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第74話
水無瀬の欲しいもの。
遺産以外に水樹が与えてやれそうなものなど何もない。頭も別に良くないし、運動神経なんて社会に出たら大した役にも立たないだろうし。料理なんて、自分レベルならちょっとその気になれば誰でも出来るようになる。
「いいよ、ここまでバラしちゃったし。納得いくまで聞きなよ。」
水無瀬はまた一口、ケーキを食べた。ああそういえば、ケーキあったんだ。
いつの間にか半分以上なくなっている。話しながらかなりゆっくり食べているはずなのに。それだけの時間が経過していたようだ。
水樹はちょっと俯いた。
何よりもまず聞きたいのは、もちろん決まっていた。
「欲しいものって、何…?」
震えた情けない声。
自分が、こんな声を出せることを知らなかった。それほどに、困惑していた。
「…僕ね、誰かの一番になりたいんだ。」
ポツリと言ったその声が、水無瀬の本心なのはすぐにわかった。こんな血を吐くような声で吐き出す願望が、嘘なはずなかった。
「お父さんは僕を通してお母さんを見る。お母さんは僕を通して番相手を見てる。」
水無瀬の青い瞳が揺らぐ。
まるで、水無瀬の心にある血の池を泳ぐように。そしてそれは、水無瀬自身が幼い頃から流し続けた血の涙だ。
「…君は、僕を通して龍樹を見てるよね。」
池の一等深い場所は、おそらくここ。
水無瀬が欲しいもの。
それは、誰かの一番の愛情。
父から母から受けられなかった、誰かに一番に大切にされること。
そして、水無瀬はきっと、それ以外は求めていない。
「そんなこと…」
「あるよ。君はいつだって僕より先に龍樹を見る。龍樹の隣に僕がいる。見てたらわかるよ。好きだって言ったでしょ?好きな人見ちゃうってほんとなんだね。」
ちょっと戯けてそう言った水無瀬は、今度は最後の一口を食べた。
「あー美味しかった。ご馳走様、ありがとう。」
まるで夕飯の食卓で今日の出来事を話すように。そして当たり前に手を合わせた。
元々、奈美が藤田のためにと作ったケーキを手伝っただけのものだ。ビターのガトーショコラ。
水無瀬にはもっと甘いチョコレートの方が良かっただろう。極端な話、ハイミルクの板チョコの方が口には合うかもしれない。
それなのに水無瀬は、一言も文句を言わなかった。美味しかった、と。
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