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第79話
もぞ、と腕の中の綺麗な色が動いて、水樹は腕の力を緩めた。
解放された水無瀬は初めて見るひどい顔をしている。といっても泣き腫らした目元が赤くなっていて、普段の清廉な顔立ちに色艶が増したようなその表情。
綺麗な平行二重が若干乱れただろうか。その程度だ。
「頭痛い…」
「だろうね。水飲む?」
「ミネラルウォーター?」
「そうだよ。」
「出た。」
出たとはなんだ出たとは。
そう言いながらも頂戴と素直に強請られては渡さないわけにもいかず、こめかみに手を当てて難しい顔をしている水無瀬に差し出した。
白い喉。ごくんと動く喉仏が色っぽい。水無瀬は顔が綺麗すぎるせいで性欲だとか食欲だとかいう邪念からは遠くかけ離れたところに存在しているような気がしていたが、誰よりも生に貪欲だ。
よかった、と思う。
お綺麗な天使様ももちろん好きだけど、見ているだけで十分だ。泥臭い感情を持っていてくれた方が、人間らしくて好きだ。
そしてその美しい顔に似合わない昭和の初期みたいなことを平気でする水無瀬を知って、がっかりする人はいれどより入れ込む人間は少数派に違いない。けれどその少数派が、水無瀬には大切なのだと思う。
「何?」
水樹の視線に気がついた水無瀬がその青い瞳でまっすぐに見つめてくる。ガラス玉のようだと思っていたその瞳は、今はまるで宝石のよう。
なんでもない、と伝えたくて首を振ると、ペットボトルを置いた水無瀬がちょいちょいと手招きした。
近寄ると、ぐっと力強く顔を寄せられて、唇が、触れた。
ほわんと柔らかいものが触れ合ったのはほんの一瞬で、何が起きたのか気付くのに時間がかかる。
目をパチパチさせる水樹を見て、水無瀬が楽しそうに笑った。
ちょっと悔しくて視線をそらすと、今度は優しい体温とフェロモンに包まれて、両方の頬を冷たい手に固定された。至近距離にある完璧な美。
泣きすぎたせいで少し崩れたその美貌が退廃的で、それもまた美しい。
自然と閉じた瞳。
自然と重なった唇。
何度か繰り返したキスのせいで、水樹の唇がしっとり湿ってきた。
なんだか甘い匂いがする。
「ん…ん、」
それは万能薬のようで、それでいて麻薬のようで。
息が乱れても髪が乱れても、ずっとずっとこうしていたいと願わずにはいられない。
背に回した腕を解き、もっと触れたくて、淡い色の髪に指を差し入れた。猫っ毛の自分とは違うさらりとした感触が気持ちいい。
水樹の手が頭に近づいた瞬間、水無瀬の身体が強張ったことに、与えられるキスに酔っていた水樹は気付かなかった。
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