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第47話

病院に戻る。 ということはつまり母親が冬休みの間は退院してくるのだろう。だけど水無瀬はそれなら僕は帰らない方がいい、と。水無瀬の、息子の顔を見て発狂すると。 「水樹は結構勘がいいよね」 僕、賢い子は好きだよ。 あまりに場にそぐわない発言は、水無瀬の真意を隠してしまう。 水樹は、水無瀬と番になった時のことを思い出した。 ソファで眠っていたのに、水樹が近付いたら反射的に身を守る行動と共に飛び起きた水無瀬。 その行動が示す、一つの可能性を。 「母はね、僕の顔を見ると文字通り発狂するんだよ」 水樹はどこかで読んだ一文を思い出した。 日常的に身体的虐待を受けている子供は、手を振り上げられると身を守ろうとする。 水無瀬は、相変わらずの美しい顔に、妖しい笑みを浮かべていた。 「僕が、自分の名前が嫌いな本当の理由…教えてあげようか。」 水無瀬はその極上のテノールで、きっと繰り返し聞かされたであろう言葉を何の感情も込めずに口にした。 それは、宛ら呪詛のように。 「『唯、愛してるのよ唯、私の可愛い唯一の子』…母の口癖だよ」 ─── 「…虐待、かぁ」 信じられない思いで、ポツリと呟く。それを拾うものはいない。 顔を見て発狂するなんて。あんな美しい息子を持って、普通なら自慢しそうなのに。綺麗な服を着せてあちこちに見せびらかしたくなりそうなのに。 いや、虐待の動機が顔が可愛くないとか、そんなバカな。いやわからん。虐待する人の心理なんてわからん。 中学の入学式、壇上に上がった水無瀬の痩せた腕。あれはもしかして、十分に食事を与えられていなかったから? いやでも、愛していると囁く相手の食事を抜くだろうか? 寝ていたのに反射的に身を守るなんて、一体どんな生活をしていたのか。 水樹はΩだが、家族には十二分に愛されて育った。 もちろん叔父のことはあったが、それがあったからこそより大切に大切にされてきたと思う。 龍樹がαである家族を警戒して物理的な距離こそあったが、皆一様に気にかけてくれていた。 虐待なんて、想像もつかない。 あの電話の様子だと、父親との仲は悪くなさそうだ。けれど父親はやはり日中外に働きに出ているだろう。 水樹は水無瀬が置いて行った、走り書きの計算式を眺めたけれど、知りたいことの答えは出るはずもなかった。

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