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第43話
「叔父さんのお墓に行ってたんだ」
貸してくれたカーディガンを羽織ったまま、大好きなフェロモンに包まれて、大好きな人がいれてくれたコーヒーを両手で大切に持つ。
なんて満ち足りた状況。
なのになんて空虚な心。
半分放心したままの水樹の告白を、水無瀬は静かに聞いていた。
「お父さんの年の離れた弟で、俺と13しか離れてなくて…大好きだったんだ、すごく。」
いつもキラキラの笑顔が眩しくて、優しくてかっこよくて、憧れのお兄ちゃんだった。
水樹は当時を思い出しながらポツリポツリと語った。叔父に対する想いを誰かに語るのは初めてだった。
「9歳の時…初めて発情期になって、おじさんにレイプされて、噛まれた。」
ずっと神妙な顔をして聞いていた水無瀬が、その時初めて顔を顰めた。
けれど話の腰を折ることはしなかった。
水無瀬がいれてくれたコーヒーを一口飲むと、苦味が口の中に広がる。水無瀬は自分のコーヒーには夥しい量の砂糖を入れるが、水樹に渡たのはブラックだった。
さすがに少し苦くて、砂糖をひとつ。
「…水樹は俺の運命だ、って。俺が必ず幸せにする、俺にしか水樹に本当の幸せを与えてやれない。だって水樹の運命の番は俺なんだから。叔父さん、そう言ってた」
大好きだったキラキラの笑顔は一体どこへ行ったのか、気が触れたようにそう叫んだ叔父の姿は今でも鮮明に思い出せる。
その手を取りたかった。
大丈夫?と声をかけたかった。
けれど、激怒した父がそれを許すはずもなかった。
「…当時はなんだかわかんなかったけど、後避妊薬、飲んで…そしたら叔父さん…なんで俺の子を産んでくれなかったんだって、それで…」
自分の声が震えている。
水樹は深呼吸して、借りたカーディガンをぎゅっと握った。
「…朝起きたら、枕元に遺書があった」
『愛してる
あの世で一緒になろう』
その後しばらくして、叔父の遺体が見つかった。
「…子供を、産んでたら、幸せだったのかなぁ」
ずっと口にはしなかった疑問をポツリと零すと、水樹は俯いた。すると、ふわっと温かいものに包まれる。
水無瀬の腕だった。
「…ごめんね、苦しい思いさせて。」
そう言った水無瀬の方が苦しそうで、顔を見ようとしたが、意外にも抱きしめる腕が力強くてかなわなかった。
「どうしても、君が必要だったんだ。」
その言葉の真意はわからなかった。
水樹の告白した過去に何か関係があるのか、それともただ追い詰められている水樹が哀れになったのか。あるいはその両方か。
さらりと髪を梳いてより強く抱きしめられて、水樹はその腕の中で静かに泣いた。
大好きな人に、どうしても必要だったと言われたその瞬間、水樹は確かに幸せだった。
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