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第105話
αである彼女は反対を押し切ってまで祖父と結婚せずとも、番を作るという選択肢もあったはずだ。自分が優位に立つ結婚もあったはずだ。
祖母は墓石を真っ直ぐに見つめ、涙の跡を見せない凛とした声で告げた。
「番を作ろうとは思いませんでした。愛した人がΩでなかった時点でその選択肢はありませんでした。あの人がαでもβでもΩでも、男性でも女性でも、私はあの人を選びました。」
祖母の目は、齢60をとうに超えたとは思えないほどに強い光をたたえていた。今も昔と変わらず祖父を愛しているのが、その目を見れば一目瞭然だった。
羨ましい、と率直に思う。
何年何十年と経っているのに、変わらぬ愛を捧げ、そして捧げられる。簡単なようで、なんと難しいことか。
水無瀬に変わらぬ愛を捧げる自信はあっても、水無瀬から愛してもらう自信は、今の水樹には持てなかった。
「…私は運命の番に出会っておりませんから、あまり大きな口は叩けませんが。」
暗い顔をしてしまった水樹を見て、祖母は再び語り始めた。
「例え誠司が生きていたとしても、貴方の幸せは貴方のものです。誠司の幸せが貴方の幸せとは思えません。」
その慈愛に満ちた言葉に、水樹を長年縛り続けた固く強固な縄が少しだけ緩む。永遠に解けないだろうと諦めていたその縄は、水樹が少しその気になればもう解けてしまいそうだった。
俺にしか水樹に本当の幸せを与えてやれないんだ。
叔父は確かにそう言った。
水無瀬の側にいることは、もしかしたら叔父から見たら、いや叔父以外の誰から見ても幸せではないのかもしれない。けれどそれは外野の意見。水樹自身がそれを幸せと思っていれば、誰がなんと言おうとそれは幸せなのだ。
黄昏が辺りを覆う。
燃えるような赤が空一面に広がり、水樹の身体も太陽が宿ったように熱い。夏の気候のせいか、それとも胸を打った祖母の言葉のせいか。
「帰りましょう。夕食の支度を…水樹?」
その場を後にしようとした祖母が振り返る。先に行っててと言おうとして、その言葉は熱い吐息に変わった。
しゃがみこんだ水樹を見て、祖母はすぐに事態を察し、携帯でどこかに電話をかけながら老人とは思えない力で水樹を立たせた。
「ばーちゃ、ダメだよ近く来たら…」
「何を言っているんですか。番のいるΩのフェロモンなどわかりません。もう一人で耐える必要はないのです。しっかりなさい、今庸に迎えを頼みました。」
ああそうだった。もう俺のフェロモンは水無瀬にしか効果がないんだった。
慌てた様子の父の車に乗せられて、家に着くまでの間勢いを増していく発情期にも、祖母も父も全く反応せず、もう家に着くからと懸命に声をかけてくれていた。
ああ、誰かを頼れるとは、こんなにもいいものなのか。
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