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第80話

「水樹ー、お前知ってたろ?」 乾燥した空気に、カラッとした青空。そこに吹く強い風が運んでくる空気は、えげつない程冷たい。 水樹はしっかりジャージを着込んで身体を温めようと走っているのに、頬に突き刺さる風が冷たすぎてちっとも温まらず段々イライラしてきたところだった。 「なにを…」 「いや、寒いのは俺のせいじゃねーから!んな怖い顔すんなよ!」 「してないし。」 嘘つけよ、とブツブツ言っている友人、藤田は水樹のハイペースについてこられる数少ない仲間の1人だ。とは言っても、彼の専攻は砲丸投げだが。藤田は短距離もいけるオールラウンダーであった。 「…奈美のこと?」 確信を突いてやると、藤田は少しだけ瞠目した。 そしてコクコクと言葉もなく何度も頷くと、徐々にペースを落とし、やがて立ち止まってしまった。 水樹も同じくその場に立ち止まる。が、寒すぎて足を止めることは出来なかった。 「あの子、すげー悲しそうに笑ってた。」 藤田は誠実な奴だ。 彼女がいるから、もしかしたらチョコを受け取ることすらしなかったかもしれない。 けれどそれも一つの結末。奈美が選んだ人との恋の形だ。 奈美が、もしかしたら普通の恋愛結婚ができないかもしれないΩの奈美が経験する大切な恋。 「あの子が俺にチョコくれようとしてたの、知ってたんじゃねーの?俺には実紗がいるってお前から言っておいてくれたら、あの子あんなに傷付かなくて済んだんじゃ…」 「奈美は全部知ってたよ。」 藤田に彼女がいることも。 自分の想いが実らないことも。 それでも藤田にチョコを渡したい、想いを伝えたいと願ったのは、他でもない奈美自身だ。 この先、どんな恋愛をするかわからないΩである奈美の願いだ。 どんな形であれ水樹はそれを応援したかった。 「藤田、実紗ちゃん大事にしてやれよ。好きな人となんの障害もなく両想いでいられるのって、奇跡なんだから。」 そう、両想いであっても障害だらけということもある。 まさに水樹がそうだ。 水無瀬が自分を好きでいてくれるのはたまらなく幸せなのに、水無瀬が思う愛の形はどこか歪だ。 幼い頃から植え付けられた歪んだ愛情の形を綺麗な形に戻してやることの難しさを、水樹は既に感じ始めていた。 水無瀬は、自分に愛情を向ける対象を、恐ろしく警戒するのだった。

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