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第109話
夏の夜明けは早い。
目が覚めた水樹は夜が明けて太陽が顔を出し始める曙の空をぼんやりと見つめた。
(ああ…)
会いたい。
水樹のベッドの隣に布団を敷いてぐっすり眠っている龍樹の横顔を見つめる。特効薬に苦しむ水樹に付きっ切りで看病してくれて、さぞ疲れただろう。
目にかかった髪を起こさないようにそっと払うと、未だ薄っすらと残る傷跡が顔を出した。
ヒートを起こした誠司から水樹を助け出そうとしてできたその傷は、他人から見たら綺麗な龍樹の肌に似つかわしくない醜いものだろうけれど、水樹にとっては何よりも尊い傷跡だ。
龍樹が穏やかな寝息を立てているのを確認し、水樹はその跡にふわりと口付けた。
「…ありがとう、龍樹。」
そして水樹は静かに部屋を後にし、台所で麦茶を飲んでから寮に戻る準備をしはじめる。
予定よりは早いが、8月もあとほんの数日。新学期に向けて寮に戻ってもおかしくない時期だ。水無瀬ももう戻ってくる頃だろう。
会いたい。
水樹を突き動かすのは、ただそれだけだった。
「あら水樹…発情期は終わったんですね?」
「うん、お騒がせしました。あのさばーちゃん、俺朝一で寮に戻るから、おにぎり作ってくれない?」
「嫌です。あなたの発情期中に散々握りましたから。自分で握りなさい。」
「えー!いいじゃんお願い!ばーちゃんのおにぎりが食べたい!」
ねえねえお願い!としつこくまとわりつけば、喧しいと言いながらも祖母はおにぎりを作ってくれた。水樹が昔から好きな梅干しと昆布。
リクエストしたわけでもないのに好物を作ってくれるから、やはり可愛がられていると実感するのだ。
祖母はもう二つ、おにぎりを作りはじめた。タラコとおかか。龍樹の好物だ。
「あなたが戻るなら龍樹も戻るでしょう。」
やはり龍樹も、同じように可愛がられているのだ。
いつか、龍樹と家族の間に出来た溝が埋まりますように。そう願いながら、部屋に戻って龍樹を叩き起こし、寮に戻る準備を再開するのだった。
「何でこんな早朝に戻るんだよ…」
「いいからいいから!ほら電車来ちゃうよ!」
電車の中で二人でおにぎりを頬張って、口元に米粒を付けていた龍樹を大笑いした。指で掬い取って口に入れると、ほんのりタラコの塩気を感じた。
着いたら起こせと龍樹が肩にもたれてきて、すぐに寝息を立てていた。その重みが、愛しかった。
大切な弟に対する、親愛の情だ。
寮に戻り荷物を部屋に放り込むと、何もない冷蔵庫の中に飲み物を補充すべく売店に向かう。
すると、相変わらずの大きなタンクトップに短いボトムの姿で精肉コーナーに立つ、久しぶりに見る愛しい後姿。
その後姿を見るなり走り出し、その勢いのままに抱きついた水樹を、アーモンド型の目を丸くして振り返った水無瀬に、水樹は場所も忘れてキスをした。
「…会いたかった。」
それは間違いなく、愛だった。
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