのに。
「…水樹?」
「ごめっ…ごめん俺っ、ごめんね龍樹、ごめん…」
龍樹が目を見開いたのが気配でわかった。さぞ驚いただろう。水樹がこんな風に泣き崩れるなんて、今までになかった。
「…ごめんなさ…」
許してくれとは言わない。
許してもらえなくても仕方がない。
その場にしゃがみ込んで咽び泣く水樹に、龍樹はそっと視線を同じくして、背をさすってくれていた。
水樹はその場からしばらく動くことができずに、龍樹に背を抱いてもらいながら寮の真ん前で泣き続けた。
龍樹に全てを話してしまいたかった。
ずっと水無瀬が好きだったことも。見知らぬ同級生にレイプされたことも、佐藤にレイプされたことも、水無瀬を忘れるためにその佐藤と付き合っていたことも、水無瀬に脅されたことも。
けれどそのどれもが龍樹を傷つける要素でしかない。なによりこんなに溜め込んで耐えてきたということそのものに龍樹は傷付くに違いない。
墓まで持っていくしかないのだ。
───
随分長い間そうしていた。漸く涙が止まったころ、泣きすぎた水樹は酸欠で朦朧としていた。
「…大丈夫か?」
こくん。
ひとつ頷く。
「酷い顔だぞお前、寝れてんのか?」
こくん。
またひとつ頷く。もう声も出なかった。
発情期で、特効薬を使っていたから、寝ていたというよりは気を失っていたに近いかもしれない。
「…帰ろう。」
いつもの憮然とした表情はどこへ行ったのか、龍樹は力強く水樹の腕を引いて立たせてくれた。力の入らない脚がふらついたが、それも難なく支えてくれる。
ああ、龍樹もαなんだなぁ。
昔は自分が手を引いていたのに。
転んで泣きベソかいてる龍樹をおぶって家まで帰ったこともあったっけ。あの頃は体格が同じだったからすごく重くて大変で、家に帰って母の顔を見た瞬間に水樹も泣いたのだ。
もうあの頃とは違うんだなぁ、龍樹。
───
部屋に戻ってきてからまた一頻り泣いて、風呂に入ってさっぱりして。
龍樹が空腹だというから適当に作って出して、自分も食べようとしたけれどいまいち喉を通らなかった。
時間が過ぎて行くにつれて、水樹は少し落ち着かなくなっていった。
龍樹に、帰って欲しくなかったから。
恋人を強奪して、合わせる顔がないと思っていたのに、結局辛い時に一番側にいて欲しいのは龍樹なのだ。
他の誰とも会いたくないけれど、龍樹にだけはいてほしかった。
そろそろ22時になろうかというとき、龍樹が時計を確認した。それを見た水樹は、ほとんど無意識にパッと龍樹の腕を掴んだ。
「…行かないで…!」
悲痛な叫びを聞いた龍樹は一瞬だけ瞠目して、そしてふっと優しく微笑んだ。滅多に見せない、安心させるような顔。
「行かねぇよ。」
ぽんぽんと肩を叩いて、龍樹は水樹をベッドに誘導した。誘われるままに布団に潜り込むと、龍樹も一緒に入ってくる。
そういえば、なんで龍樹は触れるんだろう。先輩はあんなにダメだったのに。
シングルベッドに男2人。
水樹はかなり華奢だし龍樹も細身だが、やはり厳しいものがある。それだけ密着しても、嫌悪感はまるでなかった。
兄弟だからかな。
もうなんでもよかった。
龍樹の高い体温ですぐに温まった布団の誘惑に勝てず、水樹はその晩久しぶりにぐっすり眠った。
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