82 / 226

第82話

おまたせと声をかけると、水無瀬は少し眉間に皺を寄せて寒さに凍えていた。お疲れと甘く柔らかなテノールが無様に震えていた。 「マフラーとか無いの?」 「マフラーは11月に破れたし手袋は一昨年大きく穴が開いて意味をなさないよ。」 「…そんなに使わなくても…」 意味をなさなくなるほど穴が開いた手袋って一体。 水樹は自分のマフラーを外すと水無瀬の首にかけた。水無瀬の肩がピクンと跳ねた。 「あげる。」 何の柄もない真っ白なマフラーが、まるで最初から彼の物のように似合う。 水無瀬は顔がいいから何を身につけても様になるけど、やはり天使のような容貌には白がよく似合う。水樹は満足そうにマフラーの形を整えた。 「…あったかい。」 「カシミヤだよ。ふわふわでしょ。」 「いいの?まだ綺麗じゃないこれ。」 「いいよ。12月に誕生日あったんでしょ。プレゼント。」 「遅すぎじゃない?しかもプレゼントなのに中古?」 「文句があるなら返せ。」 「あははっ!嘘だよ、ありがとう。嬉しい。」 そう言って笑った水無瀬の顔が今日の空にも負けないくらい晴れやかだったから、買ったばかりのマフラーなんて安いものだ。 カシミヤ特有のふわっとした白に顔を埋める水無瀬は、映画のワンシーンのようで、どこか非現実的。 この美しい人が自分の番だなんて、未だに信じられない。 水樹は辺りを見回して人気がないのを確認すると、くいっとマフラーを引っ張って顔を寄せ、その蠱惑的な唇にキスをした。 水無瀬の身体が強張るのを感じながら。 水無瀬は形のいい瞳を瞬かせると、柔らかく微笑んでキスを返してくれる。甘く優しい穏やかな時間に似つかわしくないことを、水樹は考えていた。 水無瀬は、急に近付かれたり、手を上げられたりするのが怖いのだと思う。 反射的に身を守るように腕が体の前に出そうになったり、身体に変に力が入ったり。 それはまるで攻撃から身を守るように。来たる痛みに耐えるように。 そしてそれらに、きっと水無瀬も気付いていない。 水樹が思っているよりも、そして水無瀬自身が思っているよりも、幼い頃から続いた暴力は水無瀬に深い傷を負わせているようだった。 「大事にするよ。これで5〜6年はいける。」 「いやいやいや。カシミヤそんなに強度ないから。精々2年。」 「いけるよー。君のことだから高級品でしょ?」 「無理だって。ボロ切れになる前に今度はちゃんと新しいのプレゼントするし。」 そう、だから。 その歪んだ愛情観念と金銭感覚、ついでに狂った味覚もなんとかしてやるから、ずっと一緒にいて、なんて。

ともだちにシェアしよう!