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第81話
「お疲れ様。」
天上の美貌に柔らかい笑みを浮かべてタオルを渡してくれる水無瀬に、片手を上げて返事をする。
ぽんぽんと労わるように頭を撫でてくれる手が堪らない。本当ならそのまま抱きついてやりたいくらいには水無瀬のことが好きだし、先のバレンタインの日に水無瀬が好きだと言ってくれたのも嬉しかった。
水樹はグッとこらえて、水無瀬が渡してくれたタオルに顔を埋めた。ほんのり水無瀬の匂いがした。まるで花のように華やかで、それでいて清涼感のある匂い。
「今日はもうあがるから、もう少し待ってて。片付けなきゃ。」
「うん、ここにいるから。」
先に帰っていてもいいのに、水無瀬はこうして待っていてくれる。嬉しいような申し訳ないような。けれど部活が終わって人気のない道を、時々手が触れ合う距離で並んで帰るのも幸せなのだった。
その時間がこれからくるかと思うと、それだけで頬の筋肉がだらしなくなってしまいそう。水樹は慌てて俯いてグラウンドに駆け足で戻らざるをえなかった。
「水樹。」
声をかけて来たのは、部活を終えて皆晴れ晴れとした表情の中、1人厳しい顔つきをしていた佐藤だ。
水樹はその場に立ち尽くすと、軽く会釈をして挨拶する。ほんの数ヶ月前まであんなにも仲良くしていたのに、今では声をかけるのもかけられるのも億劫でしかない。
佐藤はちらりとグラウンドの外を見やった。つられて見ると、何をするでもなくそこに立っているだけなのに、まるで奇跡の如くその周りだけが輝かしい水無瀬の姿。
遠目に見ても、水無瀬が現実離れした美貌の持ち主であることは一目瞭然だった。
その水無瀬を見る佐藤の表情は、苦悶といえるものだけれど。
「…うまく、いってるように見えるんだが。」
バツが悪そうに俯く佐藤は、きっと本気で心配してくれている。
優しい人だ。この上なく。
こんなにも優しい人を狂わせたのは、己の性。忌々しい、Ωの性。
けれど、その忌々しいΩの性のおかげで、水樹は水無瀬のものになれた。
「うまくいってますよ。最初はちょっとすれ違ったけど…少しずつ歩み寄ってるところです。」
水樹はごくりと生唾を飲んで気合を入れ、にっこりと微笑んで見せた。
もうこれで、今度こそ終わりにしたくて。
「先輩、ありがとう。俺やっぱり水無瀬のことが好きです。だから、やっぱり先輩の手は取れません。」
佐藤は少しだけ苦しそうに微笑んで、ポンと水樹の頭を撫でた。水無瀬の繊細な手とは違う無骨な手。
小さな声で届いたのは、幸せになれよ、だった。
一度は取ろうとしたその手を、やっぱり別の人が好きだからと振り払う。
俺も十分最低だ。
水樹は自嘲気味に笑うしかなかった。
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