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第54話
よし、この時間なら。
水樹は意を決して部屋から出た。辺りには予想通り誰もいない。
波が引いているとはいえ発情期で熱を持った身体に鞭打って、なるべく急いで売店に向かう。
番のいるΩのフェロモンは、相手のαにしか効力を発揮しない。
ならば動ける時と人気のない時を見計らって、自分で行けばいいのだ。売店くらい。買うものが決まっていれば、どんなに時間がかかっても30分だ。
マスクをして冷えピタでもしておけば、上気した顔も風邪にしか見えないだろう。
我ながら無鉄砲だと思うが、この際仕方ない。
無事売店に辿り着いて、いつも発情期中に買い込む果物ゼリーを適当にカゴに放り込んでいる最中。
「水樹…?」
後ろから声をかけてきたのは、水樹と同じようにマスクに冷えピタ姿の佐藤だった。
「あ…、すいません、買いますか?」
「いや、その…隣のヨーグルトを…」
「ああ…どうぞ。」
気まずいにも程がある。
暴言ともいえるあの出来事から、部活で顔は合わせるものの、一切目も合わせなかった。
佐藤の姿から察するに、恐らく佐藤は本当に風邪だろう。
世間はクリスマスイヴ、明日から冬休みだというのに可哀想に。
水樹はヨーグルトを佐藤に手渡そうとして、指先がほんの少し触れて。
バチッと静電気にも似た電流が走り、思わずヨーグルトと自分が抱えていたカゴを落としてしまった。
「すいませ…あ、大丈夫です自分で、…っ…」
もたもたしている時間なんて無いのに。水無瀬と違うαに触れたせいか、少しずつ身体の熱が上がって行く気がした。
不自然に突然息を荒げた水樹に眉を顰めた佐藤は、きっと水樹が風邪などでは無いことを悟っただろう。
早くここを離れないと。
売店の陳列棚から流れて来る冷気が火照った身体に心地良いのに、同時に佐藤から発せられる探るような空気は居心地が悪い。
「お前、もしかして発情期…おい、番はどうした!いるんだろ!?」
勢いのままに肩を掴んで来ようとした大きな手を咄嗟に避けて、水樹は弱々しく首を振った。
番はいる。
けれど、愛し合っているわけでもなければ、頼れるパートナーでもない。
それなのに、1週間もこちらの都合に合わせてただセックスに没頭しろなんて。
そんなの、面倒に決まってる。
「先輩には、関係ない…!」
泣きそうになりながら、結局何も買わずに、水樹はその場を後にした。
佐藤が拳を握り締めてその後ろ姿を見届け、そして寮の出口に向かって走り去ったことには、当然気付かなかった。
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