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第101話

時刻は20時になろうかというところだった。特別遅い時間ではない。 が、龍樹にしては確かに遅い。 もともと出不精で部屋の中で本ばかり読んでいるような奴で、1人で出掛けるといえば本屋か図書館。図書館はとっくに閉まっているし、本屋に寄ったとしても遅い。 龍樹は何かがあったとしても両親に連絡することはないだろう。するとしたら恐らく水樹だ。 水樹は一先ず母との通話を切り、震える呼吸を深呼吸で押さえ込む。その様子に水無瀬が何かを感じたのか、そっと顔を覗き込んできた。 どうしたの、と言葉にせずともその青い瞳が問いかけてくる。 温かみのある問いかけに水樹は少し心が静まって、ギュッとスマホを握りしめた。 「龍樹が、帰って来ないって。」 どうしよう、という言葉は周囲の騒めきに埋もれて消えた。 水樹はスマホを操作して龍樹に電話をかける。何度か掛けたが、温度のない女性のアナウンスしか流れて来なかった。 どうしよう、どうしよう。 やっぱり無理矢理にでも一緒に祭に連れて来ればよかった。水無瀬の浴衣を借りた時、苦しそうな顔をしていたのに気がついていたのに。そもそも水無瀬の浴衣を龍樹に借りたのが無神経だった。なんで気が付かなかったのだろう。 ぐるぐると自責の念にかられている水樹を見兼ねてか、水無瀬は黙って滅多に外で触らないスマホを取り出し、どこかに電話をかけ始めた。 恐らく龍樹だ。 やはり繋がらないようで、何度か掛け直している。 もう一度自分もかけてみようとした、その時。 「あ、龍樹?今どこにいるの?」 という水無瀬の声に驚愕して、水樹はそのスマホを引ったくりたい衝動に駆られた。グッとこらえて水無瀬の様子を伺う。 通話はすぐに終わり、電話を切った水無瀬がふんわりと優しく微笑んだ。 「乗ってた地下鉄が人身事故で止まってずっと地下にいたんだって。今帰ってる途中みたいよ。」 良かったね、と水無瀬は頭を撫でてくれた。 余りに呆気ない事実に脱力してしまう。人騒がせにも程がある、後で殴ると心の中で罵倒したものの、不安が一気に解消されて安心感からジワリと涙が溢れてきた。 ぐしっと鼻をすすり乱暴に涙を拭うと、ふと水無瀬の表情が切なげに歪められていることに気がついて、涙はあっという間に止まった。 なんで、そんな顔。 そう言葉にする前に、水無瀬が口を開く。 「ものすごく、意地の悪い質問をしてもいいかな。」 水樹はきっと、この時の水無瀬の顔を一生忘れないだろうと思う。 乾いた喉は声を出すことができず、水樹が小さく頷くと、水無瀬はこう問いかけた。 「君は、龍樹と僕ならどっちを助ける?」 と。

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