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第73話

意味がさっぱりわからなかった。 水樹はせっかく湿らせた唇が乾いているのを感じて、慌ててお茶を一口含んだ。それを受けて水無瀬が一口ケーキを頬張る。 甘いものは苦手なのに、この甘いテノールが大好きで。 その大好きなテノールに乗って現れる言葉は、水樹を混乱させるには十分だった。 水無瀬を、嫌いになる? 反芻すると、沸々と怒りが湧いてくる。同時に、哀しみも。 口をついて出たのは、涙声だった。 「…そんなに、」 「ん?」 「そんなに、俺が嫌い?」 嫌いになるように仕向けるほど。 家の金だけ搾り取って、将来を共にするつもりはないと公言するほど。 番になった時の水無瀬の言葉が蘇る。あの時も、冷たい瞳だった。 『Ωって本当に汚い生き物だよね。』 中学生の時、同級生にレイプされた水樹に、汚くないよと優しく諭してくれた水無瀬の口から発せられたその言葉が、今もこころの奥底に突き刺さっている。 ナイフのように鋭利だったそれは、時と共に錆びて抜け落ちたものの、刃毀れした欠片は水樹の中に痕を残していった。 泣くな、と堪えるために噛んだ唇から微かに血の味がした。 と、次の瞬間。 冷たい手が、ぽふんと頭を撫でた。 「…逆だよ。」 続いてひんやりした指先が目尻を撫でる。水樹は初めて自分が泣いていることに気がついた。 「好きだから嫌われようと思ったんだよ。幸せになって欲しいからね。」 まっすぐに水樹を射抜く青い瞳は、不思議な魔力を持っている、と思わせるほどに、視線をそらすことが出来ない。口を挟むことも出来なかった。 水樹はまるで金縛りにあったかのようにその場から指一本動かすことも出来ずに、されるがまま。 聞かされるまま。 水無瀬はそんな様子を見て、クスリと小さく笑みをこぼした。それは、とても、苦しそうに。 けれど、あくまで笑顔で。 「…本当は、僕がこの手で君を幸せにしてあげたい。けど、それは無理な話だから。僕のことなんて嫌いになって突き放せるようになって欲しかった。」 ごめんね、本当に。 感嘆の溜息が溢れる程の美貌に滲んだ諦めの色があまりに濃くて、その悲壮感に水樹が涙しそうになった。 「そんな、いつから…」 番になったのだってほんの数ヶ月前。その時はまだ、龍樹と付き合っていたのに。 「欲しいもの…?」 もう、何がなんだかわからなかった。状況を整理したいのに、ただただ視線を泳がす事しかできなかった。

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