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第55話

ふわ、と甘い匂いがした気がして、浅い眠りを繰り返していた水樹はゆっくりと瞼を持ち上げた。そこはいつもと変わらない自分の部屋。 気のせいか。 再び目を閉じようとしたその時、ガサガサとビニール袋の音がする。 少し辺りを見渡すと、染髪料ではとても出せない、水樹の少ない語彙では表現できない色の綺麗な髪。 「…水無瀬…?」 小さな呼び掛けに呼応して、水無瀬は小さく振り返った。 と、その顔を見て、水樹は飛び起きた。 「え、どうしたのそれ!?大丈夫!?待って救急箱…!」 「あー、大丈夫大丈夫。寝てなよ、あまり眠れてないでしょ。」 あっけらかんと笑うその口元に、痛々しい傷跡。誰もが賞賛するその美しい顔にはあまりに不釣り合いなそれは、まだ新しい。 そんな傷跡を見て、眠れるわけもなく。 ベッドに腰掛けたままその場に固まってしまった水樹を見て、水無瀬はそっと微笑んだ。いつもなら見惚れてしまうその優美な微笑みも、形のいい唇の端にある跡のせいで心配の種にしかならない。 水無瀬は冷蔵庫からゼリーとプリンを一つずつ出し、水樹の手をとってテーブルに誘導した。 水樹が発情期中にいつも買う果物ゼリーだ。ついでに言えば、先ほど売店で佐藤と一悶着して買い損ねた物。 もしかして、佐藤先輩が。 まさかそんなと思ったけれど、水無瀬は早々にプリンに夢中になっている。よく見れば傷はしっかり洗ってあるようだし、最低限の手当てはしてあるのかもしれない。 「…そんなに心配しなくても大丈夫だよ。まともに食らうわけないでしょ。慣れてるもの。」 ちょっと悪戯っぽく笑った水無瀬は、食べなよ、と水樹の前のゼリーを開けてくれた。 桃のゼリー。 水無瀬が知るわけもないが、1番のお気に入りのゼリーだ。促されるままに一口食べると、ほのかな甘味とつるんとした喉越しが、火照った身体に染み込んだ。 「どうして呼ばなかったの?」 さっさとプリンを食べ終えた水無瀬は、ホッと一息ついてから、まるで今日の夕飯の内容を尋ねるような口調でそう言った。 こうも軽く言われると、複雑だ。 ピルが効かないなんて、面倒だろうと。好きでもない相手と1週間もセックスするなんて、嫌だろうと気を使ったのに、その気遣いのせいで水無瀬は佐藤に殴られたのだ。きっと。 どうしてこう、うまくいかないのだろう。

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