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第69話
厳しい寒さが続く2月に入り、1週間ほど。水樹はおそらく初めて、奈美に頭を下げられた。
「お願い水樹、簡単でいいの!チョコの作り方教えて!」
は?
と聞き返してしまったのを、許してほしい。
「あのねー、お菓子作りと料理ってほんとに別次元なんだよ。俺だってチョコなんか作ったことないよ。」
「でもあんだけ料理が出来るんだから本とかネットとか見ればなんとかなるでしょ?ね?ね?ねー!?」
「まぁなんとかはなると思うけど…」
奈美が持ってきたお菓子作りの本をいい加減にパラパラ捲る。色鮮やかな紙面に次々と現れるチョコ菓子達を見ているだけで胸焼けがしそうになりながら、水樹は深いため息をついた。
水樹も一応男だ。
日本のバレンタインという行事に於いては、一応もらう側の立場である。実際Ωとわかる前は龍樹よりもたくさん貰っていたし、去年までだってそこそこに貰っていた。義理、ではあるが。
ちなみに、目の前の奈美とのバレンタインの思い出として、有名な菓子メーカーの板チョコを貰って一欠片だけ食べ、あとは返した過去もある。
「しかしなんだって急に手作り…誰にあげんの?俺?食えないよ?」
「は?今年は材料の板チョコの欠片もやらんわ!」
「いらないし。これ折ってもいいの?」
「いいよ。」
軽口を叩きながら初心者でも簡単に作れそうなページにドッグイアを付けていく。
その姿をキラキラした目で眺めている奈美は、恋する乙女だ。
「…藤田にあげんの?」
その言葉に、奈美の顔が一瞬で朱に染まった。
あまり話はしないが、奈美が時折廊下ですれ違う藤田にいちいち胸を高鳴らせているのは知っていた。
藤田は部活仲間の水樹に軽い挨拶をして行くわけだが、その短い間でさえ顔を上げていられないらしい。
おかげで藤田からは『水樹と仲がいい内気なΩの女の子』と認識されている。
実際はこんななのに。
水樹はすっかりしおらしくなった奈美を微笑ましく見ながら、あるページを指し示した。
「藤田は、極端に甘いのは好きじゃないみたいだから。これとか、ビターで作ってみたら?」
初心者さんも安心本命チョコ、とデカデカ見出しが出されているガトーショコラ。
奈美は大きく頷き、小さな声でありがとうと呟いた。
失敗は龍樹行きだな。
なぜこの時真っ先に水無瀬を思い浮かべなかったのか、その答えは分かっていた。
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